▼ 39:嫌いな男(2)
西の国のイリヤ王子は、肩までの茶色い髪を一つに結んだ、人あたりのよさそうな人物だった。
愛想よく他の賓客に話しかけている。
それとなく観察していると、女性たちは純粋に笑顔で答えているが、男性は評判を知っているのかあまり近寄ろうとしない様子だった。
すると、ふいに彼が私を自分の背中に隠した。
見ると、イリヤ王子がこちらに歩いて来る。
「やあカズマ、久しぶりだね」
「何の用だ」
満面の笑みを浮かべたイリヤ王子に対し、彼は嫌悪感をあらわにした表情で、賓客を睨みつけた。
彼が感情をあからさまに表すのはめずらしいことだ。
「へえ、この子がカズマに溺愛されてるってお妃様かあ」
彼のそんな態度には慣れているのか、イリヤ王子は意にも介さない様子でこちらに視線を向けてきた。
興味深そうにまじまじと私を眺める。
「俺はイリヤ。よろしく、お妃様」
にこりと笑いかけられた。
さすがに無視するわけにもいかず、形式的に挨拶を交わす。
すると、イリヤ王子はなぜかクスクスと楽しそうに笑った。そして彼の方を向き直り、
「かわいいね。たまに貸してくれる?」
「なっ……!」
私はあんぐりと口を開ける。
昨日彼が言ったことはやはりおおげさではなかったらしい。
次の言葉が続かないでいると、彼がひんやりとした冷気を帯びた声で言った。
「貴様の国が消し飛んで構わないならな」
イリヤ王子もとんでもないが、彼の言うことも不穏すぎる。
私はさらに何も言えなくなり、びくびくと彼の顔を見上げるだけだった。
一瞬きょとんとしたような表情を見せた後、イリヤ王子はまた笑った。
「あっははは!カズマが本気出したらやれそうだ、非情な王子様だもんね」
「……!」
イリヤ王子の最後の言葉を、私は聞き流すことができなかった。
「……訂正してください!カズマ様は優しいひとです!」
彼の背中から飛び出し、私は声を上げる。
彼はたしかに、考えていることが外からはわかりにくいし、愛想もいいとはいえない。
だけど、絶対に『非情』なんかじゃない。そんな言葉で彼を表現してほしくなった。
しかしイリヤ王子は、今度は弾けるような大声で笑った。
「あっははははははっっ!初めて聞いた、そんなの。『優しい』かあ……おもしろいなあ、あはははっ!」
ツボに入ったかのように爆笑し続けるイリヤ王子に、私はさらにムッとする。
訂正してくださいと言ったのに、それどころじゃない様子だ。
何が可笑しいのかさっぱりわからないけれど、いい意味ではないことは間違いない。
私は彼とイリヤ王子の間に立ち、叫んだ。
「か、カズマ様を傷つけたら許しませんっ!」
すると、イリヤ王子は笑いを止め、こちらに一歩近付いた。
こちらをまじまじと見下ろす。
「うわあ、ほんとにこの子欲しくなってきたなあ。おもしろい」
『欲しい』『おもしろい』――言葉とは裏腹に、苛立ちや嫌悪、のようなものがイリヤ王子の瞳から滲み出ていた。
イリヤ王子は顔を上げると、私を通り越して、再び彼の方を向いた。
「ところでカズマ、父上がお前と話したいって。呼んで来いって言われたんだったよ」
へらへらとそう言う。
自分を追い払おうとしていると察した彼は、側に控えていたマリカさんに視線を送った。
さすがに他国の王様の呼び出しを無視するわけにはいかない。
私の肩に軽く手を置くと、彼は大広間から出ていった。
「俺たちも外出ようか」
当然のように行動を共にしようとしているらしいイリヤ王子に、私はしぶしぶと従った。
しかし。廊下を少し歩いたところで、イリヤ王子はふいに立ち止まった。
「ねえ、女官さん。この上着、俺の女官に預けて来てくれないかな?それからお酒が飲みたくなってきたから、もらってきてくれる?」
イリヤ王子は上着を脱ぐと、にこりとしながらマリカさんに差し出した。
イリヤ王子自身は女官を伴っていない。
必然的にマリカさんが用事を言いつけられることになる。
「ですが……」
彼から『離れるな』と命じられているマリカさんは、口ごもった。
「マリカさん、お願いします」
私はマリカさんを振り返って言う。
ここで断れば、マリカさんの立場が悪くなる。
それに、今日はちゃんと警戒しているのだから、大丈夫だ。
prev / next
(1/4)