▼ 61:愛犬の受難
ユキが体調を崩した。
原因は感染症だということがわかり、隔離されてしまった。
『人にはうつらんでしょうが、万が一があってはなりませんからな。なに、一週間もすれば回復するでしょう』
医師は笑って請け合ってくれたけれど、やっぱり心配だ。
でも、私に動物の病気を治す知識も技術もない。ない以上は、信じて任せるしかない。任せた以上は、揺らいではいけない。
それは、この国で王子妃として『待つ』ことを幾度か経験して、学んだことだった。
「俺しか見ていないところで強がる必要はないと、わかってるか?」
不意に頬をつねられて、私は動揺した。
二人きりの部屋。
いつも通り、と自分に言い聞かせて、彼となんでもない話をして、笑っていたのに。
会話の切れ目で彼がふと沈黙したと思ったら――
「えっ……?」
「お前が『王子妃殿下』として強くあろうと努力していることはわかってる。だが、今ここでそれは、的外れだ」
「的外れ、ですか……」
「結婚したてじゃあるまいし、何を遠慮してるんだ」
「……でも、こんなことがあるたびにぐらぐらしてたら、王子妃としてだけじゃなくて……妻、としても……これから先、」
言いかけたところで、今度は両頬をつねられた。
「そんなに急に強くならなくていいんだ」
無表情ながらも、慈しむような瞳が私を見下ろす。
「誰にも言っていないが……これでも母親が死んでから当分は、一人で泣いていたぞ?」
「……っ!」
何でもないことのように、彼はおそらく――とても大事なことを、話してくれた。
私のためにそんなことを話してくれたのだろうと思うと、嬉しさと申し訳なさで、胸が締め付けられる。
「でも、カズマ様は……一人で、誰も巻き込まずに、」
「そうだ。一人で泣いていたから、あの頃にお前がいたら、と思う。だから今、俺がここにいる以上、不安は共有したいと思ってる」
マリカさんがよく読んでいる、少女小説の一節を思い出した。
『二人で悲しみや不安を分け合って』――そんなよく聞くフレーズが、実感をもって胸にすとんと落ちる。
私があまり触れてこなかった、彼も多くを語らなかった『その頃のこと』。
それをあえて彼は私に見せてくれたのだ。
同じなんだ、と。
だから大丈夫だ、と。
同じなんかじゃないのに。
とても同じことだなんて、思えないのに。
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