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バランスが崩れて、思わず彼の服を掴んでしまう。
左手は彼にとられたまま。
近いし、体勢がなんだかちょっと……
すると、彼が右手で私の頬に触れた。
体温が上がる。
それが彼にもばれているはず。
「か、カズマ様、嫌なことはしないんじゃ、なかったんですか……」
目を泳がせて私が尋ねると、彼は表情を変えずに言った。
「嫌ならやめるが。嫌か」
「嫌……というわけ、では……というか、あの……」
わりと無意識に、本音が出てしまった。
意外にも、嫌、ではなくて。
ただ、すごく落ち着かないだけで。
彼は、私の顎を軽く持ち上げる。
彼の視線から逃れられないように。
そして、彼が私を見つめたまま言った。
「初めて逢った時も、お前に礼を言われた」
「えっ」
「俺がお前の国に行った時だ」
私の知らない、彼と私の話をしているらしいと気付いた。
なぜか、初対面のはずの私との結婚を望んでいたと言った彼。
「商人に変装してお前の国に視察に行っていた」
「王子様が変装して視察って……」
「街娘に化けて、兄たちと遊んでいたお前にそんな顔をされる筋合いはない」
「なんで知って……!」
「王宮のことは最初に調べるだろう、普通」
確かに私は兄たちと、しょっちゅう街に下りていた。
『統治者は街の暮らしを知ってないと』という持論を展開していた彼らに、くっついて出かけていたものだ。
周りにはばれていなかったはずなのに、よりによって視察に来た王子様にばれていたとは。
「街で、お前が目の前を走って行った時、髪飾りが落ちた。安っぽい髪飾りだ。
それを俺が拾って追いかけた。
髪飾りを渡すと、お前は今日の昼間みたいに笑って『ありがとう』と言った。
俺は、その笑顔を自分のものにしたくなった」
「……え、それだけ、ですか」
思わず口に出すと、彼は眉をひそめた。
「もっとロマンチックなエピソードが欲しかったか」
「いえ、そうじゃなくて!……その、たったそれだけのことで、私を……?」
王子様なんだから女の人の笑顔なんて見慣れているだろうし、そんな些細なことで?と思うと、なんというか……身にあまる、というか。
「俺には『それだけのこと』じゃなかったから、今こういうことになっている」
そのことばに、彼との近すぎる距離を再び意識してしまう。
「あ、の、殿下……そろそろ離していただけると…」
「名前で呼べと言った」
「か、カズマ様、近いです……わっ!」
名前を呼ぶとその瞬間、また強く手を引かれ、彼の腕の中にすっぽりおさまってしまう。
「この流れで『離せ』はないだろう」
「っ!」
妙にやさしく私の髪を梳く彼の指に、ぞくりとした。
なんでこんなことになってしまっているんだろう。
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