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彼の営む食堂に入ると、コックと給仕らしい若い男の人が二人、こちらを振り返った。
「あ、お帰りなさい店主。食材買えました?」
「お客さんですか?いらっしゃい!……こりゃまた綺麗なご夫婦ですね」
私は二人に会釈をする。
彼は無表情で店内を見回していた。
「うちの看板娘になってほしかったんだけどさ、こちらの旦那さんに睨まれちゃってね」
店主は笑う。
二人は「押しが弱い」だとか「せっかくのチャンスを」などと店主を責めている。
「この通り、男三人でやってるから暑苦しくてね。あ、好きな席にどうぞ」
店主がそう言うので、私たちは一番奥の席に座った。
カウンターには常連らしき客が数人、テーブル席には二組の客がいたが、私たちのすぐ後に三組立て続けに来店し、席はいっぱいになった。
じゅうぶん繁盛しているのではないだろうか。
「国王様と王子様のおかげでこの街はかなり暮らしやすくなったなあ」
ふいにそんな言葉が耳に入った。
常連客が店主と話しているらしい。
彼を見るとしれっと水を飲んでいる。自分たちの話題が出ているのに、意にも介していない。『視察』慣れしているのだ。
「国王様の政策のおかげでここも観光地として賑わうようになったからね」
店主が相槌を打つ。
「それにやっぱり王子様のあの協定が効いてるよ、妙な輩を最近じゃ全く見なくなった」
なんとなく嬉しくなる。
笑顔をこらえていると、店主が再び相槌を打った。
「確かになあ。いやあ、お妃を溺愛してて他は目に入らない王子様だとか噂されてたからどんなちゃらんぽらんかと思ってたけどなあ」
その言葉に、私はぎくりとする。
こんなところにまでそんな噂が。
彼は相変わらず無表情だ。
私だけ冷や汗と恥ずかしさでそわそわしてしまっている。
「けど、溺愛ぶりならそこの旦那さんも負けちゃいないなあ!ねえ!?」
「えっ、ええっ!?」
突然カウンターからこちらに話を振られて、私は動揺した。
「えっと……その……」
比較の対象が同一人物なのでどう答えていいかわからない。それ以前に恥ずかしい。
「王子様夫婦が俺たちみたいな庶民だったらきっとこんな感じだよ。庶民、と言うには綺麗な二人だけどな?ほら、さっきなんか旦那さんがな、」
「わわわわっ!やめてください!あれは私をからかって遊んでただけなんですから!」
余計なことをみんなの前で言おうとする店主を慌てて止める。
私はしばらく冷やかされたが、しだいに話題が別のことに移っていき、ほっと胸を撫で下ろした。
「もう!カズマ様も助けてくださいよ!」
頬をふくらませて彼に抗議する。
彼はずっと我関せずといった風情で水を飲み続けていたのだ。
私一人が矢面に立たされ、気まずくてしかたなかった。
しかし、
「嘘でもからかったわけでもないぞ」
「え?」
前後が繋がらない彼の言葉に、私は首を傾げた。
「さっきのあれは、俺が隣にいるときにお前の方から離れていかれるのは我慢ならないという意味で言ったんだ」
何の話か理解すると同時に、いつものごとく頬が熱くなる。
「ご、ごめんなさい……心配かけて」
「噂はだいたい合ってるな」
めずらしく、彼が苦笑した。
「仕事を外れていると、俺は本当にお前しか目に入っていないらしい」
「……な、なんですか『らしい』って」
つっこむところはそこじゃないとわかっていながらそう言う。
「ここに来てから改めてそう思った」
「……?」
私はわけがわからないまま、ただなんとなく落ち着かなくて下を向く。
その時ちょうど、店主が料理を運んで来てくれたので、その話は打ち切られてしまった。
私も、楽しいと思う風景の中には全部、カズマ様がいるんです――そう白状するタイミングを、私は逃してしまったのだった。
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