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日夏はこの時初めて、垂氷は視界に映る範囲なら空間移動ができると知ったのだった。
早瀬が『黒星の事件があった後に身につけたみたいなんだ』と、意外なことを教えてくれた。
日夏の祖父母に垂氷が何か二言三言告げると、祖父の葛は頷き、祖母の伊予が日夏と早瀬の荷物を持って来た。
明日の朝ここを発つ予定だったとはいえ、別れを惜しむ間もなく家族の元を発つことは日夏にとって心残りだったが、仕方ない。
『喚ばれた』場合は一瞬で契約者の前に姿を現せるが、自力で『飛ぶ』場合はそう便利ではない。しかし本人に触れていれば共に空間移動が可能であることは利点であった。
垂氷の視力は並のものではなく、おかげで比較的早く、一行は日夏の家に到着した。
そして、冒頭の状況である。
「俺がやきもち妬きかどうかなんて話してる場合じゃないでしょう。本題に入ってください、飛鷹王子」
王子がなぜかこんなところにいる、という状況に幾分慣れてきた早瀬が、顔をしかめながら促す。
「おお、そうだったな!実は私は駆け落ちをしてきたのだ!」
飛鷹王子の答えは、予想通りのものであった。
早瀬が頭を抱える。
「……何でそんな軽率な真似を」
恋人を父親が側室にした、と聞いていた。そして最初からずっと、飛鷹王子のそばには小柄な少女が控えている。
「軽率だと思うか?そなた、日夏どのが自分の父親に殺されると聞いて、指をくわえて見ていられるか?」
「殺……?」
次の言葉は、完全に予想外だった。
どうしてそんな物騒な話になっているのだ。嫌な予感を覚えて早瀬は眉を潜める。
「と、その前に紹介をしなければならないな!ここにいるのが鈴懸。私は鈴と呼んでいる。私の駆け落ち相手だ!」
鈴懸(すずかけ)と呼ばれた少女は、初対面の二人に小さく礼をした。
しかし、相変わらず口は開かない。
「そなたたちと同じ、星の民だ。しかし、能力が酷く限定的でな。他人の怪我や病気をたちどころに回復できるのだが――」
と、飛鷹王子が言いかけたところで。
「いちばんに、愛していないと、駄目なの……」
表情を変えず、呟くようにそう口にしたのは、当の鈴懸だった。
日夏と早瀬は、目をまるくして鈴懸を見る。
人形のように押し黙っていた少女が口を開いたことも、その内容も、興味深いものだった。
しかし、続きを待っていても鈴懸がそれ以上何か言うことはなく、結局再び飛鷹王子が話し始めた。
「鈴とは忍びで町に降りているときに知り合ってな。その時は育ての母親にだけ、能力を使えていた。いつしか私は鈴に惹かれ、ある時、鈴の方も気付いたのだ。母親に能力を使えなくなっていると」
自由な王子だとは聞いていたし、忍びで町に降りているという噂もまことしやかに流れていた。しかし、本人の口からそれを聞くと、さすがに多少は面食らってしまう。
「私が鈴に言い寄る暴漢をぶちのめしたことがあってな。と言ってもボロボロになって何とか追い払った、というのが正しいが。その時、鈴が私の怪我を一瞬で、綺麗に治してしまったのだ」
何よりの、それは愛の告白ではないだろうか。
早瀬は自分に置き換えて想像してみる。きっと飛鷹王子は驚いただろう。そして、嬉しくてしかたがなかっただろう。
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