星月 | ナノ


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「そんな風に日夏が泣く理由も、俺にはわからない。日夏のことは何でもわかってるつもりだったけど」

早瀬は少し辛そうな表情で、わずかに俯いて言った。


「…でもそれは、俺が日夏にぶつかる勇気がなかったからだ。関係が壊れるのが怖くて、幼なじみでさえなくなってしまうのが怖くて」


日夏が何度も考えてきたことを、早瀬が口にする。

そのことに驚いていると、早瀬はゆっくりと顔を上げた。


日夏をまっすぐに見て、小さく息を吸う。


「だって俺には、日夏がほんとうに『特別』だったんだ。出会った日からずっと」

「え……」


その言葉の意味を計りかねた日夏が、立ちすくんでいると、早瀬はわずかに頬を緩めた。

「あの日のことは、いまだにはっきり覚えてるんだ」


早瀬のまぶたの裏に、小さな自分と日夏が、鮮明に蘇る。



―――初めて日夏に会ったのは、魔法学校初等部に入学する前の年の、春だった。


その頃、早瀬は、立派な館で暮らしていた。

当主である祖父、両親、じいやに下働きの者たち…そんな面々に囲まれ、早瀬は毎日を過ごしていた。


働き盛りの次期当主―父は第一線で活躍していたから、当主である祖父が早瀬の教育を統括していた。

それがこの家に伝わる慣習のようなものだった。


しかし、その『教育』は、早瀬にはあまりにも窮屈なものだった。

確かに、知識面においては、かなり高度なものを与えられていたと思う。

しかし、祖父の説く『上に立つ者』としてのさまざまな理論に、早瀬はどうしても素直に頷けなかった。


祖父は、自分たちを『選ばれた』一族と考えているところがあり、『一般庶民』とは馴れ合うべきではないとよく言っていた。

自分たちは彼らを指導し、動かす立場。彼らはそれに従うことで、益を得ているのだからと。


早瀬はそんな考え方に賛同することができないと、幼いながらに感じていた。

両親の振る舞いを見ていれば、人はそんな風に区別されるべきものではないと、感覚で理解できるからだ。

父が王宮で活躍しているのは、『選ばれた一族』だからなどではなく、誰が見ても実力の賜物で、その父を支えているのは『一般庶民』の出である母だった。


しかし、当主である祖父には、誰も逆らえなかった。

母は、義父がそんな教育を息子に施そうとしていることがたまらなく嫌そうだったが、口を出すことは許されなかった。

それは、早瀬と同じように教育を受けた父も同様で、苦々しい表情を浮かべながらも、祖父には意見できなかった。

この家において『当主に反論する』ということが、いかに罪深いことであるかは、早瀬もなんとなく肌で感じていたから、両親を『弱い』とは思わなかった。

父がいつか、祖父のことを「お祖母様が亡くなってから少し変わられた」と話していたことがある。

いろいろなことが、父に言葉を飲み込ませていたのだろう。


しかし二人とも、影で祖父の批判をするようなことはなく、代わりに、ひたすら早瀬に愛情を与えてくれていた。


父の仕事が終わってから寝るまで、親子三人で過ごすつかの間の時間が、早瀬の楽しみだった。

父が語る、夜空の星々の話に、早瀬は強く惹かれた。


あるとき父が、星のことが書かれた難しい本をくれた。
書いてあることはさっぱりわからなかったが、挿し絵がたくさん付いていて、それを眺めるだけでもわくわくした。

「私にも、書いてあることはさっぱりわからない」――きまじめな父が、笑ってそう言っていた。

それを見て母も笑って、早瀬も笑った。

その日からその本は、早瀬にとって宝物であり、お守りのような存在になった。どこへ行くにも持ち歩いた。

いつでも両親の愛情を感じていられるように。疑ったことはないけれど、こんな広くて窮屈な館にいることで、忘れてしまわないように。


早瀬は両親以外の誰かを信じることなど、できずにいたからだ。

『家を継ぐ者』としてしか早瀬を見ていない祖父。祖父の言いなりであるじいや、目を合わせてくれない下働きの面々。


――そして、祖父の権威にすがるべく、館を訪れる者たちが、特に嫌いだった。




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