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「俺は日夏が直接言わねえことを決めつけたりする気はねえから、あいつの気持ちなんてもんは知らねえ」
日向は、早瀬を見据え、息を吸った。
「だがな、ナツが自分勝手な態度を取る相手なんてきっとお前くらいだ。それはわかる。
ナツは気持ちに素直な奴だが、それで他人にあたることなんてしない。
けどお前には――お前にだけは、あいつはわがままで、勝手で、理不尽だ。下手したら素直でもねえ。
そういうナツを見てるお前だけが、あいつのほんとの気持ちにいちばん近づける人間なんじゃねえのか」
「俺に、だけ?」
そんな状況ではないのに、早瀬は勝手に胸が高鳴るのを感じる。
確かに、日夏が吉野や秋津、千歳や――日向にも、八つ当たりをするところなんて見たことがない。
だけど、この間の日夏の態度は…明らかに理不尽だったと思う。
自分もそうではあったけれど。
――だから、俺がいちばん日夏の本当の気持ちに近づけるって?
(それでも……俺は、その関係を、壊してしまったかもしれないのに……)
早瀬が俯くと、日向が少しためらうような気配の後、再び口を開いた。
「それからこれは……絶対に教えてやるつもりはなかったが、特別サービスだ」
日向らしくない単語に、早瀬は思わず顔を上げる。
日向は、苦々しい顔をしていた。
「黒星に襲われかけたとき、ナツが消え入りそうな声で一回だけ呼んだんだ。――お前の名前を」
「……え……?」
早瀬の脳裏にあの夜の映像がフラッシュバックする。
自分にしがみついて泣いた、日夏の冷えた身体の感触は、今でも腕に残っている。
ひとりで突っ走っていた日夏。それを自分が止められなかったせいで、彼女が傷ついてしまうのではないかと思うと、息が止まりそうだった。
――あの時に、日夏が、俺の名前を?
早瀬の表情を見た日向は、小さく舌打ちをして、目を逸らした。
「ナツがお前の望む気持ちをお前に向けてるかどうかなんてのは知らないし、知りたくもない。
だが、間違いなくナツはお前を大切に思ってる。それは何があったって壊れねえ。
――例えばお前が気持ちを伝えて日夏が応えられなくても」
その言葉に、早瀬ははっとする。お互いに、『大切だ』という気持ちが揺らいだことも、疑ったこともなかったのに――それを、忘れていた。
『日夏に嫌われてしまうかもしれない気持ち』――自分の気持ちをそう表現してきたけれど、本当にそうなんだろうか。
それは、日夏に――失礼なんじゃないだろうかと、今初めて気付く。
日向は再び早瀬の襟首を掴む。
さっきよりも強い力で、視線は真摯に早瀬を見据える。
「お前だってわかってんだろ?何をびびってんだ。
お前はただ結果が出るのが怖いだけだろ?――そんなことでナツがお前を軽蔑したりすると思ってんのかよ。
どんな気持ちだって、正直に…まっすぐにぶつけたら、ナツは正面から受け止める。あいつはそんな奴だろうが」
ああそうか、と早瀬は納得する。
『怖さ』ばかりで、信じることを、俺は忘れていたんじゃないか。
いつも、日夏を信じていたから、まっすぐに日夏と向き合えて――好きでいられたのに。
早瀬はふっと笑った。
「……クロ、お前はもしかして、日夏に告白しろって、言ってるのか?」
日向は一瞬きょとんとしてから、思いきり顔をしかめ、両手を早瀬から外した。
「馬鹿か、さっさと振られてケリつけてこいっつってんだ。――あと、日夏を泣かすなって言いてえだけだ」
早瀬の鼻先に人差し指を突き付ける。
早瀬は意味もなく嬉しくなり、微笑んだ。
「泣かせたら……ちゃんと笑わせるから」
そう答えると、日向は「ヘタレ野郎が」と呟き、背を向けた。
恋だから、壊れることを怖がる。
たぶんそれは、当然の感情だ。
だけど、俺が恋をしてるのは、日夏だ。
他の誰でもなく――ずっと一緒にいた、日夏だ。
何を怖がってたんだ。
そんなもんを理由に逃げるくらいの気持ちなら、こんなに長い間好きでいられるわけないだろうが。
俺が好きなのは、日夏なんだ。
代わりはいないんだ。
だから、離しちゃいけないんだ、絶対に。
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