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「日夏?」
ふいに呼ばれた名前に顔を上げると、家の前に早瀬が立っていた。
「……は、やせ」
どうして今。
日夏は目をそらしたが、早瀬は日夏の顔を見て、はっとした表情になる。
早瀬は日夏に駆け寄ると、日夏の腕を掴んだ。
「日夏、なんで泣いてるんだ」
慌てたような、真剣なような、本当に心配しているとわかる表情だ。
だけど。
(……早瀬のせいでしょ)
日夏は早瀬の視線から逃れるように、地面を見つめた。
「なんでもない」
早瀬は当然、眉をひそめる。
「泣いてるのに、なんでもないわけないだろ」
「……わたしが泣いてたからって、早瀬が困ることなんてない」
腕を掴む早瀬の手に、力が入った。
「俺のいないとこで日夏が泣くなんて嫌だ」
いつかの早瀬の言葉が蘇る。
『これからは絶対、俺が日夏から目を離さないから』
それだって、今のだって、嘘なんかじゃないのは、わかる。
でも。
「……っ、そんなこと言って、早瀬はいつか離れてくじゃない」
「どういう意味だ」
早瀬の声が少し低くなる。
怒りを抑えているのだと、日夏にはわかった。
それでも、自分勝手な心が早瀬を責めてしまう。
(自分はわたしのいないとこで何してるかなんて言ってくれないくせに。それに…好きな子のこと、わたしが聞いたときはごまかしたくせに)
日夏は早瀬の手を強く振り払った。
「どういう意味かなんて早瀬には関係ない!どうせこれからもただの幼なじみでしかないんだから、ほっといて!」
はねつけるようにそう叫ぶ。
最低なことを言っていると、わかっているのに、止められない。
一瞬の沈黙が、二人の間に落ちた。
「……ただの?幼なじみ?」
沈黙を破ったのは、怒りを隠そうともしない、早瀬の声だった。
「俺は日夏をそんな風に見たことなんて、出会ってから一度もない」
「どういう…」
思いもかけない言葉に、日夏が顔を上げると、早瀬が彼女の両肩を掴んだ。
「幼なじみなんて、そんな関係俺は望んでない。日夏が俺を拒んでも」
怒りと――それから、熱のようなものが、瞳と両手から直に伝わってくる。
わけがわからない。
早瀬の言いたいことも、その熱の意味も。
「は、離して!」
「嫌だ」
抵抗しても、今度は振りほどけなかった。
早瀬から目を逸らしたいのに、その視線に捕らえられていて、それもできない。
「俺は……」
早瀬が何かを言いかけた瞬間、彼の手からわずかに力が抜けた。
「…っ!お願いだからっ…ほっといて!」
日夏は力っぱい早瀬を押し返す。
そして逃げるように玄関に駆け込んだ。
「日夏!待っ……!日夏!」
早瀬の声が背後に聞こえたが、日夏は扉を閉めて耳を塞いだ。
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