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その日の夜、日夏は風呂に浸かりながら長いため息をついた。
「はああ〜〜、肩凝ったああ〜〜!」
慣れない作業を毎日長時間するものじゃないなと実感する。
だけど当然、やめるわけにはいかない。
だからこの肩凝りとも付き合わなければならないのだ。
しかしおそらく、今日の肩凝りの原因はもうひとつあった。
「早瀬に……どんなふうに接したらいいんだろ」
今日は久しぶりに長時間、早瀬と一緒にいたのだ。
早瀬の言葉に甘えて、表向きはなんとか普段通りの態度で接している。
だけど本当は、変に緊張してしかたがなかった。
――だって、今までとは明らかに、気持ちの種類が違う。
早瀬のわたしに対する気持ちとも、きっと違う。
それははっきりわかっているのに、違うことが何をもたらすのかがわからなかった。
だから漠然と、怖くて、早瀬にどんなふうに接するのが正しいのか…そんなことばかり考えていた。
『正しい』なんて言葉がわたしたちの間に存在する日が来るとは思わなかった。
だからたぶん、今のわたしたちの関係は不自然なんだろう。
だけど、どうなれば自然なのかがわからない。
――変な態度を素直に出せたときのほうがよっぽどよかった
自然なそぶりをして。戸惑いをひた隠して。
早瀬になにかを隠そうとするなんて、考えられなかったのに。
そして、どうしても頭から追いやれないことが、もうひとつあった。
熱を出した日に、あったこと。
クロが帰って来なかったら、早瀬はどうしていたの?
わたしは?
あの時、早瀬は何を考えていたのだろう。
その前に言った言葉――『俺が絶対、日夏から目を離さないから』。
それは、幼なじみとして?
それは、『心の真ん中にいる人』……とは違うの?
本当は今日、それを確かめたかった。
だけど聞けなかった。
だってもし、早瀬の心の真ん中に、わたしなんていなかったら。
早瀬には大切なものがたくさんある。
その中に、わたしの知らない『特別』だってあるのかもしれなくて。
わたしじゃない他の『特別』が『真ん中』だったら。
――『真ん中』なんかじゃなくても、自分が『特別』のひとつだったら十分なのかもしれないけれど。
そんなことを考えているとなぜか「それじゃだめ」と叫ぶ声が聞こえる気がして。
何が不安なのかわからないけれど、とにかく確かめられなかった。
叫ぶ声の正体はわかっている。
あの時、早瀬がわたしだけを見ていたことを、どこかで嬉しいと感じていた自分と、同じだ。
わたしはこれ以上、早瀬にどうしてほしいというのだろうか。
「ああーもう!やだ!」
水面を苛立たしく叩くと、お湯が勢いよく跳ねた。
呪文を解読しなければならないのに、ちょっと気を逸らすとすぐに早瀬のことを考えてしまっている。
いつか終わるとわかっている解読の方が、早瀬のことを考えるよりもずっと楽だと思えた。
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