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「塔の上まで」
早瀬がそう言うと、ふたりの体がふわりと浮いた。
早瀬が日夏の手をひいて空を『歩いて』行く。
まるで見えない階段が地上と塔の間にあるようだ。
(たしかに、魔法があれば、塔に階段がなくても直接塔の上まで行けるわよね)
言葉を起点にする魔法は、道具を必要としない代わりに、ニュアンスや発音など細かいことの影響を受けやすい。
そのため、言葉が起点になるタイプの魔法使いは、細心の注意を払って魔法を言葉にしなければ大変なことになる。
些細な言い間違いや表現の違いで、全く予期しない魔法を発動してしまうこともあるからだ。
だが早瀬の魔法は『思っていることが魔法に伝わる』というイメージだ。
頭の中に描いたものを、彼の声を通して形にしているような。
だから、短いフレーズで正確な魔法を使うことができる。
日夏は、早瀬の魔法の起点は、言葉というよりその心と声なのではないかと思っている。
そんな人は今まで存在していたことがないので、日夏の勝手な想像だけれど。
そんなことを考えているうちにずいぶん高いところまで来ていた。
思わず下を見てしまう。
「高……」
立ち止まってしまった日夏を早瀬が振り返った。
「怖い?日夏あんまり高いとこ得意じゃなかったよな?」
「……ちょっと思ったより高いなあと思っただけで、怖いとかじゃ」
と言いつつ高さを意識した足は震えてしまう。
「大丈夫だよ。俺の魔法は、日夏を絶対落とさないから」
つないだ手に少しだけ力を入れて、早瀬が言う。
「……そういうことばっかり言ってるからこの前みたいなことになるんじゃないの?」
日夏は目を逸らした。
「日夏以外にこんなこと言わないよ」
「そういうのとかも」
「いつのまに日夏の中での俺はそんなにイメージ悪くなったんだろう……」
早瀬はため息をついて歩きだす。
こんなことが言いたかったんじゃないのに、と思いながら日夏は後に続く。
しかし彼女は、もう自分の足が震えていないことに気がついた。
早瀬のさっきの言葉のせいかもしれない。これも魔法だろうか。
しばらくして、塔のてっぺんに着いた。
屋上は意外と広い。
「間に合ったな!……というかけっこう余裕だ。まだそんなに流れてない」
「……ここ、いつもより星がおっきく見えるみたい」
「だろ?すごく空が近いだろ?いつか日夏とここで星見たいなって思ってたんだ」
「……」
返事をしない日夏を早瀬がのぞきこむ。
「日夏?……もしかしてまだ怖い?」
「違うの」
「……日夏?」
「わたしが早瀬と距離を取りたかったのは、いつか早瀬が離れていってしまうのが怖かったから……かもしれない」
日夏はさっき考えていたことを口にする。今を逃したら、ちゃんと言えないかもしれない。
「早瀬は違うって言ったけど、早瀬にどんどん新しい世界が開けていったら、いつかわたしはいらなくなってしまうかもしれない。
そうなる前に自分から離れたら、悲しくないかもしれないって……自分を守ろうとしてた、のかも。
そのくせ、早瀬がいままでと変わらずに話しかけてくれると嬉しくて。わたし、すごく自分勝手だった。早瀬はいつもわたしのことを考えてくれてるのに、わたしは自分の都合で早瀬を振り回してる」
「……」
「そのことに気付いて、そのせいで早瀬に嫌われるんじゃないかって不安で、ますます早瀬と向き合うのが怖くなってた。
そしたら、早瀬が、来てくれた。いつもわたしは、早瀬のやさしさに甘えてる。…………ごめんなさい」
伝えたい気持ちを取りこぼさないよう、必死で言葉を絞り出す。
早瀬の方を窺うと、彼は少し怒ったような表情をしていた。
「俺が日夏から離れていく?日夏を嫌う?……そんなことあるわけがないのに」
「早瀬……」
「俺は、周りがどうとかそういうんじゃなくて、日夏の気持ちを聞かせてほしい。――日夏は俺といたいの?」
まっすぐに日夏を見て問う。
身分不相応だとか、早瀬が遠く感じるとか、そんなことは全部とっぱらって、日夏は、心の奥にある単純な感情を拾い上げる。
「わたしは……わたしは、早瀬と一緒にいたい」
そうだ、離れていかれると悲しいのは、一緒にいたかったからだ。
「うん、俺もだ。俺も日夏と一緒にいたい」
日夏の答えを聞いて、早瀬が笑う。
「だからさ、簡単だよ。一緒にいよう?」
そのひとことで、日夏が今までずっと悩んでいたことがどこかに吹き飛んでしまったみたいだった。
「……うん」
日夏も笑う。
もっと早く、こうやって早瀬と正面から向き合えばよかったんだ。
早瀬が言ったとおり、すごく簡単なことをずいぶん遠回りしていた気がする。
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