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「ナツ……」
初めて日向が、少しだけ瞳を揺らした。
そして深く息を吐くと、日夏の方に向き直る。
日向は日夏をまっすぐに見て、改まったような口調で話し始めた。
「ナツ、聞いてくれ。『役に立ちたい』って言うなら、お前はもう十分、役に立ってる。いるだけで、俺や早瀬の支えになってるんだ」
「そんなこと……」
「いいから聞け。――精霊ってたぶん、本来はこんな感情を持ってないはずなんだ。好きだとか大切だとか、守りたい、とか。だからこっちに来るとき記憶が消えて、帰るときも消える。向こうじゃきっと、必要ないものだから」
当然、日向も精霊界にいたときの記憶はない。
むしろ、記憶と言えるようなものが存在していたのかも疑わしいと、日向は考えている。
自分が自分であるという認識――召喚されたときに覚えているのはそれだけだと言われているが、そもそも、精霊界にいる時から、それしか持っていなかったのではないかと。
精霊界での精霊たちは、『何のために』だとか『どのように』などはなく、ただ『存在している』だけだったのではないだろうか、と。
「だけどお前は、そんな精霊である俺が、知るはずのなかった『気持ち』を教えてくれた。もうそれだけで、俺にとってお前は、奇跡みたいな存在なんだ」
大袈裟、なんかじゃない。
日夏のそばで笑って、怒って、泣いて。
毎日が、かけがえのない、奇跡だった。
「だから、ナツが笑ってここにいてくれるだけで、俺にとっては、十分すぎるほど役に立ってる。お前がいなきゃ、俺はここで生きていけない」
日向が日夏を見つめる。
切実な視線で。
日夏も日向を見つめ返した。
しかし、日夏の口から出たのは、日向の予想を裏切る言葉だった。
「……だったらなおさら、わたしはもっと、役に立ちたい」
「っ!ナツお前、俺の話ちゃんと聞いてたか!?」
日向は思わず日夏に詰め寄る。
日夏は、変わらず日向を見つめたまま、はっきりと言った。
「クロの今の言葉で、わたしは絶対に行くって決めた。わたしが笑ってたらクロの役に立つんでしょう?だけどわたしは、秋津くんや、クロや早瀬が笑ってなきゃ、笑えない」
「……!お前、それは屁理屈、」
「違う。クロの言葉が本当に嬉しかったから。だからこそ、行きたいの。お願い」
最後は縋るように懇願する。
日夏が自分の話を聞いて、はいそうですかとすんなり納得するとは思っていなかった。
だが、日夏も、自分たちが笑っていなければ笑えないと言う。
そう言われてしまっては、日向に返す言葉はない。
そして、いとも簡単に、ほだされてしまっている自分に気付く。
日向は、小さく呟いた。
「……俺がお前を閉じ込めたとしたら、お前は俺の目を盗んで一人で黒星のとこに行くんだろうな」
そして、覚悟を決めたように、日夏の両肩を強く掴む。
「しかたねえ。ナツ、絶対に俺から離れるな。危なくなったらまず逃げろ。他の奴を置いてでも、絶対に逃げろ。それを約束してくれなきゃ連れて行けねえ」
日夏は、頷いた。
「約束する」
「……じゃあ行くぞ。秋津を助けたら、あの男のパーティーとやらに付き合ってやる義理はない。すぐに帰るからな!」
日夏と日向は、黒星からの『招待』を受け、彼の待つ屋敷へと駆け出した。
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