太裳と久しぶりに会う


「……約50年、か」
彼女は寝台に腰かけたまま、そっと呟いた。燭台に火は灯されておらず、表情は分からない。けれども、長年共にいた自分には、今彼女がどんな表情をしているのか、手に取るように分かる。屹度、泣きそうな表情をしているのだろう。
此処は出雲の国にある聖域だ。彼女達は此処で約50年にも渡る深い眠りについていた。目が覚めたのはつい最近の出来事だ。
「…あやつは私の事など憶えておらぬのだろうな」
約50年前、彼女は一度死んだ。
愛しい者の目の前で宗主と名乗る者の手によって殺された。白銀に輝く雪を真っ赤な血で汚した。確実に、致命傷だった。
でも彼女は再び生を得る事が出来た。道反の大神が彼女に、生を与えた。
「会いに行ってみれば如何です?」
都に向かうことを勧める巫女に彼女は苦笑をかえした。簡単に言ってくれる。其れが出来たら、こんなふうに思い悩んだりなんてしない。
彼女が愛したのは、神の末端に座する者だった。彼らにしてみれば、彼女達人の生など瞬き一つ。短い間の出来事でしかないのだ。憶えてなんて、いないだろう。
「丁度都に向かったあの子の様子が気になっていたのです。様子見がてら都に行ってきて下さいませんか?」
「…巫女の仰せとあらば」
巫女の娘である風音は現在都にいて、向こうで生活を始めて一年を迎えようとしている。巫女とはいえ、彼女も人の子の親だ。やはり自分の愛娘の様子が気になって仕方がないのだろう。ましてや、長い間離れ離れだったのだから、尚更の事だ。

久しぶりに訪れた安部家は50年近くも経ったというのに、変わり無かった。変わったと言えばあの晴明に息子や孫がいる事くらいだろう。その末の孫が希代の大陰陽師、安倍晴明の跡継ぎなのだという。自分や、主達を救ってくれた人なのだから是非礼を述べたかったのだが、今は出仕していて居ないらしい。晴明と話終えた彼女は勾欄に腰掛けながら、庭を眺めていた。
不意に、白いものが天から落ちてきた。手を伸ばしてそれに触れてみる。すると、それは直ぐに溶けてしまった。其れが雪であると理解するのに、いくらか時間を要した。
ふ、と頬を弛めて笑む。
人は変わっても、自然は変わらない。些細なことではあったが嬉しくて、勾欄から飛び降りると灰色の空を見上げ、思い切り深呼吸する。冷たい空気が心地好い。
「名前!」
懐かしい声に名を呼ばれて、振り向くと太裳が居た。彼が自分の名を憶えてくれていたのが嬉しいのか、彼に会えて嬉しいのか。おそらくはその両方なのだろう。瞳から大粒の涙が溢れ、其の所為で視界が歪んでよく見えない。
それでも、見えた彼は昔と変わらない笑みを浮かべていた。
「お帰りなさい、」
「ただいま帰りました」




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