突然鍵盤を叩くと、名前は肩を震わせた。
楽譜は読める。どの音がどの鍵盤か覚えている。演奏の技術に関しては大学の教授のお墨付きだった。交換留学に行くことも決まっていた。
だけど、もう。
名前はぼたぼたと落ちる涙の冷たさを感じながら、虚ろな目で時計を見上げた。激しく降る雨が窓を叩く。
なにも、音が聞こえなかった。
音が聞こえない。
無音の世界だ。
──残念ですが……
無常にも医者が告げた一言が、頭の中で繰り返し流れる。
なんで私なんだろう。なんで私だけ。あの事故に遭った人は他にもいたのに。どうして私なの。


街に出るのが嫌になった。

人と喋るのが嫌になった。

人に会うのが億劫になった。

──音楽が、嫌いになった。


楽譜を読めてもいくら演奏技術が優れていても。音が聞こえない。音が無い。


また鍵盤に指を乗せた。記憶の中の音を辿りながら懸命に弾く。

目が見えなくてもピアノを弾ける人がいるよ。かのベートーヴェンだって生涯音楽を続けていたじゃないか。
どんななぐさめも名前には届かなかった。
名前に取って音楽とはこれまでの人生のすべてであり、音こそが世界のすべてだった。






やがて耳が聞こえなくなっていくという病は進行し続け、つい先日とうとう何も聞こえなくなってしまったという。それからというもの、従妹の名前は部屋から出てこなくなった。食事はどうしてるんだろうとか、兄弟みんな心配をしているのに。キッチンもあるし、きっと大丈夫だろうと思うのだが、いかんせん心配だ。右京は書類を整理していた手を止めてため息をついた。帰ったら雅臣兄さんと相談しよう。そう決めて、それからもう一度右京はため息をついた。




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