ナイトメアエクリプス

*現地ヒロイン





ごりごりと、何かを磨り潰す音が微睡みの邪魔をする。目を擦りながら体を起こすと、まず薬棚が目に入った。多分、此処は保健室なのだろう。だとしたらはらりと落ちたこの手拭いは、保健委員会委員長の善法寺伊作のものだと推測される。
どうやら知らず知らずのうちに寝入ってしまったらしい。室内は少し暗く、開け放たれた戸から夕日が射し込んでくれなゐいろに染まっていた。─血みたいだ─ 一瞬そう考えて、すぐに頭(かぶり)を振った。ついさっきまで忍務だったから、少し気が立っていたのかもしれない。そう結論づけて、欠伸をひとつ。
「おはよう」
不意に聞こえてきた聞き慣れた声に振り向くと、手を止めた伊作が悠然と微笑んでいた。手元を見ると、薬草を磨り潰すための薬研があってどうやらこの音が原因で私は起きたらしい。
「起こしてくれたら良かったのに」
拗ねたように唇を尖らせると、伊作が眉を下げてへにゃりと笑った。
「だって、気持ちよさそうに寝てたから」
普段から見慣れている、はずなのに。伊作の困ったような、呆れたまじりの笑顔に思わず涙ぐむ。ああ、生きて帰ってきたんだ。今回の実習は中々難しく、苦戦した。仕舞いにはばれてしまい、学園へなんとか逃げ帰ったけれど、相当の手傷を負った。
――手傷?
自分の格好を改めて見下ろしてみる。手傷なんて何も負っていないし、忍び装束ではなくくのいち教室のあの桃色のかわいい制服だ。ズキリ、と頭が傷んで思わず手をやって――どろりとした違和感に、思わず手を離す。右手を見つめて、愕然とした。血。血なんて、いったい、どうして、なんで
「どうしたの、真っ青だよ」
気が付くと伊作が目の前にいて、私の右手を握り締めていた。伊作は心底心配だという顔をして大丈夫?と首を傾げた。
咄嗟に手を引いた。
こんな、真っ赤な血に染まった手だなんてこの清廉な人には触ってほしくない。左手で右手を隠すように胸の前で握って――伊作の顔を見て後悔した。伊作はとても悲しそうな、傷ついたという顔をしていたから。
「ごめん、伊作、そんなつもりじゃ!」
「ううん、いいよ。仕方ないよね。君は僕が嫌いなのに。ごめんね」
もう触らないからと言って、作業に戻ろうとする伊作を、私は必死の思いで呼び止めた。
「私は伊作のことそんな風におもってなんてないよ!」
「じゃぁ、なんでこんなことをしたの?」
振り返った伊作の眼下から血が滴り落ちた。気付けばあたり一面血塗れで、室内では可愛がっていた後輩と思しき身体が転がっていた。急いで抱き起こすと、後輩はすでに息絶えていた。血に濡れた頬を拭ってやる。元々血の気の少なかった頬はさらに青白く、冷たかった。亡骸を抱き締めて、慟哭する。
誰だ。
一体誰なんだ、私の後輩を殺したのは!
「君だよ、君がやったんだ」
振り返り際に見えたのは、伊作が苦無を私に向かって ふ り お ろ す す が た ―――










パチりと目が覚めた。
薬研(やげん)を磨る音がするから、此処は保健室なのだろう。
それにしても恐ろしい夢を見た。私が可愛い後輩や伊作を手にかけるなんてそんなこと。あるはずがない。頭を降って、また横たわる。この時間帯は此処が一番日当たりが良いのだ。
ごり、ごりごり。ごりごり。
一定のペースで繰り返される音が、耳に心地いい。うつらうつらしていると、少し離れたところから忍び笑いが聞こえた。振り返ると伊作が薬研の手を止めて口元に手を当てて笑っていた。
咎めるように名前を呼ぶと、伊作が眉尻を下げてごめんごめんと言った。ちっとも申し訳なさそうに見えない。
「君が転寝(うたたね)するなんて、珍しいね」
「そうかな」
そうだよと返して、伊作は薬作りを再開する。室内には、今磨り潰しているのだろう、薬草の匂いが充満していた。いつもなら臭いと文句を言うところだけれど、不思議と言う気にはならなかった。変わりに再び巡ってきた眠気に、身を委ねる。うとうとしていると、くすりと笑う声が聞こえた。
「また寝るの?」
うん
「ふふ、おやすみ」
おやすみ


ナイトメアエクリプス





薬研(やげん)…漢方薬などを精製するのに用いられた道具。
ナイトメア…夢魔
エクリプス…月蝕、蝕




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