一条将輝が好き



将輝が見たこともない顔で深雪さんと踊っていた。恋してます、って顔に書いてある。将輝にそんな顔をさせる深雪さんが羨ましくて俯いて唇を噛んだ。私といる時の将輝はそんな顔はしない。いつもすました顔をしてつまらなさそうにしている。なのに……。深雪さんが何か言って、将輝が少し頬を赤らめて微笑んだ。なんの会話をしてるんだろうとかそんなことよりも、目の前の光景がショックだった。
深雪さんはとても美人だ。他のどんな見目麗しい人でも彼女の美貌には敵わないだろう。それほどに彼女は美しい。それに加え女性らしい身体つきにやわらかな物腰。少女らしい可憐な微笑みを彼女から向けられて嬉しくない人はいないだろう。あぁ、ほらまた。将輝が彼女に微笑んだ。
彼女を嫌う人なんていない。きっと誰もが彼女を好きになる。彼女はそういう人なんだ。分かってしまうから、余計に悔しくて、悲しい。私は将輝の婚約者だけど、彼の恋人になることはない。やがて夫婦となってもそこに愛情はないのだろう。
これ以上惨めな気持ちになる前に部屋に戻ろう。そう思って顔を上げると、近くのテーブルにいる吉祥寺くんと目が合った。吉祥寺くんが軽く目を見開いた。咄嗟に目を逸らして、扉に向かって足早に歩き出す。

「待って、どこ行くの」

手首を掴まれて立ち止まった。吉祥寺くんの声に気遣う気配を感じて、余計に惨めになった気がした。

「放して、吉祥寺くん。部屋に戻るの」
「僕が泣きそうな顔した君をほっとくと思う?」

そっと顔を覗き込んで、吉祥寺くんがやわらかく微笑んだ。思わず胸がギューっとなって、我慢していた涙がこぼれそうになる。ほっといてよと返した声は少し震えていた。

「君、ダンスは得意?」
「……踊れるけど、好きじゃないわ」
「僕も得意じゃないんだ。良かったら僕の部屋でチェスをしない?」

吉祥寺くんの綺麗な赤目が私を真っ直ぐに見つめる。もし将輝じゃなくて、彼を好きになれてたら。今日みたいに苦しむことはなかったかもしれない。そんな事が一瞬頭の中をよぎって、自嘲した。頭を振って考えを追い出す。どうしたって私は彼が好きで、それは変えようのない事実なのだから。吉祥寺くんの瞳の奥に燻っているものに気づかないふりをして、精一杯微笑み返す。

「カーディナル・ジョージの相手が私に務まるかしら」
「ルールさえ覚えちゃえば簡単だから大丈夫だよ」

それじゃあ僕の部屋に行こうと、吉祥寺くんにてを引かれて会場を後にした。










「はい、僕の勝ち」
「また負けたわ……」

クスクスと吉祥寺くんが楽しそうに笑う。つられて私も笑った。
パーティーを中座して彼の部屋で始めたチェスは思っていたよりもずっと面白かった。気づけばさっきのことはすっかり忘れて夢中になっていた。チェスは将棋と似ているようでまるで違う。チェスは進めていくにつれて駒が減っていく消耗戦だ。取った駒は二度と使えない。どう攻めれば、チェックが取れるのか。必死に考えを巡らせるのだけど、今のところは全敗だ。

「もう一回よ」
「また?もう遅いけど」
「これで最後!」

吉祥寺くんが苦笑して、駒を盤上に並べる。私も彼の手元を見ながら並べていると、突然扉が開いて将輝が入って来た。目が合った瞬間、将輝が顔をしかめた。手を止めて、おかえりなさいと言うと言うと、将輝が少しきつい口調でなんでここにいるんだと言った。

「お帰り将輝。彼女は僕が呼んだんだ」
「……そうか。彼女の相手をありがとう。名前、もう遅いから部屋まで送るよ」
「ありがとう。将輝。吉祥寺くん、今日はありがとう。楽しかったわ」
「僕も楽しかったよ。ありがとう。おやすみなさい」
「おやすみなさい」

礼を言って立ち上がると、すぐに将輝に手を取られた。心配そうに私を見る吉祥寺くんに大丈夫よと微笑んで部屋を出た。



将輝に手を引かれるまま歩く。部屋は何度かお互いに行き来しているから知っていた。互いに無言のままで、靴音だけが聞こえていた。
やっぱり吉祥寺くんの提案に乗らなければよかったかもしれない。チェスは楽しかったけど、夢中になるあまりに時間をすっかり忘れていた。はぁと溜息をついた。とたんに壁へ押し付けられて、一瞬呼吸ができなかった。背中を思い切り打ったせいで痛かった。文句を言おうと将輝を見るとグリーンの美しい目を怒らせていて言葉を失った。

「なんでジョージと二人きりだった」
「なんでって、彼にチェスをしないかと誘われたの。それだけよ」
「君は俺の婚約者だろう」

脳裏に将輝が顔を赤らめて深雪さんと踊っていたのがよみがえる。私にはそんな顔しないくせに!

「将輝だって深雪さんと楽しそうだったじゃない!!あんなデレデレしちゃってさ!いっそ深雪さんと婚約でもなんでもすればいいじゃない!」

将輝の手を振り払って、駆け出す。自分の部屋に駆け込むと、内側から鍵をかけた。将輝が何か言っていたけど気にしている余裕はなかった。言ってしまった。あんな醜い感情なんて、言うつもりなんてなかったのに。後悔ばかりが頭の中をぐるぐると駆け回る。将輝は追いかけてこなかった。それが答えなんだろう。喉がキューっと熱くなって、嗚咽がこぼれる。結局私ばかりが将輝を好きなんだ。将輝は私との婚約を解消するのだろうか。そう考えるととてもやるせなかった。





140805



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