噛み癖のある尊さん
※噛み癖のある尊さん
※それとなく情事を匂わす表現があります。R-15
鏡に映ったそれを一つ一つなぞって、私はため息をついた。彼女の肩のあたりにはいくつかの歯形とキツい情痕がついていた。尊と寝たあとはいつもこうだ。もう毎度のことなので憤りを通り越して呆れさえ感じてしまう。
「朝から溜息か」
驚いて振り向くと、尊が洗面所の入り口近くの壁に気怠げに寄り掛かっていた。跡のことについて文句を言おうと思って私は尊を睨んだ。
「誰のせいですか誰の」
「……誰のせいだ?」
尊がニヤニヤしながら首を傾げた。わかってるくせに訊くだなんて腹立つ。
「あんたのせいだよあほたれー!尊がこんなに跡つけるから暫く首開いた服着れないでしょ!こないだ友達に見られてどん引かれたんだからね!尊のお馬鹿!」
「そんなことか」
鏡の横に手を突いた尊がにやりと笑いながらつつ、と肩をなぞる。首をたどって顎を掬われて、軽く口付けられる。
「別に隠す必要ないだろ。見せ付けてやれば良い」
「いっつ!」
がぶりと肩に噛み付かれた。噛み付いた所を、少しざらついた舌で舐める。何だよ。風の谷のナ●シカのテトかよ。いやテトのがまだかわいい。テトがナウシカの指を傷つけてしまい、申し訳なさそうに舐めたあのシーンに擬音を付けるならペロペロだ。尊はベロリ。まるでライオンや何かのようだ。
呆然としてると、服の中に冷たい手が入り込んできて私ははっとした。
「ちょっと尊!」
慌てて非難の声をあげると、尊が最後にちゅと軽く吸ってから顔を上げた。
「いいだろ」
「私、仕事なんだけど」
「ちっ」
舌打ちすると、尊は渋々離れていった。時計を確認すると、もうすぐ七時を差そうとしていた。あわてて白のシンプルなワンピースを着て、首にストールをを巻いた。腰にワンピースとセットの赤いエナメル質の細いベルトを着けた。髪を簡単に結わいて、申し訳程度に化粧した。朝はまだ肌寒いので上着にネイビーブルーのジャケットを着る。カバンを持ってローヒールのパンプスを履いた。朝食は駅で買おう。もう一度時計を確認すると、七時二十三分だった。そろそろ出ないと電車の時間に間に合わない。玄関まで見送りに来てくれた尊を振り返る。まだ寝癖で少しボサボサなのがなんだか彼を少し若く見せた。
「行ってくるね、尊。鍵はいつものとこにお願いね」
「あぁ。気を付けて行ってこい」
いってらっしゃいのキスをしてから家を出る。この瞬間が私は尊と過ごす時間の中で2番目に好きだ。いってらっしゃいのキスだなんて夫婦みたいで、気恥ずかしさもあるけど嬉しかった。
朝日がまぶしい。駅までの道を早足に歩きながら、さっき尊に噛まれたところを撫でる。尊の噛み癖に気付いたのは、尊と何度目かの体を重ねたときだった。終わったあと鏡を見ると歯形と、情痕がいくつもついていた。ヒリヒリするし時々血が出てたりするけど、ひょっとしたらこれが彼なりの愛情表現みたいなものなのかもしれない。そう考えてみるとちょっと微笑ましい気もするけど、痛いのはいやだし、そのたび服装を考えなくちゃいけないのは面倒だ。今度あったら、そのときは止めるようにきつく言おう。
20140721