永遠を望んでいたわけじゃない


ザアザアと雨が降っていた。空は物語にあるみたいにねずみ色ではなかったけれど、雨が降っていた。雨は地面を濡らし、草木を濡らし、私を濡らす。空はねずみ色でもない白でもない雲が覆っていて、変に明るい。太陽なんて、出てもいないのに。
私はため息を吐いて、家路を急いだ。遠く相模の地への道のりは長い。
あぁ。天上から落ちてくる雨が、わずらわしい。お気に入りの着物はこの雨の所為でずぶ濡れで、重たく、生地が肌にはりついて気持ち悪かった。裾に泥が跳ねているのに気付いて、また、ため息を吐いた。
濡れた髪から伝う水が気持ち悪かった。濡れた衣服も何もかもがわずらわしい。気持ち悪いものは世の中にいくつもあるけど、その中でも己を『天女』と称するあの女が一番気持ち悪い。あれは本来此処にいるべき生き物ではないのだ。あんな歪で腐臭がする彼女はきっと異形だ。この世にあるまじき、異形の女。忍たまたちに囲われた、異形の女。なんて滑稽なんだろう。忍びの卵たる彼らがたった一人の、しかも異形の女に骨抜きにされるなど。馬鹿馬鹿しい。
ふいに乱暴に腕を引かれて、反撃しようとしたら、それは仙蔵だった。らしくなく肩で息を吐きながら、仙蔵はとぎれとぎれに行かないでくれと言う。
「ありがとう、仙蔵」
仙蔵の頭を撫でながら、学園での日々に思いを馳せた。互いに競い合い学び……ときに辛い別れもあった。学園を辞める子もいた。それでもあそこはあたたかく、優しい場所だった。
「でもね、無理なのよ」
「なぜだ!」
仙蔵が激昂する。
苦しいだろう、あそこで正気でいるのはさぞ苦しいだろう。友は天女に溺れ、勉学や鍛練をおろそかにし。委員会活動のほとんどが、ほぼ活動停止状態にまでなってしまった。下級生と先生だけでまわすには、手に余るのだ。
学園の方角を見て、まだ残っている友人たちに思いを馳せる。
「忍術学園は…ずいぶんと変わってしまったわ」
「何を言う、どこも変わってなど」
「いいえ、変わったわ。……変わってしまったのよ、天女の所為で」
ある日、私たちの学舎に女が落ちてきた。女は見目麗しく、手に一つの傷もない姫君のような手の持ち主で、心優しいひとなのだそうだ。彼女はすぐに皆に受け入れられ、天女と持て囃された。
「違うわね。それもあるけど、私たちが変えてしまったのよ」
特に上級生の入れ込み様はすごかった。天女に気に入られようと競い合う姿は酷く滑稽で。それまでの委員会活動を放って、天女さま、天女さま。なんと愚かしいのだろう。
仙蔵は首を振った。
「…そんなことはないさ」
悲しそうな顔をして仙蔵は言った。
「私、家に帰らなくてはならないの」
「あぁ」
「お父様が、こんな腑抜けた学園には置いておけないって」
「…そうか」
元々、行儀作法を身に付けるために通っていた学園だ。最高学年にまで残させてくれた父にはいくら感謝してもしたりない。
「もう、会えないわ」
そっと指を解けば、仙蔵は捨てられた犬みたいな顔をして立ち尽くした。さようならと別れを告げて、また家路を辿る。今日中にこの山を越えねば、野宿になってしまう。大抵の難は自分で退蹴られるとおもうけど、油断大敵火がボーボー。何かあったときを思うと怖いし、今日中に町に入りたい。

「名前っ!」

ぐいと強く腕を引かれた。
力いっぱい仙蔵に抱き締められた。切なくて、苦しくて、胸が締め付けられる。本当はまだ家にだなんて戻りたくなかった。まだ学園に居たかった。だっていつかきっと、みんな元通りになる。今は天女さまが珍しいからみんな夢中なだけなの、きっと、きっとそう。
雨が私たちを濡らす。
まるで泣けない私の代わりに、泣いているみたいだ。
「会いに行く」
しとしとと雨が降っている。
「文次郎も、伊作も留三郎も小平太も長次も、みんな連れて」
「……っ」
「会いに行く」
仙蔵の声が、力強く私のなかに響く。
いつのまにか雨は、止んでいた。




永遠を望んでいたわけじゃない






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