身分差

※ヒロインは忍です
※後半黒幸登場です




どこからか幸村の声が聞こえた気がして、名前は上体を起こした。たしか、破廉恥でござるとか言っていたような気がする。また長が何か言ったのか。すぐにどたどたと慌ただしい足音が聞こえて名前は嘆息した。
「幸村さま」
「うぉっ」
屋根から身を乗り出して、名前は幸村を呼び止めた。このままでは埃が立つし屋敷の床が抜けかねない。
幸村は立ち止まると、真っ赤な顔をさらに赤くさせた。屋根から降りて、問い掛ける。
「どうかしたんですか?」
口布を下げて問い掛けると、幸村はなんどかどもりながら佐助が女中と接吻していたと答えた。
…いつから長は女中に手を出すようになったんだろう。みそこないましたよ、長と心の中で呟いた。
「それくらいで、取り乱さないでください。仮にも武田の虎若子のでしょう」
そろそろ、というかもういい加減正室か側室の一人などがいてもおかしくないだろう。隣国の若殿はつい先日、ご成婚されたらしい。幸村は想い人の一人や二人、いないのだろうか。
幸村がどこかの姫君と挙式しているのを想像して、名前は泣きたくなった。
結婚でもしてくれれば、潔く諦められるのに。こんな叶わない報われない恋とおさらばできるのに。
名前が軽く嗜めると、幸村はだが…などと言い淀んだ。どうせそのあとには破廉恥だのなんだのとぶちぶち並べるんだろう。
「はぁ…幸村さまだっていい年なんですから想い人の一人や二人いるでしょう」
「お、おお、想い人の一人くらいは居るでご、ござっ!?は、破廉恥でござるぁああぁあー!」
思わず耳を塞いだ。
想い人、いるんだ、幸村さま。まぁ、いい年だもの。当たり前だよね。男だから問題ないけど、女だったもう行き遅れですもんね。かくゆう私もそろそろ危なかったりしまし。
胸が痛むのを押し殺して、眉をしかめてうるさいですと言う。
「はいはい。分かったから黙ってよもう…。あんまり初だと、引かれますよー」
とは言っても、伊達の殿様みたいに女慣れしているのもちょっと複雑だけど。やっぱり多少は初な方が楽しいし。でも幸村の初さは論外だ。初すぎる。童貞丸出しだ。
「なっ……!」
「私は伊達の殿様みたいに女慣れしてるのもどうかと思いますけどねー。引くうんぬんは私と友人の体験談なので確かですよー」
正直、初な面を知ったときはかなり引いた。戦場ではあんなにも凛々しく駆け回っているのに、女慣れもしてなければ、初とは。
今はそんな面も含めてお慕いしていますけどね、と心の内でそっとつぶやく。
「私はそんな幸村さまでもお慕いしていますけどねー。想い人がいらっしゃるなら、その方を御正室に添えられては?」
「正室に…」
「武芸に秀で戦で数々の功績を上げた真田家からの申し出を断る家などそういないのではないでしょうし、他国であればそれをきっかけにどうめ」
「では名前、そなたが正室になってはくれぬか」
「…………はい?」




頭の中が真っ白になるってこういうことなんだと思った。何も、考えられない。幸村さまは、なんと仰られた?
「女子の扱いなら、心得ているぞ」
幸村が名前の腰に手を回して抱き寄せる。汗の臭いがした。もしかしたら、鍛練の後だったのかもしれない。
「それに、俺もそなたを好いている。相思相愛だ、問題ないだろう」
顎を捕まれ、上を向かされた。近い。幸村さまの吐く息を感じられる程に近い。私の頬を優しく撫で、いとおしげな眼差しで私を見つめる幸村さまは、今この時は、『男』だった。
「おっお止めください、幸村さま…!ご冗談はよしてください」
あわてて胸を押して距離を取る。
きょとんとした幸村さまには悪いが、私はそんな話は到底受け入れられない。側室ならまだしも、正室に私なんかをそえるなど!
「私なんぞを正室にそえるなど、ご冗談が過ぎます。正室には私のような忍などではなく、身元のはっきりした姫君をお据えください」
「俺は本気だ」
「幸村さま!」
「そなた以外の女子をめとるなど、考えられぬ。どうか正室になってはくれぬか」
再び抱き寄せられて、幸村の顔がぐっと近くなる。間近に彼と視線を交え、すぐにそらしたくなった。
もう一度、俺は本気だと幸村が言う。
「そなたが俺の正室にならぬと言うのなら、俺は一生誰もめとらぬ」
「っ……!」
今すぐにはいと答えたかった。
彼と添い遂げられたらなどと、馬鹿げた夢をみたこともあった。
でも、それは。
叶わない夢だからこそ見れたのだ。
「……そのような事を軽々しく申すものではありません!私は一介の忍にすぎないのです、対してあなたさまは真田家の跡取り……!わかってください、真田さま。私とあなたではあまりにも身分が違いすぎるのです。側室なら前例がないこともないでしょう。ですが正室など、他の国の者になんと言われる事か…。真田の、いいえ引いては武田の不名誉ともなりかねません」
流石に言い過ぎただろうか。だけど事実だ。しょうがないけど、事実なんだ。
私だってあなたの想いに答えたい…!
「私、長に言って暇をいただいてきます。頭をよく、冷やしなさいませ」
なにが真田のために、ひいては武田のためになるか。たかが婚姻、されど婚姻なのだ。例えば同盟国の城主の娘と幸村さまが婚姻を結び、正室に迎えられたのであれば、同盟はより磐石なものになるだろう。婚姻と言うのはある意味では外交なのだ。
名前は幸村の腕からするりと抜け出すと、一礼して歩き始めた。
幸村と一度距離を置かねばならない。名前は長──佐助に暇を申し出たら、どうしようかと思考を巡らせる。
そうだ、明智はどうだろう。
最近明智が飼い始めたという鳥に姫は興味があった。噂ではあるが、あの死神が飼っているという事はただの鳥ではないのだろう。もしくは鳥と言うのは比喩で、もしかしたら姫君かもしれない。先日、東雲の姫が嫁ぐはずだった山科国が明智によって一夜のうちに滅ぼされたらしい。姫君の篭は夜襲にあったと言うが、実際はどうなんだろうか。輿入れ前より文を交わし、ときには逢瀬を重ねた二人だ。案外答えはそうかもしれない。



「ならぬ」



ぐ、と腕を引かれたかと思えば、次の瞬間には口吸いをされていた。ちゅ、と啄むように、何度も角度を変える口吸いに名前は呆然とした。──私は今、誰に口吸いされてる?
幸村の厚いかさついた唇が、何度も緩やかに名前の唇を食む。時折れろ、と舌が唇を撫でた。
「──幸むっ」
止めてくださいと口を開いたとたん、待ってましたとばかりに舌が入ってきて口吸いはより深いものになる。飲み込みきれない唾液が、顎を伝う。
息苦しくて、彼の肩を少し強く叩くと、ようやく解放された。肩で息を吐きながら、彼を平手打ちした。小気味いい音がした。幸村の頬が赤く腫れていて、名前はしまったと思った。でもそれをおくびにも出さず、きっと幸村を睨め付けた。
「ご冗談はお止しくださいと申し上げたハズですが」
「俺は本気だ、名前」
「っ幸村さま!!」
思わず声を荒げた。
なんでこの人は分かってくれないんだろう。私が貴方をいくら思っていても、それは叶わないで然るべきなのだ。忍と名のある武士とが夫婦になるなど、お笑い草もいいとこだ。身分違いの恋など、絵巻物の中でのお話だ。現実になればそれは叶わない、叶ってはいけない。
「どうしてわかってくれないのです!私は卑しい忍、かたやあなたは名のある武士。どうして結ばれることができましょう!っあなたの恥になると分かっていて、どうして頷くことができましょうか!あんたと私じゃ身分が違いすぎるんだ、それくらい分かれよ!!」
最後の方は、ほとんど叫んでいた。喉が焼けるように熱くてヒリヒリするし、視界が涙で滲むしで姫は最悪の気分だった。
鼻をぐずぐずとならしながら、名前は言った。もう、どうにでもなってしまえ。どうせ暇を貰うのだし、もう、いい加減言ってしまいたかった。名前の中の女の面がむくむくと顔を出す。
「私だって、あなたが好きなんです。好きで好きで、たまらない。あの薄汚れた戦場で、凛と佇むあなたを一目見たときから、ずっとあなたが好きだった…!あなたを知るたび、触れるたびにもっと好きになっていった。でも!この恋は叶っちゃいけないんです」
涙が頬を濡らす。切なくて、胸が張り裂けてしまいそうだった。名前は泣きながら、もう一度いけないんですと呟いた。
「誰がそんなことを決めた」
戦場では槍を振り回す手が、優しく名前の涙を拭った。名前の肩がびくっと跳ねる。
「一体誰が、そなたを卑しいと言った。俺とそなたの身分の差がなんだ。陰口を叩かれようがなんだろうが俺は構わない。そんなことは言わせたい奴に言わせておけば良い。俺は名前を恥だとは思わぬ。名前、二度は言わぬ、よく聞け」
幸村の静かな瞳が、じぃと名前の瞳を見つめる。
「俺はそなたが好きだ。俺と妹背になってくれぬか」
「っ!…………ホントに、気にしないんですか」
「ああ。気にしない」
「、佐助や、親方さまに反対されるかも」
「説得する」
「真田の、ひいては武田の不名誉となるかもしれないんですよ…?」
「小さなことを気になさる親方さまではない」
「……本当に、私を正室にとお考えですか」
「くどいぞ、何度言えば分かるのだ」
幸村は名前の目尻にそっと口付けて、微笑んだ。
「俺の正室はそなたしかおらぬ」
「……っ」
幸村の真摯な言葉と眼差しに、名前はとうとう小さく頷いた。好いた男に、これほどまでに求められて名前は今、この上なく幸せだった。
私がこの人の隣に居るのは、もしかしたら悪評を呼ぶかもしれない。真田の末代までの恥となろう。でも、これから遅いくるだろうどんな逆境も、彼と一緒なら



「幾久しく、お願いします。幸村さま」



End.


このお話は、FeElInGの璃貴里さんとキャラメのやりとりの間で生まれました。メールしてたらこう、無性に書きたくなってしまいまして←



ここまで読んでいただき、ありがとうございました。




2013.03.20.



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