02




星月せんせいと私との間には一本の細くて厚い白線が引かれている。これは他の先生との間にはなくて、星月せんせいと私の間にだけ存在している。これをなかったことにしちゃうのは、きっとすごく簡単だ。だけど、それまでがすごく難しいと思う。せんせいは何か傷を抱えていて、それはかさぶたになったはずなのに、今も血を流しているんだ。これがなんの傷なのかは、私には分からない。せんせいがとても痛くてたまらないって悲鳴をあげているものを、私は臆病だからいつも知らんぷりをして踏み込めないでいる。だって踏み込んだら、この人はきっと逃げてしまう。
頃合いを見計らってお茶をデスクに置くと、せんせいはありがとうとだけ言った。無感動に、言葉を吐き出した。何か考え事をしているみたいに、言葉はふわふわと浮いている。
せんせいは椅子に座ったまま伸びをして(このとき椅子がキィィとないた)、それからお茶を一口すすった。

「……お前のお茶は美味いな」

とっさに、誰かと比べてるんだって思った。そしてそれは、マドンナと慕われた、夜久月子先輩なんだとすぐに思い当たった。ある時期まで二人はとても親密だったと、陽日先生がすこし寂しげに言っていた。きっとそれは、陽日先生にとって楽しかった日々が失われてしまったからなんだろう。

「……祖母に美味しい淹れ方を教わったんです」

そうか。と言って、星月せんせいはまた一口すすった。それからまた沈黙が落ちる。
私はこの沈黙が存外嫌いでは無かった。星月せんせいが片付けられないでいるこの保健室を片付けるのも。そのたびに少し、切なそうな目をする星月せんせいも。むしろそれを好ましくさえ、思っていた。誰かの跡を上書きするみたいで、ほんの少し、優越に浸れるから。
星月せんせいは多分、夜久月子先輩が好きだったのだ。ある時まで親密だった二人。別れたのか、星月せんせい自身が彼女を遠ざけたのか。子細は分からない。だってその頃、私は学園にはいなかったし、たとえ親しかっただろうとしても、星月せんせいは教えてはくれないだろう。また傷ついてしまうことを、何より恐れている人だからだ。

「ねぇ、せんせい。恋ってなんでしょう」

星月せんせいの目が、揺れた。

「さぁな」

答えた声は、少し擦れていた。

「俺にも分からん。むしろ教えてほしいくらいだ」
「せんせいでも知らないことってあるんですね」

心外だなとでも言うように、せんせいは肩をすくめた。

「俺だって知らないことくらいあるよ」



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