棺 に 餞 別










綺麗という言葉。美しいという言葉。幾らどんなに並べ立てても、目の前の男には当てはまらない。届かない。伝わらない。男は優雅に微笑んで見せて、結局イギリスの言葉などいつも本当には聞いていない。綺麗だなんて、お前の口から出るものとは思えない単語だね。そんな皮肉ばかり、そんな揶揄ばかりして。イギリスの言葉なんて聞きやしない。砂を掴むような感覚で、水のなかのアクアマリンを探すような心持ちで、そのたびにイギリスは不甲斐なくなるし、情けなくなるし、苛立つし、そして自分のこの醜さを疎ましく思う。憎悪すらする。イギリスの容姿も心も、その口から放たれる言葉も想いも何もかもが醜くて、美しくなくて、そして薄っぺらくて、汚くて、だから、この男は自分の言葉など聞かないのだと。そう思っていた。じぶんがきれいでないから、だからなにもとどかないのだと。いちばんちかくにいたのに、おまえはいちばん、おれをしんじていなかったな、と。

 そんなことを、ただ無言の沈黙と、雄弁の静謐でもって、目の前の棺に向かって伝え続けるのだ。

 男はやはり死して尚美しかった。美しさには死が宿ると、男の国のとある書物が伝えていた。それを自慢げに話していたことを、イギリスは一秒前のことのように憶えていた。思い出せた。だからお前の身体からは女の死臭がするんだなと、鼻で笑ってやったことも。ぜんぶ、ぜんぶ。おぼえている。
 すると男はつんと鼻と頤とを尖らせて、得意気に言ってみせた。「それは俺を想って死んでいった彼女たちの香りさ」
 イギリスは嘲るつもりでの発言だったので、とても面白くなかった。その顔が歪めばいいと思った。だから、更なる皮肉と嘲笑とを被せてやった。
 ならば、お前から薔薇の香りがして死んだなら、それは俺の想いと一緒だな。
 すると男は、フランスは。
 とてもとても嬉しそうに。
 至上の喜びのように笑った。
「お前の想いは重過ぎる」

 今思えば、あれは明らかなる拒絶だった。受け止めて、受け入れて、その上での拒否だった。
 笑顔の奥で、きっと彼は自分を憎悪していた。

 その笑顔すら、今はもうない。男はイギリスを、憎悪も嫌悪もしない。何も云わない。何も伝えない。何も届けない。
 なんだ、そんなの、生前と何も変わらないじゃないか。
 イギリスは小さく笑った。手の中の紅い薔薇の花束を棺の頭上に掲げてみせた。束ねていた青いリボンを解いた。ばらばら、ばらが、彼の棺のなかに。
 散って。

(薔薇の名の戦をしたこともあったな)
 イギリスは小さな唇に言の葉を乗せてみた。吐息が漏れるばかりで声にはならなかった。
(お前のたいせつなひとを、たくさん殺したな)
 誓いだけたてた、あの少女、とか。
(なんかいも、お前は睦言のようなことを囁いたな)
 でも決して、唇だけは重ねなかった。
(俺のことを、愛してるって、)
 そういう残酷な復讐を、何度も何度も。
(お前も、俺に負けず劣らず嫌な奴だったよ)
 くされ髭ワイン野郎が。

 棺のなかの顔は白い。その隣に紅い花弁が落ちている。反射光でその頬に赤みでも射さないかと思ったが、そんなのは意味がないとすぐに思い直した。第一にして、別にイギリスはこの男と再び言葉を交わしたいわけではないのだ。男の笑みが見たいわけでもない。声が聴きたいわけでもない。手を握りたいわけでもない。無骨な身体の流線を、その感触を味わいたくなどもない。瞳の奥の、たゆたう色彩に溺れたくなど、絶対に、
 絶対に。
 涙など、出なかった。
 さようならを云わなかった。死に目にも会わなかった。彼の国の疲弊した国政を耳にして、自らの経済に対する負担だけを考え思案し懸念し続けた。机の上に重なる書類の山と格闘して、秒針の刻む音に急かされて、窓の向こうの空の色に瞳を濁らせて。
 思考と、虹彩とが、狂うように、
 窓の向こうの、青い空と、夕焼けと、伸びていく朱鷺色の雲と、
 色、コントラスト。
 がつり。
 衝撃。
 時間と色彩と思考の洪水。

 目の奥が震えた。戦慄いた。

 それでも尚、涙は一筋も流れなかった。
 視界のなかで、ただ一つ。
 薔薇の紅。
 彼にはあまり、似合わなかった。

「お前なんて」

 イギリスは、平静の声で呟いた。今度は確かな言葉になった。
 真っ白な世界に棺だけが横たわる。
 モノクロの死体に、紅い薔薇だけが横たわる。

「お前なんて」

 俺の想いで死んでしまえばよかったんだ。

 涙は未だに流れない。




















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2012.12.01 イギリスはツンデレ

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