!暗いです
!死ネタあります








なぜこんなにも長い間、彼のことを忘れていられたのだろう。
ひょっとしたら、忘れたふりをしていただけだったのかもしれない。

彼は本来、私とは関わり合いのない世界に生きるもののはずだった。
だから私たちの関係が成立することなど、はじめからあり得はしなかったのだ。
彼には彼の、私には私の生活がある。彼もそれに納得をして、別れを選んでくれたのではなかったか。私の頭はひどく混乱していた。
なにもかもがめちゃくちゃだった。
そこらじゅう穴だらけになった部屋のなかで、奴隷のように両手をついて、彼におびえていた。

革がちぎれ、綿がでているソファーに腰をおろし、脚を組んで私を見下ろすこの男にとって、私の息の根を止めることなど赤子の手をひねることのようにたやすい。
かつて、優しく私の手を包み込んだその手には現代の日本にはひどくふさわしくない拳銃が握られ、真っ黒なブーツの先にはある男の死体がころがっている。彼は、私の大切なひとだった。

人殺し。なんとか絞り出そうとした言葉は声にもならずに消えていった。


「君は、俺を傷つけたんだ」

彼は、ひどく悲しそうにそう言った。

「俺はずっと君のことを信じていたのに」

私を見下ろす水色の瞳から放射される視線は時間がたつごとに鋭さを増している。
私は蛇に睨まれた蛙のように、無力におびえ、恐怖にからだを震わせていた。私たちはなぜ、こんなことになってしまったのだろう。部屋中に充満する火薬のにおいが鼻を通って、涙腺を刺激する。

「ゆるして…………ゆるして……」

もはや彼に、私の許しをこう言葉など届いてはいなかった。

「俺はね、なにも、君のすべてが欲しかったわけじゃない。だってそうだろ。こんな醜いからだじゃ、君の隣を歩けやしないもの。他の男と結婚してもいい。子供を産んだっていい。けれど魂は俺のものって、そういう話だったじゃないか。……やっぱり、忘れているんだね。どうして、あぁ、やっぱり君は、罪深いひとだ。あのとき、君のその言葉に俺の心がどれだけ救われたか。それすらも、なかったことにしてしまうんだね。なんてひどい……なんて残酷なひとなんだ…………俺は……こんなにも……君のことを……。あぁ、わかっているよ。本当はこんなこと間違っているんだ。わかっているさ。俺たちはなにもかもを、間違えたんだ。出会いたくなんてなかった、君となんて。怒りがおさまらないんだ……からだ中の血液が沸騰しているみたいだ……この気持ちを今すぐにでも君にぶつけたくてたまらない……二度と他の男と死のうだなんて思えないからだにしてしまいたい……けれど、けれど、いまここで殺してしまうには、君はあまりにも綺麗だ…………。好きなんだよ。こんなにめちゃくちゃに気持ちをかきまわされても、君のことが好きなんだ……」

彼は拳銃を床に落とし、自らの顔を両手のひらで隠すようにおおった。彼を毒し続けた悲痛な魂の叫びは、ジクジクと私の心の傷を膿ませる。
やはり、この男は私の手におえない。



△▽


たとえ俺たちの関係がまちがっていたとしても、この感情だけはまちがいなどではないと、俺は信じたかったのだ。
誰かを好きになることにまちがいなんてない。そう思い込みたかった。
俺たちのことを祝福してくれたひとはどこにもいなかったけれど、それでも俺の心は幸福だった。
あの日、身を裂かれるかのような激しい恋心を自覚した瞬間、俺は俺にとってかけがえのない大切な感情を確かに得ていた。それは、俺のなかに彼女がいるなによりの証。たとえ彼女がその後他の男と恋に落ちようと、その魂だけは永遠に俺のもので有りつづける。
だからこそ、この男と君が、美しい教会のなかで愛を誓い合うようなことが起きようとも、それは俺の敗北では決してなかった。俺は君を愛している。

純白のドレスに身を包む君が、見知らぬ男に手をひかれ幸せそうに微笑んでいる。瞳は星のような光を放ち、頬は赤く染まり、左の手の細い薬指にはシルバーリングがはめられている。
俺と彼女のあいだには大きな川が流れていて、俺は彼女に触れるどころか近づくことさえできない。彼女は笑っている。俺のいないこちらの世界で。俺がいるべきは、あちらの世界。俺たちは、住む世界が違っている。水流が激しくなる。俺は彼女の名を叫ぶ。彼女は俺に気づかない。彼女は、俺に気づかない──。

やがて、男は彼女に暴力をふるうようになる。
彼女は必死に抵抗をするけれど、成人男性の力を前にすればなすすべなどない。
男は彼女の服をひん剥いて、もっとも忌まわしく、もっとも下品な方法で彼女のことを傷つけるようになる。彼女は涙をながす。宝石のようにうつくしい涙をぽろぽろとこぼす。
男は借金を抱えていた。
男は女遊びが激しかった。
男はよからぬ者たちとの付き合いがあった。

彼女は決意をする。


△▽


「あんまりだとは、思わない?…………君の死だけは、俺のもののはずだったのに」

そうだ、君がこんな男なんかとの心中を選ぶだなんて。
君を苦しめ傷つけたこの男が、君のすべてをさらっていくなんて。

「俺にはそれが許せなかった」

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