思えば彼が私以上に自分自身を愛した瞬間など一度もなかった。 いつだって、私にとっての幸福だけを考えていて、自分のことなんて二の次。 もうずっとそうして生きてきた。
 あのどしゃ降りの日に、なにがあってもきみを守り、愛し抜くよといった誓いを彼は嘘偽りなくその行動で示してきたのだ。
 私は、彼の愛情を感じなかった日など一日もない。

 私たちふたり以外の誰もが知らないこの恋心は、時間を経て、密やかながら確実に、成長をとげた。 この関係の全貌を親しい人たちすべてに打ち明けることができればどんなにいいだろうと思う反面で、人目を盗んでは逢瀬を繰り返すことの喜びを噛みしめていた。 ふたりきりで生きることを皆に認められるのを夢にみながらも、私たちは、決して、この関係を露呈させることはしなかった。
 そうするにはまだ、互いがあまりにも未熟な存在だった。

 それに、私たちのこの関係が、安易に想像できるであろう若くふらちなものにされてしまうことには耐えられそうになかった。 その頃の私と彼のあいだに、やましいものなどひとつもなかったのだから、当然といえば当然だ。
 おなじ部屋で朝をむかえることになったとしても、彼は私に指一本触れようとはしなかった。 私は布団で、彼は床に毛布を敷いて、私たちは必ず、個々に眠りにつくようにしていた。 ながく口づけを交わして睦み合うことも、いやらしく互いの脚を絡めるようなこともしなかった。 彼はどこをとっても潔白で、私の体の清らかさは彼にこそ守られていたのだと言っても過言ではない。

 そんなふうに、お互いを運命の人だと信じて疑わなかった私たちにも危機というものはたしかにあった。
 彼が、彼の上司に見合いをすすめられて、彼と同じ組織で働く評判のいいお嬢さんと知り合いになってしまったときは、今度こそ私たちは終わってしまうのだと思ってばかりいた。
 だって私なんかといつまでもいるよりかは、その女性と身を固めてしまったほうがはるかに彼に益があったのだ。 あの頃の私は彼にわざと嫌われようと躍起になって、彼に対してひどいことばかりを繰り返していた。 それでも彼は私を離しはしなかった。 私がどんなに彼にひどい言葉を浴びせようと、なんど約束を破ろうと、彼はかたくなに私をそばに置き続けた。

「なぜかって? だって、約束したじゃない」

 なにがあってもきみを守り、愛し抜くよ。

「なまえは、忘れてしまったの?」

 彼は、私の心を掴む天才だ。
 私は、もう、彼以外の男など到底愛せそうになかった。
 私はぼろぼろと涙をこぼしながら、なんどもなんども彼に謝った。 彼は、愛おしそうに私の頭を撫で、やさしい声で私を許した。

「いいんだ……、いいんだよ」




 それから数百年後、私は彼との交際を正式に認められて、今は彼の働く獄都で部屋を借りて生活をしている。 彼は明日からしばらくのあいだ、この世に出張任務に向かうらしく当分は会えそうにもないらしい。 
 しばらく獄都を離れることになるような大がかりな任務の前日、彼は必ず私の家に泊まりに来る。 そういうとき、私たちはお互いの手料理とお酒を口に運びながら決まって昔の話をする。  出会った頃の思い出、一緒に行った場所、食べたもの。  記憶こそが、いつも手ぶらな彼と私の、最大の宝だった。 そしてそれは決して誰にも、侵されたり、壊されたりしない。



「いってくるよ」
「気をつけて」
「ごはん、ごちそうさま」
「うん」
「お弁当も、ありがとう」
「いえいえ」
「本当に、感謝してるんだよ。 おれ、きみがいるからこうして頑張れるんだ」

 彼はおおいかぶさるように、私の体を抱き締めてそう言った。 ぎゅうっと体が締め付けられるのは苦しかったけれど、不思議とその息苦しさは思わず涙ぐむほどに愛おしく、手離し難い心地よさがあった。 はやく帰ってきて。 まだ出かけてもいないのに、彼に対して私は思う。

「本当に、いつもありがとう。 こんなおれを、ささえてくれて……。 愛しているよ。 帰ってきたら、かならず一番に、きみに会いにいく」

 私は、まるでこの先何百年も恋人に会えなくなる女のように、涙をぽろぽろと流して、なんどもなんども頷いた。

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