「べつに、俺だって獄卒になんてなりたくなかった」

 特務室の管理長さんに叱られた日のあなたは吐き捨てるようにそう言ったあと、決まって子供のように私のお腹にしがみつく。 そんな顔をしても駄目だ。 あなたは明日も、そこに投げ捨てられた制服を着て、お仕事に行くんだから。 わかっているはず。 たとえギターを抱えて歌ったところで、結局のところあなたはロックンローラーでもなんでもないし、かの偉大な彼のように人の手によって射殺されることもない。
 さっきあなたは獄卒なんて、と言ったけれど本当のところではそんなこと思っていないことも私はちゃんと知っている。

「なにもかもがどうでもいい。 もうみんな死ねよ」

 いい歳をしてなにを子供みたいなことを抜かしているんだこの男は。 というか、死ぬに死ねない人たちばかりのあの世で一体なにを言っているのやら。 くしゃくしゃになっている制服を床から拾い上げ、ハンガーに吊るしているといつのまにか背後にいた彼に唐突にベッドに押し倒された。 死神のように骨っぽく青白い手が着物の襟元にするりと忍び込み、ゆっくりと私の鎖骨を撫でる。

「つ、次の任務が終わるまでは、しないって約束したのに……」

 次の任務が終わるまでセックスはしない。 彼の任務に支障をきたさないために、二人で決めたことだった。 気持ちが通じあったばかりの頃は熱に浮かされるがままに毎晩抱き合っていた私達だが、そのせいで彼が翌日の任務で眠る時間が増えるということを知ってからは大きな任務が入った際にはそれが終わるまでセックスはしないという決まりごとを作った。 はじめは面倒そうな顔をしていた彼も、彼のためを思ってのことなのだと私が熱心に説得を繰り返すうちにしぶしぶ了承をしてくれた。 はずだった。

「だ、駄目だよ、田噛くん……」

 彼の手首を掴んでそっと押し返すと、あからさまに不機嫌な顔をして舌打ちをされてしまった。





 彼とセックスをしていると、たまらなく悲しくなって涙がとまらなくなってしまうことがときどきある。
 生殖行為なんてまるで必要のない、永遠の命を持った彼とのセックスなんてなんの意味があるというのだろう。
 彼が私のことをとても大切にしてくれているのはよくわかる。 セックスが愛し合うためのひとつのコミュニケーションであるということも。
 人間の寿命はみじかい。 人である私は彼と裸で抱き合っている時間を非常に長く感じるけれど、彼からしてみればまばたきをするような時間なのかもしれない。 だから何度繰り返しても足りないし、そうこうしているうちに私は歳をとって、あっというまに死んでしまう。 そんなことを考えると涙が溢れ出してとまらない。 彼はこの時間は今しかなくて、世界中に私しか女がいないみたく大切に大切に私のことを抱いてくれているのに、私はちっともその行為に集中ができなくなってしまう。




「子供の頃の夢は、わたしのママみたいな素敵なお母さんになることだったの」

 そんなありきたりの願いですら、彼という男を好きになった以上は許されない。

「ゆったりとした花柄のロングワンピースを着て、いろんなベビーショップで子供用の服を見て回るの。 もちろん隣にはやさしい旦那様がいて、わたしの肩をそっと抱いてくれている」
「ひとりっこだと遊び相手がいなくてかわいそうだから、弟か妹も産んであげたいな」
「休日は家族四人ででかけるの。 ショッピングモールで買い物をするのでもいいし、お弁当をつくって近くの公園でピクニックをするのもいい」
「……それが夢だったの。 でも、これじゃあ叶いそうにないよね」



「どうしてわたしたちじゃあ駄目なんだろう……」

 言葉にした途端、涙はぼろぼろとこぼれ落ちた。 もしこの人が人間の男性だったなら、いったい私は何人、彼との子供を産んだのだろう。 きっと両手の指ではたりない数だ。
 彼のことが本当に好きだった。 彼に出会えていなければ誰かをこんなに愛しく感じることなんてなかったと思うし、きっと内気で平凡なつまらない女のままだっただろう。 できることならずっと一緒にいたかった。 けれど、私はもう疲れてしまったのだ。 彼を愛するあまり、暗闇に立たされたような不安に胸を押しつぶされそうになるのにも、孤独な焦燥感にかられるのにも。 そしてそのせいで、彼を傷つけてしまうことにも。
 鬼だって、不死身だって、心は傷つく。 彼は私のことをあまりにも愛しすぎていて、私がそのときの感情にまかせて放った言葉にさえ心を悩ませていた。

「ごめんね。 もっとはやくにお別れを言うべきだった」

 もはや私は、あの頃の私ではない。 もう若くはないのだ。
 彼との出会いに胸を高鳴らせ、毎晩彼と愛しあった少女ではない。

 どうにもならないこともある。
 私が人間で、彼がそうでないということ。
 彼は明日もあの制服を着て出ていくだろう。 それも、どうにもならないことだ。

 私が話しているあいだ、彼は黙って話を聞いてくれていた。 ブラジャーをつけようと肩紐に腕を通すと、いつものようにホックをつけてくれた。 そしていつものように私の膝に頭をおいて、俺が眠ったら出ていっていい。鍵は玄関のフックに。 とだけ言って目を閉じた。 しばらくすると穏やかな寝息が聞こえてきた。 部屋には彼の好きなバンドの音楽が流れていて、最後の曲が終わるのと同時に蓄音機にセットされたレコードがゆっくりと回転をとめる。
 私は彼を起こさないようにそっとソファーから立ち上がり、部屋を後にした。
 

 彼と出会ってから、私は自分以上に彼のことを愛してきた。 けれど、ある日を境に生じた悲しみや焦りといった感情は、それまでの私をいともたやすく壊してしまった。 それから常に私にまとわりつくことになった不穏な黒い陰。 それは子供を宿すことのない私が孕んだ、彼との唯一の子供であったのかもしれない。
 時刻は早朝の五時。 ひと気のない街は朝焼けの薄い光に全体をおおわれていて、なんだか知らない場所のようだ。 私の足元から伸びた黒い影は、まっすぐに帰り道に続いている。


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