革命軍のサボという人物は名前にとって、よくできた自慢の弟のような存在だった。真っ直ぐに前だけを見据えた大きな目。いちはやく状況を判断して、即座に最善策を弾き出す回転のはやい頭。街の裏路地を徘徊しているゴロツキどもを数人相手にしても無事に帰還してしまう腕っぷしの強さ。
そこに野蛮らしさはまるでなく、タップダンスを踊る紳士のような華麗な身のこなしで相手を打ちのめしてしまう不思議な気品は革命軍に所属する多くの女性の心を翻弄していた。
動くたびにカツカツと音を立てるブーツに、紳士の証ともいえるシルクハット。鉄パイプはさながらステッキ。
誰もが一目置く自らの存在感を乱用することはなく、かわりに時として見せる若者らしい愛嬌がますます他人の好感を上げる。
いつしか彼の周りには自然と人が集まるようになっていて、そのたびに名前は嬉しいような寂しいような、なんともいえない心持ちにさせられた。彼が革命軍にきたばかりのころ、名前はなにかと彼の身の回りの世話をしていたので、なんだか可愛い弟が独り立ちをしてしまったような気になってしまうのだ。

参謀総長という肩書きが持つ力というのは、決して目に見えるものばかりではない。少年はあっというまに名前の背丈を追い越し、栄進を重ね、すっかり彼女の上司らしくなってしまった。
こうして彼と長く付き合ってきたからこそ、名前ははっきりと断言できる。彼には人々を率いる才能がある。彼は木だ。人々の言葉や気持ちを水のように汲み取り、大きく枝を伸ばし続ける大樹。同じ革命軍という組織に所属していながら、雑草のような名前とは存在価値がまるで違う。
そしてだからこそ、どうして彼が自分のようなこれといった取り柄もない女に何年も心奪われたままなのか名前には理解ができない。

こんがり焼けたパンをちぎって口に放り込む。
参謀総長の座に腰を下ろす男が、にこにこと穏やかな笑みを浮かべてこちらを見つめるのは、もはや彼女の日常になりつつあった。
彼は毎朝必ず、名前が朝食をとる時間に食堂に現れ、数多くある椅子の中から彼女の前の席を選ぶ。
「昼と夜は、会いたくても会えないからさ」という彼の言葉は正しい。幹部である彼の毎日は目まぐるしく、決まった時間に昼食、夕食を取るのは非常に難しいのだ。
けれど朝なら、自分の起床時間次第でなんとでもできる。得意げな顔を作ってそう言った彼を前に、名前は顎を低くする。

サクサクと音を立てながら口内に広がる香ばしいかおりを名前が十二分に楽しむには、もうすこしはやくに食事を始めるべきであった。後悔をしているのだろうか。そう問われれば、決してそんなわけでもないと名前は答えるだろう。
そう、決して悪い気はしない。
皆に認められ、若くして参謀総長を任されている注目すべき実力者に想いを寄せられて嫌悪する女性など、此処にはいない。

「私には、あなたに見合うだけの武器がありません」

有名作家が白鳥の羽ペンを使うように、貴族が高級チョコレートしか受け付けないように、彼には彼に似合いの女性がいる。
それはどんな人だろうかと考えたとき、名前は間違っても自分の姿を想像するような夢見がちなことを考えたりはしない。
彼の隣に立つべき女性。きっと目は大きくてぱっちりしている。笑顔は少女のように可愛らしいはずだ。背は彼よりすこし低くて、彼からキスをするのに丁度いい。女性らしい柔らかな体型をしていながらも、戦闘で彼の足を引っ張るような真似はしない。きっと、そんな女性だ。
そこまで考えて、彼女は彼のすぐ近くにそれにぴったり合致する人がいることに気がついた。何故だ。好きになる相手を、間違えている。
名前はもやもやとした気持ちを振り払うように、残り少ないオレンジジュースを一気にストローで吸い上げた。

「武器なんかいらねぇよ。……なに、俺と戦いたいの?」
「そうではなくて」
「名前がいいんだ。……おれは、名前がいい」

そう言って優しく細められた瞳を前に名前は眉を寄せ、この男には、自分の気持ちなど微塵もわからないのだろうと落胆の気持ちを鬱積させる。
人間には意志がある。けれども意志というものは、必ずしも行動と一致しないのだということを心にとどめておいて欲しい。愚直なまでに己に正直すぎる彼は、どうして名前が思い悩むのか心底理解ができないのだ。

「お気持ちはありがたいのですが、私では参謀総長につりあいません」
「うん?」
「その、私、幹部でもなんでもないただのしたっぱで、たいして役にもたってないし」
「うんうん」
「特別美人でもないし」
「う〜ん」

たとえば彼と付き合ったとして、それで自分はどうなる。名前は考える。
噂は瞬く間に広がるだろう。そして皆が疑問に思う。どうして名前なのだと。未来ある彼の隣に立つにはあまりにも凡庸すぎる女。想像しただけでも、劣等感でため息が出そうだ。
もし、自分がなにか突出した物を持ち合わせていたならばこんなにも思い悩むことはなかっただろう。人目をひく美しい身なりをしていたなら。身体能力の高さが抜きん出ていたなら。誰もに頼られる頭脳を持っていたなら。それなら他人の目を気にして縮こまることも、彼に恥をかかせることもなく彼の恋人の座につくことができただろう。
けれども現実はそうではない。名前は彼の恋人を名乗るだけの地位も力も持ち合わせてはいない。

「つりあいません、かぁ」
「はい」
「なに言ってんだ?おまえ」
「えっ」

今度はサボが眉をひそめる番だった。
先ほどとは打って変わって、彼の瞳は名前の心を見透かそうと色を変える。

「幹部とかしたっぱとか、役に立ってねぇとか、美人じゃないとか。それ、いま関係ないだろ」

いつもの優しいものとはあきらかに違ったその声色に、名前はびくりと体を震わせる。あぁ、伝える言葉を間違えた。
彼女はすぐに自分の失態に気づいたが、すでに彼の機嫌は降下傾向にあったのでどうしようもない。
もはや名前は自分がいまなにを食べているのかもわからず、ぐっと喉を鳴らして口内のものをなんとか飲み込むので精一杯だった。

「俺のこと、好きなくせに」

不機嫌な表情のまま、ぼそりと溢れた彼の言葉に名前の頬は燃えるように熱くなった。そんなことは一度も言ってはいないのに彼は妙に自信満々で、否定するのもばからしくなってしまう。名前は自意識過剰だと目の前の男の頬をつねってやりたくなったが、こんなときだけ彼を上司扱いしないのはそれはそれでおかしい。

「なぁ。肩書きや身なりってのは、そんなに大事なモンか? 俺は、俺の価値をそんなモンだけで判断したくないし、されたくもない。名前のことなら、なおさら」

いつになく真面目な顔をして彼がこちらを見据えるので、名前はもう両手をあげて降参だと宣言したい気持ちになった。この目をしているときの彼は、対象の物事から一歩だって退かない。長年の経験で名前はそれを知っている。知っているからこそ、自分に向けられている感情が中途半端なものではないのだということも認めざるを得ない。彼は、恋をしている。その対象は、名前。
東の海の、ゴア王国から隔絶された、不確かな物の終着駅で育った彼は人間の本質というものを見抜く目に長けている。だからこそ、身分や肩書きに縛られることをなによりも嫌っているし、むやみに人を差別するような真似はしない。

「……俺はいまのままの名前が好きなんだからさ、悲しいこと言うなよな」

それは彼が唱えるからこそかかることのできる、魔法の呪文だった。



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