彼を突き動かす感情というものはいつだってシンプルで見ていてとても気持ちがいい。けれども人間的な面白みにはすこし欠ける。彼との付き合いも長くなってきたけど、知れば知るほど裏表のない人だ。自分の気持ちに嘘をつかないでいるということの高潔さを、彼はいつだって無意識的に持ち続けている。

「おい、用がねぇならあっちに行ってろ。トレーニングの邪魔だ」

まっすぐに前を見据えたふたつの瞳が、鮮やかに燃え上がる海の先に視線をそそぐとき、私はあの人のことを考えているのだろうかと心にひとかけらの不安を抱く。彼女は彼の親友だった。あの人、と呼ぶにはあまりにも幼い姿で時を止めてしまった少女。私は前に一度だけ、彼から話を聞かされただけだから彼女の顔も知らない。
ただ、あの可愛らしい鳴き声を出す鳥と同じ名前というだけで彼女は、私に勝ち目のない絶世の美少女であったという幻想を抱かせた。そしてそんな彼女に、世界一の剣豪になると誓った少年のままでいられる彼が妬ましくも、羨ましい。
少女を失ったことで成立することとなった夢は、この数年間、嘘偽りなく彼のなかで育まれてきた。そういう意味では彼はたいそうなロマンティストだった。
誰にも目視することのできないはずの夢が、彼という器を得て人知れず輪郭を現していく。私はそんな彼のことを、頬を赤く染めて、ずっと見てきた。彼のすべてに骨抜きにされてから今日のこの瞬間まで。文字どおり、ずっと。

「ごめんね、邪魔するわけじゃないんだけど……今はなんだか一緒にいたくて」

彼は眉をひそめ、すこしだけ間をおいてからトレーニング道具を床に置いて私のほうを見た。こんなふうな手段を使って、彼を夢から遠ざけてなんの意味があるというのか。つまらない嫉妬心からやってくる大人気のない行動に自分で自分が嫌になる。
くるりと彼に背を向けて、「ごめん、なんでもないよ」と白々しい台詞を吐いてしまうこんな自分がたまらなく嫌いだ。

恋をした瞬間から、絶対的な敗北が決まっていた。
もちろん彼はあの人に恋心なんて抱いてはいないだろうけど、それでも私は彼女には勝てない。私は彼が男だから恋をしたのではなくて、彼が彼であるから恋をしたのだ。彼女は彼を構成する彼の一部であって、彼女なしに今の彼は成り立たない。私はその存在を受け入れることで、自らの敗北を認めざるをえなかった。

「ごめんね」
「お前、さっきからなにをそんなに謝ってんだ」
「駄目なの、私」

彼はこんなにもまっすぐなのに、どうして私はこんなにもいびつなのだろう。きっとあの人が男だったら、こんなにもつらい気持ちにならずにすんだのに。女というだけで嫉妬心をむき出しにしてしまう自分の醜さが嫌いで嫌いで、死んでしまいたくなる。
私は下唇をぎゅっと噛んで、いまにも流れ出てしまいそうな涙を必死にこらえていた。
すると突然、彼に腕を引かれる。ぐらりとバランスを崩した私の体は彼に向かって倒れこみ、頭はたくましい胸板にぽすりとおさまってしまった。

「泣きそうな顔してんじゃねェ」
「…………」
「お前に泣かれると、困る」
「……そっか。ごめん」

だからなにを謝ってんだ、お前は。
彼はそう言って私の頭を優しく小突いた。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -