名前さんはサングラスをすこしだけずらし、夏の海のような輝きを放つ瞳に私を映して「恋人に会いに行ってたの」と言った。私は耳を疑った。「あら、そうだったの」となんでもないことのように返してみたけれど、本当はお腹の底の方がむかむかして仕方がなかった。昨日食べたローストビーフがお腹のなかに残っていて、消化不良を起こしているような。なんともいえない嫌なかんじ。

「私のほうは、国ごと婚約者を焼かれたっていうのに」
「……あの人はあなたが可愛くて仕方がないから」
「わからない。だって彼、とてもいい人だったもの……!私のことを他の誰より必要としてくれていた。私、あの人のためならなんだってできたわ!それなのに!」

愛してたのよ。私たち、愛し合っていた。
名前さんならきっと、いまの私の気持ちをわかってくれると思っていたのに!
けれど彼女は涼しい顔をしてカクテルの注がれたグラスと口づけをしている。その横顔は昔とちっとも変わっていなくて、なんだか自分ばかりが歳をとったような気にさせられた。

ローがファミリーを離れるより以前、名前さんはコラさんの恋人だった。彼女がコラさんに向けるまなざしは熟れすぎた果実のような甘さと気怠さを孕んでいて、当時年端も行かない少女だった私でも名前さんがコラさんに恋をしているのだということを認識するのはたやすかった。
コラさんはいつだって、自分に向けられた静かな告白にこたえるかのように彼女のことを優しく見つめ返す。そしてファミリーのみんなには見えない位置で、ながいながいキスをする。それだけで、ふたりの心は通じ合っていた。

コラさんは口を聞けなかった(でもほんとはそういうわけじゃなかったみたい)けれど、ふたりにとってそんなことはまるでどうでもいいことのようだった。言葉なんてものがなくたって、ふたりの関係はちゃんと成立していたのだ。
そんなふたりのことを見ていると、私は自分の知らない大人の世界をほんの少しかいま見た気がしてなんだかどきどきさせられた。
ふたりを取り巻く空気は生ぬるいのに情熱的で、たびたびのぼせそうになったものだ。
そしてそんなふたりのことをとても素敵だなって、いつか私にもそんな人が現れるのかしらって、子供ながらにぼんやり思っていた。
愛し合っていた。ふたりは本当に本当に愛し合っていた。だって彼女はあんなにもコラさんのことを見つめていたのだから。彼がいなくなってからも、彼女は他の男をつくったりはしなかった。
だからこそ、私はこうして彼女のもとへやってきたのだ。けれどまさか、あたらしい男ができてたなんて。
名前さんはコラさんだけの名前さんだと思っていたから、私は結構ショックだった。
裏切り者の彼のことをいつまでも忘れようとしない彼女を疎ましく思ったときもあったけど、そんな彼女の一途なところを羨ましく感じる心も私のなかには確かにあったのだ。


「見つめ合うとね、不思議とあの人の考えてることが頭に流れ込んでくるの。だから私、幸せ。あの人と愛を囁きあうことも、楽しいおしゃべりをすることもないけど、世界一幸せ」

そう言って幸せそうに彼女が微笑んだのはいつのことだったか。

あの日。目に痛いくらいの雪景色の中で、ひとりの裏切り者が死んでいった日。名前さんは、若様の後ろでじっとコラさんを見つめていた。悲しみにくれることも、怒り狂うこともなく、一瞬一瞬をおさめるカメラのレンズのようにただただ彼の死に様を見下ろして、結局最後の最後まで言葉を交わさなかった。
けれど瞳は潤んでた。その視線が、愛してるって彼に向かって叫んでた。
本当は名前さん、コラさんが何者かってことを知っていたんじゃないのかしら。知っていて、あえて気づいていないフリをしてたんじゃないかしら。彼女が今でもときどき作る、もの憂いげな表情を見ていると私はそう思うことがある。
そして本当は、あのとき一緒に死んでしまいたかったんじゃないかって。

ねぇ、今の彼はどんなひと?背は高い?煙草は吸う?なにもないところで、転んだりはしない?コラさんにしたみたいな目をして、その人のことも見つめるの?

「ほらはやくお化粧直しして、パンクハザードまで行かないと」

彼女は私の背中を優しくさすり、子供をあやすような声をして言った。
鏡のような瞳に映る、化粧がぼろぼろでとても情けない顔をした自分と目が合う。キラキラと輝いている。それは彼女が涙ぐんでいるからだということにようやく気づいた瞬間、テレパシーみたいに彼女の考えていることが私の頭に流れ込んできた。
まるで、昔の名前さんとコラさんのように。私はどうしようもない虚無感に襲われて、地面に膝をつきたくなってしまった。震える喉から声をしぼりだして、彼女に問いかける。

「……いまの彼のことは、好き?」
「もちろん。頭が良くて、脚が長くて、ちょっといじわるなところもあるけれど優しい人よ」
「……ジョーカーは、それを許さないわ」
「いいのよそれで。私はいままでだって彼に許されてはいなかったし、やっぱり私も、彼のことが許せない」
「やっぱり、まだ好きなんじゃないの」

私は涙をこらえるのに必死だった。恋人に会いに行ってた、なんて。嘘っぱち。それは違う。それは恋なんかじゃない。そんなのは私にだってわかる。

いっそのこと死んじゃえばよかったんだわ、あのとき。この人も。やっぱりジョーカーって悪趣味よ。
フィルターぎりぎりまで焼けた煙草を地面に投げ捨てる。
真っ赤なルージュのついたそれを、彼女はいつまでも見下ろしていた。
まるでここにはいない愛しい男の亡骸を見つめるかのように、憎らしそうにも、愛おしそうにも。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -