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ついに、予告の時間になってしまった。
「ケネス警部補! 警備はすべて固まりました」
「ああ、ありがとう」
ケネスが敬礼すると、部下は満足そうに笑み、頭を下げて後ろに下がる。ケネスは黙って振り返ると、肖像画を見つめた。
インビジブルが本当だとしても、目の前にいれば、肖像画が動くので分かる。動けば肖像画を引っ張ればいいのだ、と、ケネスはバカなことを考えていた。だが、馬鹿げていることをしてでも、今回は守らなければならないのだ。肖像画をみていると髭面でのんびりこちらを向いているおやじがイラついて来る。こちとら、失業の危機だっていうのに。
ふー、と今日何度目か分からないため息をつくと、肖像画の目の前で腕を組んだ。そこでなにか違和感を感じるが、なにが違和感なのかも分からない。
後ろから足音が聞こえて自分の後ろで止まるのが分かった。得体の知れないものが来ている恐怖があったが、肖像画から目を離せば負けだと思う。
「待ち合わせ通りの時間に来てあげたよ、警部補さん」
声を聞いて、後ろを振り向きそうになるが肖像画から目を離さないまま記憶を巡らせた。声は公園で聞いたあの男、やはりそうだったのかと思う。
「お前、インビジブルか!?」
「んーまあ、そうとも言うな。でもネーミングセンスない、俺にも名前があるんだよ」
「え、あんの!?」
まさか怪物に名前があるとは、と思わず返してしまうがそりゃ人間なんだからあるに決まっていた。やはりケネスの間抜けな返しが面白かったのか、男は爆笑している。悔しくて振り向きたくなるが、彼がいつ何時アクションを起こすかわからなかった。腹を抱えて笑っているんだろうと、予想しながらもハッとしてケネスは無線電話を繋げようとする。だが、繋がらない。無線電話に目をやると、目の前から笑い声がした。
「簡単に目を離しちゃだめだろ」
びっくりして顔を上げると、目の前には奇妙な仮面をした男が立っている。ケネスは咄嗟に発砲するがするりとよけられてしまい、その手にはすでに肖像画が手の中にあった。セキュリティもあったはずなのに、自分が無線電話に目を離している隙にやったのか。ケネスは走って近寄ろうとしたが、男は笑ってケネスをおちょくるように一定の距離をおいた。これ以上むやみに発砲するのは美術品にも傷を付ける危険性がある。だが、威嚇の為に拳銃を向けたまま叫んだ。
「誰か!」
「ここの周りは誰もいないぜ、五分前に入り口の警察くんも眠らせておいた。」
「入り口の…?」
そんなはずが無い、この部屋の入り口に配置している者なら先程話したばかりである。
まさか、それがこいつだったのか? だとしたら、いつの間に入れ替わったんだ。
ケネスが男を睨みつけると、男はその場に座り込んだ。そのまま畳み込んでもいいが、もしかしたら武器を持っている可能性がある。慎重に行くべきだ、と男を睨んだ。
「その絵を置け、これは威嚇じゃない、撃つぞ!」
「撃ってみろよ、撃てないくせに」
男の余裕ある言葉に、ケネスは目を見開く。彼は知っているのか、まさか知るわけがない。動揺から震える手をもう片方の手で押さえると、男は肖像画を撫でた。
「ちょっと調べさせてもらった。ケネス・キャボット。犯罪者の中ではあんたの名前は持ちきりだ、なんたって呆れるくらいのお人よしだもんな」
「な、なんの話だ!」
「あれ、とぼけんのかよ。こうやって追い詰めて脅して、結局撃てなかったんだろ? あの極悪人、トニーですら撃てないで逃したくせに」
ふふ、と薄笑いを浮かべる男はケネスを舐めるように見る。ケネスはツバを飲んだ。ケネスの胸の奥に刻み込まれた後悔してもしきれない出来事、あの日のことは思い出したくはない。
何で知っているんだ、聞こうとする唇をが震える。拳銃の引き金に掛けた指が震えているのを見て、男が笑った。
「まあ、いいや、あんたには俺は捕まえられない。俺が見れただけ幸運だと思いなよ」
そう言うと、男は颯爽と歩き出したので、ケネスは拳銃を構えたまま叫ぶ。
「待て、止まらないと撃つぞ!」
「うん、撃てば。俺も殺して欲しいし、早く撃てよ」
片手を広げてケネスを見ながら、男は窓を開けて窓の外にある40センチもない細い足場を歩く。ケネスは追い掛けると男と同じ道を通った。ここは美術館の最上階、六階。倒れたらまず命はないので、片手で壁を伝い強い風に倒れそうになるのを耐えながらも、たえず男に拳銃を向けた。男はその不安定な足場で腕を組むと、首をかしげる。
「ねえ、落ちて死んじゃうよ。銃向けるのやめたら?」
「うるさい、お前を見張らなきゃいけないんだ!」
「そう、別にあんたが死んでもいーなら良いけどさ」
そう言いながら男は後ろも見ないでバックしながら歩いた。片手には片手で持つには重いであろう肖像画である。落ちるのではないか、とどちらの心配をしながら男に近寄ると、男はここまで追いかけてくると思ってなかったらしく、しつこいケネスに男は肖像画を両手に抱えるとため息をついた。
「あのさ、なんでそんなに必死なの? こんな絵、あんたが命張ってまで守るものじゃ…」
「っ、俺はっ、今回がチャンスなんだ! この任務が上手く終わらなきゃこの仕事をクビにさせられる、そんなの嫌なんだよ、俺は警察をやめない、悪を捕まえる! だから、絶対死んでもその肖像画を守るんだよ!」
危ない足元を気にしながらも、男から目を離さないケネスに、男は固まった。そして、したを向くと、肩を揺らす。笑っているのだろう。だが今までとは違う、本当に心から笑っているようで。だが笑いはすぐにピタリと止まり、なにかと思えば肖像画を持つと、空中に宙ずりにした。ケネスがあ、と声をあげれば男は笑う。
「じゃあ、命張ってこの絵を守ってみなよ」
男は手を広げると、絵は落とされた。その瞬間、ケネスは思わず絵を取ろうと手を伸ばす。だがそれのせいでバランスを崩し、足を踏み外した。ケネスは六階から身を投げ出される。
おれ、死ぬ? でも、死ぬくらいなら!
その空中の中でも絵を追いかけて手を伸ばした。その絵を掴んだ瞬間、安堵と共に自分の死を理解する。覚悟を決めて目を閉じようとしたとき、いきなり目の前に公園で会った男が目の前に現れて笑った。
「あんた、本当にバカだ!」
もんくをいいながらも、どこか嬉しそうに笑った男はケネスの腰に手を回すと、仮面をつける。すると瞬きを一度だけしたように一瞬だけ真っ白になると、浮いていた足は地についた。
ついた場所は、先ほどまでいた、肖像画のあった部屋で。ケネスは驚きながらも男が回した手を外すと、男と距離を取る。また銃を取ろうとするが、その手を止めた。ゆっくり、男をみると男は仮面を被ったまま肖像画を持っている。ケネスは、口を開いた。
「お前は、魔法使いか? いやその前に、なんで俺を助けた」
「面白かったから」
「はあ?」
すると、コツコツと足音立てて男はケネスに近寄る。ケネスは落とした本人と言えど、命の恩人に銃を向けることは出来ず立ち尽くした。すると男は、ケネスに肖像画を渡す。
「まさか飛び降りると思わなかったよ! ほんとすっごいショーだった良いもの見せて貰ったよ、ハハッ。だから、頑張った賞、あんたにこれあげる」
ケネスは固まる。こいつは何を言っているんだろうと。楽しいからといって捕まるかも知れない厳重な警備をくぐり抜けてまで取った絵を返すだろうか。いや、普通ならしない。
謎だ、謎すぎる…。
「どーしたの、いらない?」
「いや、いる、ありがとう!」
「ふふ、どういたしまして、かな?」
そう言うと男は手を広げて、ケネスから離れた。そして、仮面に手を掛けた時、ケネスは声をあげる。
「あの!」
「ん?」
「名前、あるんだろ! 教えてくれ、インビジブルじゃない、お前の名前!」
言えば、男は仮面を触っていた手の動きを止めた。ケネスは教えてくれないのか、と純粋に思ったあと、自分は野暮なことをしたことに気付く。今や有名なインビジブル、今まで姿を現さず完全犯罪の五天王の中で唯一まだ身元も知られていないのに、わざわざケネスに聞かれただけで口を割るか。するはずがない。防犯カメラもここぞとばかりに作動中であるし、ケネスも聞けば警察として報告するに決まっていた。顔も見ているので身元はすぐにバレるだろう。バカなことを聞いたと思っていると、男は片足を前に出した。そして、ケネスの方を向くと仮面に手をかける。
「ハロルド、また会えたらその時はイカれた名前じゃなくて、この名前で呼んでくれると嬉しいね」
宝石のように輝く瞳と目があった。その瞬間、彼は目の前から姿を消す。
ケネスはその場に座り込んだ。今でも今の数分にあった出来事にドキドキしている。目を瞑れば思い出される夢のような出来事。それは全てハロルドの仕業で。
「どうなってんだ」
そう言いながら、肖像画を見るとまたムカつく髭面と目が合う。この肖像画でケネスの人生は大きく良い方向へ向かうことは分かっていた。ケネスは遠くから走って近づいて来る足音を聞いて、目を閉じる。緊張がほどけていって、忘れていたことを思い出した。
あ、そういえば今日、誕生日だった。
ケネスは自分の記憶を蘇らせる。出来のいい双子の兄と同じ誕生日。普段から、頭が良いだけで鈍臭いケネスとは違いなんでもできる兄を両親はとても愛していた。贔屓されていたことは分かっていたが、今日というこの日が一番、その残酷さを見せつけられる日で。そう、ケネスは一番今日という日、自分が生まれた日が嫌いだった。
「ケネス警部補!」
「大丈夫ですか!?」
ケネスは目をあけると、目の前から部下たちが心配した顔で部屋に入ってくるのが見える。肖像画を抱え人生で一番最高の誕生日プレゼントを噛みしめると、ひとつ、嬉し涙を流した。