「シャワーはケネスさん先でいいですよ」

 家に着くなり、リカードはケネスを休ませることしか考えていなかった。僕ご飯用意しますね、とリカードは腕まくりをしながら笑うが、ケネスは今日は座っていただけだし、先にリカードが休むべきだ、と思う。上下関係が厳しい警察の中ではこれが当たり前なのかもしれないが、見た目は一軒家といえど社宅だし、言ってしまえばルームシェアのようなものだ、ご飯は個人で食べればいいものの。ご飯も自炊でみんなで食べるものなのか、と思いながら作る気満々なリカードに驚く。

「ご飯作るのは当番制とかじゃないのか? というか、みんなで食べるのか」
「ああ、すいません! 僕ご飯作るの好きだし、一人で食べるのは寂しいんでいつもハリーに付き合ってもらってるんですよ。癖でケネスさんも誘ってしまいました。いや、ですか。もしよかったら僕の作ったのケネスさんの部屋に運びますよ?」
「ああ、いや、なんというかリカード、君は良くできた人間だな。俺も人と家でご飯食べるの何年ぶりだろう、嫌じゃないぞ、ぎゃくに嬉しいぐらいだ」

 遠慮気味に聞くリカードをケネスは可愛く思って、リカードの頭を撫でながら笑った。ケネス自身、いつも兄のノエルの世話になっていたし、警部補になっても部下の世話をするのはランドンで、こうやって兄貴分になるのは気分がいい。ましてやリカードはいい子だし、弟が出来たようでケネスは可愛くて仕方なかった。リカードは嬉しそうにしながら、野菜の入ったバスケットを漁る。

「ありがとうございます! じゃあご飯作っちゃいますね。ケネスさんはシャワーを…」
「いや、俺も手伝う。俺も一人暮らしは長くてな、自炊はそれなりにしてたんだぞ」
「えっ悪いです、いや、いいですって」

 いそいそと料理の準備をするケネスを慌てながら止めるリカードだが、その疲れた背中を見てケネスは背中を優しく叩く。そうしてリカードの背中を押した。

「遠慮するな。リカードは遠慮してばかりで疲れないか? そうだ、先にシャワー浴びてこい」
「そんな、だめです!」
「いーから、先輩命令だぞ!」

 ケネスがふざけたように言えば、リカードはふにゃっと優しく笑って分かりました、と言いながら階段を上って行く。部屋へ着替えを取りに行く姿を身送ると、ケネスは腕まくりをした。自炊をしていたと言えど、パスタを茹でて適当なソースを掛けていただけのケネスは一から何かを作ったことはほとんどない。野菜を取り出し、まずサラダから作ることにした。
 しばらくしてから、シャワーを浴びてきたリカードは、キッチンからいい匂いがしてきたので急いで着替える。頭にタオルを被せると、フライパン返しを持ったケネスの背中にぴったりとくっついた。

「ケネスさん!」
「わ!」
「いい匂いです、なに作ってるんですか」

 後ろから抱きつかれている状態にケネスは完全テンパっていたが、(勝手にだが)リカードの兄貴分になった以上かっこ悪いところは見せられない。耳元で呟くリカードに応えるように、フライパンの上のものを見せた。

「ひき肉あったから、簡単にハンバーグ」
「わあ、僕も今日作ろうと思ってたんですよ、いい匂いだ」

 平凡な顔だと思っていたが、優しく微笑むと何処かの雑誌に載っているんじゃないかというくらい作り物のように美しい。小顔な上に、綺麗な肌には傷一つない。そしてこの綺麗な金髪。ハロルドの濃い金髪とは違い、糸のように細く透き通っている。見惚れていたケネスだが、不思議そうにリカードが首を傾げたのを見て慌てて焼けたハンバーグをお皿に移した。ボウルに入ったサラダをリカードはおしゃれに皿に乗せて、コースターで焼いたパンもジュースも器用に持つとそれらをテーブルの上に乗せて行く。普段から食事の支度をしているのが一目でわかった。ケネスの椅子を引くと、ケネスは手を拭いて席に座る。リカードは反対側に回って、音を立てながらフォークを持ちながら座った。

「人が作るのを食べるのは、久しぶりなので嬉しいです。」
「俺もご馳走するのは、久しぶりだ。緊張するな」

 うきうきしながらすぐにかぶり付くリカードは制服を着ている時とは違い子供っぽい。本当に弟が出来たようで、ケネスは頬が緩みまくっていた。もしこの顔をノエルの前でしたのだとしたら、ノエルは連写した上に何十枚も焼き増ししていたことだろう。こんな親しい雰囲気が流れてしまったせいだろうか、ケネスは思わず口を滑らせた。

「さっき一人で食べるの寂しいって言ってたな。しばらく実家暮らしだったのか?」

 ただの質問、ただの興味。それだけなのに、ケネスは聞いて後悔することになる。自分が作った普通のハンバーグを食べながら美味しいと何度も言いながら言っていた男は、途端に手を止めた。ケネスは動いていたものが止まったので自然に目が行く。すると、リカードは優しく目を細めた。

「僕、6歳の頃、両親が目の前で殺されたんです。」

 ケネスはハンバーグを切っていた、ナイフを止める。カチャカチャなっていた皿とナイフがぶつかり合う音も止まって、辺りは電化製品の動く音だけになった。ここら辺は物騒だと聞いたのに、夜になると怖いくらい静かである。
 リカードの突然の告白に、頭が追いつかないケネスは静かさにしばらく耳をすましていた。だが、すぐに思ったことが口に出てくる。

「寂しいな 」

 自分でも思う、ケネスから聞き出したのだ、そんな悲しい思い出を聞き出したのだから相手を思い遣る言葉がもっと他にあったのではないだろうか、と。だが、何故かこんな言葉が出てきてしまった。
 そんな失礼なケネスはリカードが何と言うか構えていたところ、リカードは意外にも笑いながらフォークを持つ。

「いえ、小さい頃にそんな感情は忘れてしまいました。実際6歳の前の記憶なんで所々しか思い出せないし。ただ、何故か、ご飯の時だけ寂しくなるんです。両親と食べていたご飯、そんなに楽しかったのかな」

 こんな話してすいません、そう言いながら再び止まっていた手を動かして、小さく切られたハンバーグを口に運び始めた。ケネスはナイフとフォークを置く。

「続きは?」

 リカードが少し驚いた顔をした。きっと彼は今もう食欲は失せているに違いないだろう。だって証拠に口の中のハンバーグはまるで味がないものかのように、数回噛み砕かれただけで喉を通っていた。自分の作ったものがそんな扱いをされることより、何故今この話をしたかがケネスは気になっている。自分がこの話をするきっかけを投げ掛けたと言えど、一日あったばかりの人物にそんな話をいきなりするだろうか。場の雰囲気が悪くなる、自分の嫌な思い出は話したくない、など話を逸らすのが普通、そんな話さない人の理由はいくらでもあるだろう。だが、話す人の理由は一つしかない。
 思い出してしまったから、その嫌な思い出、楽しい思い出、自分の中で片付けられない複雑な思いを誰かに聞いて欲しかったからだ。嫌な思い出は口から出すのも鬱陶しいが、誰かに聞いて貰えるだけで不思議と軽くなる。彼にとって、悲しく寂しく思い出を聞いて少しでも軽くなればいい、楽しい思い出を聞いて一緒に優しい気持ちを思い出せればいいと思った。そんな気持ちを込めて、ケネスは続きを煽る。話したくないのであれば口を閉ざせばいいが、きっと寂しくないなんて嘘だ。きっとケネスが彼ならば、寂しくて、悲しくてどんな時でも思い出してしまうから。

「続き、ですか。…でもケネスさん、人のこんな話聞きたくないでしょう」
「俺に聞いてもらってるなんて思わなくていい。独り言だと思えばいいんじゃないか。」

 まるで提案とでも言うかのように、ケネスはジュースを飲みながら手を組んだ。リカードは戸惑った顔をしたが、首を振る。やはり深くは話したくないのか、リカードのことだからケネスの事を思いやってるのかもしれないが。ケネスがそれ以上聞くことはなかった。我ながら美味い味だ、とふざけて言うとリカードは釣られて笑う。
 家族がいると言えど自分に居場所がなかったあの家を思い出す。幼馴染のドナとこっそり食べたおやつの時間だけは、とっても幸せだった。淡い思い出が浮かび、落ち込まない自分にさがいることに気付く。前までは些細な事だってドナに結びつくものならドナを思い浮かべ、浮かべるたびにどんな時だって気が沈んだ。だが最近、忙し過ぎて、すっかりドナのことは忘れてしまっていたのである。こうやって人は大切なものでさえも、簡単に忘れて行くものなのか少し落胆した。とそれ以上に、どうだろう、希望さえ湧いてきた。今の自分は案外嫌いではない。昔のことを引きずらず、前を見るのは良いに決まっていた。
 そうして、私事を頭で片付けたケネスは綺麗に食べ終えた皿を見ながら、口を開いた。

「話したくなったならいつでも話せばいい、寂しくなるならどんな時でも一緒にご飯を食べよう、楽しい思い出をこれから作ろう。同じ屋根の下に住んでいるんだから家族も同然だしな、いつだって甘えていいんだぞ」

 ハロルドはとても家族とは呼べないが、と小さな声で付け足したがリカードは聞こえてはいないようである。青い目を輝かせ、にっこりと笑った。ケネスは笑い返したが、何故か鳥肌が立った。その顔は、何処かで見た顔に酷く似ている。リカードに会ったときからある違和感、まだ拭えずにはいるがケネスは気付かぬふりをした。リカードは純粋であると、心の底から思ったからである。
 リカードがまた美味しそうに食事を進めた。ケネスは皿を重ねながら、気を逸らすように時計に目を向ける。時刻はもう次の日になっていた。



 自分は死んでいない。
 確かめるように、エイルマーは自分の震えた手を握りしめた。一言言うと、ローナは助けられなかった。エイルマーが刺激しすぎた為、コンラッドは逆上し、ローナの首をナイフで簡単に切り裂き、息の根を止める。その瞬間が、その喪失感が、あの時に似ていて気が遠くなった。でも苦しめられて、殺されるよりは良かったか、と所詮彼女と被っていただけのローナを可哀想とは思わない。
 簡単にローナを殺した後、次はエイルマーに手をかけようとしたコンラッドだったが、そこに携帯の着信が鳴り響く。その携帯はコンラッドのものだった。コンラッドは先ほどの殺伐とした雰囲気がまるでないかのように、当たり前に携帯を取り出し話し始める。そうして、簡単に返事を返すと携帯をポケットにしまい、一度エイルマーを見るとそのまま姿を消した。
 殺されてもいいから、奴を仕留めたい。そう思っていたはずなのに、何故かその時、足は動かなかった。エイルマーはそのあと、逃げるようにその場を後にした。

「生きていたんだ、死ななくて良かった」

 五天王の溜まり場、一人になりたいと思いながら行ったそこにはトニーがまるで待っていたかのように座っている。一番会いたくない人物だが嬉しそうな声で言うので、エイルマーは頷くだけした。彼が言う死ななくて良かった、はきっと便利な情報屋が死ななくて良かった、という意味だろう。トニーの向かい側に座るとエイルマーは縮こまるように、ソファーの端っこに体を寄せた。

「彼女は命を落としたか」
「ああ」
「ケネスが悲しむだろうな」

 この男はいつもケネスケネスと。情けない。目を逸らしながら思うと、トニーは黙っているだけだった。エイルマーは喋らない気でいたが、思わず聞かずにはいられない。

「あいつのどこがいいの、一日そこら過ごしただけだろう?」

 トニーが可愛い顔をして驚いた。普通にしていれば、凶悪犯とは思えないこの男、かなり損している。エイルマーが縮めていた足を伸ばしてから、足を組むとトニーは笑った。

「今思い出しても、ケネスといた時間は一日と思えないほど長い時だったよ。まるで異空間へ連れて行かれたかのようだったな。それが僕の中でケネスの存在の大きさを表すには十分過ぎる」
「でも彼は君のことは大嫌いじゃないか、実際君もこれ以上嫌われるのが怖いからケネスに会う時は顔や姿を隠すんだろ」

 言った後に、しまった、と思う。トニーと話すときはいつだって言葉を選んでいた。だが、今日はコンラッドやローナのことがあり気が立っていたのである。俺は死ぬか、と自分のことを客観的に思いながらトニーを見た。
 すると彼は、悲しそうに目を細める、だけ。

「人は愛する人の前だと臆病になる。それは僕だけではなく、お前だってそうだ。僕はそんな自分が鬱陶しいとは思うが、嫌いではないよ。そして君のそういうところも嫌いではない」

 ゆっくり、目を伏せるトニーにエイルマーは何も返すことが出来なくなる。自分は失礼なことを言ったのは分かっているし、死ぬ覚悟だってした。だが短気な彼は怒りもせずに、逆にエイルマーを褒めはじめた。半分混乱していたエイルマーは声を出す。

「会いに行けばいいじゃないか、君がケネスに何をして嫌われたかは知らない。でも彼ならきっと君を許す。弱味に漬け込んだっていいじゃないか、会いに行けよ」

 熱いことを言っているは自分でもわかったが、慎むことはできなくなっていた。だってこんなトニーを見たら放ってはおけない。別にトニーと仲間になった覚えも、友達になった覚えもないが、自分と重なってしまった。エイルマーはずっと彼女を亡くしてから後悔していることがある。ケネスは警察なのだからいつだって危険の最前線にいる。言ってしまえばいつ死んでしまうかわからない、ケネスに危機が訪れればトニーが命懸けで助けるかもしれないが世の中何が起こるかわからないのだ。早いうちに手を打つべきである。

「俺がなにか弱味握ってこようか」
「…そんなことしたら君を殺す」
「じゃあ会いに行け」
「余計なお世話さ」
「あ、ちょっと」

 話をそらすようにトニーは席を立つといそいそと身支度を始めてしまった。なんだかまるで学生時代の恋バナをしているような図に笑ってしまいそうになったが、耐えながらトニーを呼び止める。するとトニーはドアノブに手をかけながら小さな声で言った。

「心の準備が、出来たら、行く。」

 そうしてトニーが出て行って、ドアは閉まる。それを見ていてしばらくしてからエイルマーはぷは、と思わず吹き出した。
 心の準備、って。あの誰に容赦ない悪魔のようなトニーが、なんで人一人に会うだけで心の準備が必要なんだ。
 トニーがケネスに執着していたのはここ最近の言動で嫌という程知らされてはいたが、ここまでトニー自身を変えてしまう程だとは誰も思いはしないだろう。いいものを見せてもらったと思う、今日はコンラッドとローナのことがあったから尚更。エイルマーは両手を絡ませて、彼女の優しい声を思い出した。

「君が生きていたら、今すぐにでも飛んで行くのに。君が生きていたら、」

 愛してると、言えたのに。










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