コロネンゴ、世界で最も面積も大きく人口も多い、騒ぎが止まない国。
 そんな国で警察は一番重要な職業であり、共に無くてはならない存在である。その数多くの警察のなかでも、首都に置かれた本部は国の中でも言わずと知れた優秀な者たちが集められる所であった。謂わばエリートたちの集まりであり、研修生として入るのも困難。まさに憧れの的であり、ブランドでもあった。
 そんな誇りある場所に明日で30歳になるケネス・キャボットは8年間働いている。彼は国で一番成績を修めた大学に入り、彼もまたエリートと認められ警察本部へと就いた。
 そして8年で初めて警視正に与えられた部屋に入り周りを見渡す。本部の警視正となれば目にかけるのもまずなかった。この景色を目に焼き付けておこうと思うが、内心それどころではない。なぜ、この場に呼ばれたかなど、自分が一番知っていたからだ。

「ケネス」
「はい」
「君は8年間一度も休まず、このハーツリヒ警察庁に勤めてくれた。皆勤賞だ、うん。良かったな」
「光栄でございます」

 口の中が乾いて台詞を噛みそうになったが、なんとか繋ぎ合わせて警視正に言う。動揺は隠しきれていない、証拠に額に汗が滲み垂れてくるのがわかった。警視正の口が次、どう動くのかが気になる。
 ああ、神よ。どうか私めにご加護を。
 膝を付いて祈りたいがそんなことをすれば、自分の現状は悪くなるばかりだ。ケネスはただ、彼がなんと切り出すか待ち続ける。

「でもね、健康でもね、功績をあげてくれないと意味ないんだよ!」

 警視正がついに机を叩きながらこちらをにらみあげた。先ほどまでにこにこしていた顔はどこへ行ったのやら。
 ケネスはその言葉に苦笑いすると、笑い事じゃないよ、と怒られ背筋を伸ばした。言われることを分かっていたが、実際言われるとこたえるものだ。ケネスは頭を下げると、警視正は腕を組みケネスに唾を吐く。

「君がいるせいで私の警察班の実績は最下位、君が来る前まで私に来ていた出世の話もなくなった。どうしてくれる?」

 ケネスはひぐ、と喉を鳴らした。それは、俺のせいではないと言いたかったがどうも言えない。これを言えばアイツはここをクビになるだろう。悶々と考えていると、警視正は、こちらを睨んだ。

「明日にちょうど任務が入った。どうやら、有名な肖像画を盗むと犯罪予告があったらしい。そこで君にこの肖像画を警備する最前線に立ってもらうことにする。これを成功すれば、君にはこの部署に残ることを許可しよう。」
「本当ですか!」

 顔を上げて喜ぶと、警視正はふん、と鼻を鳴らす。警部補の位では事件の最前線に立つことはまずないが、その大事なことを任せてくれる上に折角チャンスをくれたのに何故そんな顔をするのかとケネスが思えば、また曲がった口を開いた。

「但し、この肖像画が盗まれた場合、もう警察の資格はないと判断し、潔く辞めてもらおうじゃないか」

 そういうことか。
 位が下がる程度に考えていたケネスは、自分が如何に崖っぷちに立たされて居ることがわかる。分かりました、と一言言うと警視正は下がれと手を払った。ケネスは部屋から出ると、扉を閉める。暫くして、肩を落とした。

「ふう。」

 体全身の力が抜けるのが分かる。ここで大きく背を伸ばしたいところだが、お偉いさんがゾロゾロと居る場でそんなことは出来なかった。いつもの持ち場では見ないバッジを見て気を引き締めつつケネスは服装を整え、自分の持ち場に移動することにする。と、下を向いていたからか、目の前の人物にぶち当たった。ケネスは尻もちをつきつつも、当たってしまった相手に謝ろうとすると出されたのはすらりと伸びた掌だ。ケネスはすいません、とその手を取り顔を上げると止まってしまった。

「ふ、フレーザー警視長!」
「やあ、ケネス。君はいつも人にぶつかるな」

 ケネスはすぐに手を放すと、何度も頭を下げる。フレーザー警視長こと、ジム・フレーザーは警部補のケネスにとって憧れの大先輩だ。新人の時にも研修生を見学にしにきていたジムにぶつかって同じように手を差し伸べてくれたジムは、警察の中でも上の位に付くのに誰にでも優しい。しかもなぜかケネスを気に入ってくれていて、普通働いていれば会わないのにわざわざケネスに会いにきて昼食を共にしたり、帰りも呑みに連れて行ってくれたりなど、ケネスがかなりお世話になっている上司である。
 さっきの警視正とは大違いだ、とケネスは思うが、すぐに目の前のジムに話しかけられて、そんな不幸は吹っ飛んだ。

「ところでケネス」
「はい、なんでしょう!」
「君は明日、人生を掛けた任務を貰ったらしいね。」

 苦笑いをするジムに、ケネスは悪夢を思い出す。そうだ、明日の任務が遂行されなければ、こうやって憧れのジムと話すことももう無くなってしまう。意地でも肖像画を守ろうと思うが、ジムの言葉にケネスは固まってしまった。

「なんたって、相手はあのインビジブルだろう? これは、僕でも頑張ってと表面だけの言葉は言えないね」

 ジムはそう言うと、腕を組んで首を横に振る。自分のことでジムが本気で心配してくれているは嬉しかったのだが、それ以上に今の自分の状況のヤバさに言葉も出ない。
 インビジブル、基、無名の怪盗だ。ここ二ヶ月前からだろうか。様々な高級芸術品を盗み、ニュースでは話題が絶えない怪盗だ。犯罪の手口はプロ級、なのに名前がなく、ただ日時と盗む物を礼儀正しく書いた物を所持者に届け、その通りにとりに来る。どれだけ警備を固めても盗まれなかった物なんてなく、しかも姿を見せないので警察の中では『インビジブル』なんて呼ばれていた。今やここのブランド警察でもお手上げの犯罪者、五天王の一人だ。そんな相手に、ケネスが盗まれない筈などなくて。
 いわゆる、警視正はケネスを本気でクビにしようとしている。

「え、相手、初めて知りました。俺、消されに掛かってたんですね…」
「消されになんて、不吉なことを言うもんじゃないよ。それに君の成績はランドンの不正のせいだからね、それについても今、証拠を探してる。君が証言してくれれば一番早いが」
「え、と」
「そうかい、まだ気持ちは変わらないんだな。なら僕が頑張るまでだ。」

 ジムは消えてしまいそうな位フラフラと不安定な足取りなケネスの肩を叩く。ケネスはすいません、と頭が取れるのではないかというくらい頭を下げながら、そこでジムと別れを告げた。
 ケネスが8年間、なんの功績もないと言うのはこれは全くの間違いである。間違いというより、ケネスは嵌められたのだ。
 半年に一回、実績を調べられる大切な検査がある。そこでライバルの同期と一週間だけ二人組で組み、自分たちの一週間の間の実績を報告すると言ったシステムだ。そこでケネスといつもペアを組む同期、ランドンが問題だった。ランドンはケネスと正反対に実績一位。ケネスと同期な筈だが、位はもう二つも違う。
 だが、その実績は全てケネスの物なのだ。
 一度組んだ時、ランドンの人当たり良い笑顔に騙され、自分の報告書とランドンの報告書を取り替えられた時は自分のせいだと納得させたが、その後も卑怯な手口で見事変えられてしまう。それのせいで、ケネスは数多くの同期の中で実績断トツの最下位というわけだ。その不正にジムだけは気付いてくれたものの、今や成績の優秀さで言えばランドンの名を知れてる。今更できる事などある筈もなければ、今ランドンの不正がバレてランドンの人生をめちゃくちゃにするなんてこともできる筈もなく、ケネスは今に至った。

「ううー、これから、どうしたら良いんだ」

 この誇り高い警察に居たと言うこともあるし、もともと頭が良く最高級の大学を出ているケネスにすれば次の就職先を探すのは然程難しいことではない。だが、ケネスは小さい頃からここで働くのが夢だったのだ。これだけはゆずりたくなかった。

「命を捨ててでも怪盗を捕まえてやる、待ってろよ、インビジブル!」

 その決意のせいで、ケネスは人生が一転するなど、知る由もない。








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