男は暗い道を走っていた。道も分からないが奴から逃げられるならどこでも良かったのである。ただ、目があっただけ、それなのに彼は暫く男を見ると獣のように襲いかかってきたのだ。それから男は逃げている。足が痛くなってきても走り続けるしかないのだ。だが、奴は化け物のようにすぐに追いつくと、男を捕えようとする。男は気づいていた、もう自分は助からないだろうと。
 ついにこの時がきた。奴はここへと追い込んでいたのだろう。行き止まりを目の前に、男は振り向いた。小柄な影が足音を立てる。

「た、助けてくれ、おれが、なにをしたんだっ」

 手を空振らせて奴との距離をとろうとするが、それは叶わず男は目の前にきた。そして、ゆっくり笑うと手にもった拳銃を向ける。情けなく声を漏らす男に近づき、両頬を押さえて首を傾げた。

「なにをした?」
「ふが、」

 男の口に銃口を咥えさせると、奥へと押し込み、青い目が暗やみに光る。

「僕と目が合わせただろう」

 首を振って泣き叫ぶ男に、容赦無く引き金は引かれた。男から赤い血が、垂れて足元を流れる。その血を避けるように、踵を返した。ただ思った、こんな人間でも、血は赤いのかと。そうだ、どんな良い人そうに見えても悪は関係なく存在する。彼だってそうだ、彼は少女を暴行してはその罪を隠蔽していた。そんなこの男はあの名高いハーツリヒ警察の巡査部長で、綺麗な奥さんと結婚生活二年目で今年可愛らしい娘を迎えたらしい。とても、幸せそうに暮らしていたなどと言うではないか。それは、許されるのか。許されないだろう。でも世界には当たり前のように、存在しているのだ。
 少女の泣き叫ぶ声が、頭に鳴り響く。先ほどの男のように助けを求めて何度も叫んでいた。
 まあ、別に子どもだろうが女だろうが、死のうが自分には関係ない。だがすこしだけ、死んで当然のやつを殺す、この瞬間が生きている意味にも思えたりするからやっているだけ。

「単純」

 まるで人ごとのように言うと、銃を捨てるとトニーは目を閉じた。そしてスキップしながら、路地裏から出る。変装していることもあるが、なによりトニーのことなど誰も関心ないため、すれ違っても誰も振り向かなかった。トニーは笑う。
 ねえ、ケネス、僕みたいな極悪人を、野放しでいいの? 探しにきてよ、お願いだから。
 孤独に震えながら、トニーは空を仰いだ。



 朝になるとノエルはいなくなっていて、置き手紙すらない。ケネスはそれが気掛かりだったが、今回は謝る気はなかった。と、意地を張っているが仕事中だというのに、携帯が気になって仕方ない。今まで無視していた期間が長かった分、折角仲直りしたのにもう関係を壊したくないというのが本音だ。やはりこちらから連絡とろうかと引き出しを開けたとき、隣からランドンの嫌そうなため息が聞こえる。ケネスは我に戻り引き出しをしまうと、ランドンを見た。

「まだストーカーの件任されてんのか?」
「うっせーな、今書類まとめてんだから黙ってろ」

 ケネスははあ? 声をあげる。あんなかまって欲しいという態度満載でため息をあげられれば誰だって声かけるだろう。イライラしながらも黙ってランドンのパソコンを覗くと、酷いケースばかりだ。たしかに毎日こんな事件ばかり片付けていれば気が立ってしまうのも仕方ないかと思う。まあ、ランドンの場合、ケネスに対していつもの話。少し優しくしてくれても良いではないか。まあ、ハロルドを見つけて自分の功績が上がった時は機嫌よくケネスに飲みを誘う、あんな気持ちの悪いランドンを見るくらいなら、いまみたいにいつものランドンの方が幾分ましだった。
 そういえば、機嫌の良いランドンが零したのだが、ハロルドの姿は見たが、顔は誰も見ていないらしい。しかも髪は茶色と言っていたので、カツラかなんかをしていたのだろう。身元がバレなかったのが、少しだけ、安心した自分がいた。そしてまたケネスは自己嫌悪に悩まされる。犯罪者の味方をするなんて、どうかしているのだ。
 もどかしい気持ちをしていたとき、ケネスの机を誰かが叩く。音がした方を見れば、そこには警部が立っていた。

「はい、なんでしょう」
「昨夜、うちの巡査部長が何者かに射殺された。目撃者はいないらしく、なかなか情報収集が出来てない。下の者は今忙しい時期で手一杯でな、現場を見に行ってくれないか」

 で、なんでいつも現場収集が俺なんだろう。
 警部補なのに、いつも外ばかり行かせられているのは気のせいだろうか。それでも仕事は仕事頷こうとすると、隣のランドンが立ち上がった。

「その仕事、私にやらせてくれませんか!?」

 椅子が大きな音を立てたのでケネスは驚くが、共にランドンの発言にも驚いた。ランドンは基本面倒な現場が嫌いで、大きな事件以外自ら行こうとはしない。なのに聞いた限り大きな事件でもない、通り魔らしき犯罪を受け持つなど。

「ランドン、たしかお前は今他の事件受け持ってなかったか」
「ああ、それがケネスくんが気になることがあるらしくて、引き受けたいと」
「え」

 そんな話はしていない、と言うか黙れと先ほど言われたはずだが。ケネスがランドンを見ると、ランドンはとっても素敵な笑顔を浮かべて机の下からケネスの足を踏んでいた。デスクの下が少しだけ空いているのを、今だけ憎く思える。ここで違うなんて言ったら後からランドンに何されるか分からないので、ケネスは頷くと警部も仕方なく思ったのか書類をランドンに渡した。自分の席に帰って行くのを見て、ランドンは指を組むと腕ごと伸ばす。そして、ケネスの方を見るとにっこり笑った。

「ありがと、ケネスくん。お前のお人好しにはほんと助けられる」
「…そんなにストーカーやだったのか」
「ああ、清々したね。ストーカー担当は今日からてめーだ、ケネス。はいこれ今までの書類、よろしくな」
「〜っ、あのな、感謝くらいしたらどうなんだ!?」
「うわ、恩着せがましい。あのヒーローケネスが!? ありえ」
「分かった、もういい!」

 ケネスは助けなきゃ良かったと思いつつも、ランドンの手から書類を乱暴に取る。ランドンは満足げに口をあげると、ジャケットとバッチを持つと身支度をして席を立った。見ているとムカついてくるのでケネスはランドンに背を向けると、書類を読み始める。
 沢山ある書類を一枚ずつ目を通す内にたしかにこれは酷い内容だ、とケネスは目をつぶりたくなった。まず一件目、もう五年もストーカー被害を訴えているが犯人が特定できないために悩まされている女性25歳。二件目は前に付き合っていた彼女がまだ付き合っていると勘違いしてストーカー行為を繰り返しているらしくお手上げの男性、30歳。他には、とページをめくった時に目についたのは最近被害を訴えたばかりの21歳女性だ。犯人は分かっているものの、なかなか捕まらない常習犯。その加害者、いや犯罪者コンラッド、30歳、彼は何度も様々な女性に同じくストーカー行為を繰り返している。犯罪履歴を見たところ、彼は三人の女性を殺している。初犯は六年前、犯行は単純で女性に二年付きまといその後は暴行を加えて殺す。その後はすぐに標的が移る、といったワンパターンだ。初犯の時に捕まっていて指紋も取られているようだが、その時は逃げたようでそれから姿は見せていない。

「ひどい、ひどすぎる」

 だいたいのストーカーは一人だけを集中的に狙うが、彼の場合死んでしまえば用無しなのだ。勝手につきまとっておきながら、過去のことは忘れてまた同じことを繰り返す。ほとんどのストーカーの犯罪者が口にする犯行動機は、愛していたから、だ。これは本当の愛なんて言わない。
 おれだってドナを愛していたが、こんなことは…。
 そこで、考えるのをやめた。ドナが浮かんでくると同時にノエルも浮かんできてしまうからである。仕事に手がつかなくなる前に、ケネスは頭からその記憶を薄れさせた。




 パーシーが眠りから覚めると、そこにはいつもいるサイラスとハロルドは勿論珍しくエイルマーがソファの端に座っている。しかもエイルマーは険しい顔でハロルドを睨んでいて、何事かとパーシーは焦りながら起き上がるとエイルマーが口を開いた。

「怪我するなんて、らしくない」

 嫌味ったらしく言うエイルマーにハロルドは足を組んで何も答えない。ハロルドは普段身だしなみを気にしている格好とは、程遠いラフなスタイルをしていてだらしないズボンの片足は巻かれていた。その片足には包帯が巻かれていて、少し痛痛しい。

「俺だってヘマする事あるんだよ。」
「最近ミステイクばかりだけどね」
「お前な!」
「まあまあ!」

 売り言葉に買い言葉、喧嘩を始めてしまいそうなくらいとげとげしい言葉に慌ててパーシーが間に入ると二人は顔を逸らした。こんな事をするのはいつもハロルドとサイラスなのだが、エイルマーがムキになるなんて珍しい。まずいつも多忙なエイルマーが何の用もないのにこの場でグダグダしているのすら貴重だ。
 来ても良いんだけど、喧嘩はやめてくれないかな。仲良くやろうよ。
 面倒臭がりなパーシーは首を鳴らしながらため息をつく。そこでやっとエイルマーも正気になったのか、顔を逸らすのをやめて彼自身もため息をついた。するとエイルマーが立ち上がる。

「ここに居ても君たちを不快な思いにさせるだけだな。ごめん、もう行く。早く怪我が治るといいね」

 いいたい事だけいうと、エイルマーは颯爽と部屋から出て行った。なんだったんだ、と完全眠気がなくなったパーシーがドアを見ているとサイラスが窓の外を見てエイルマーを目で追う。彼の背中には自分と似たようなものが感じられて、サイラスは何も言えなくなった。
 ここにいる者は皆何かを抱えている。皆トニーと秘密を共有しているのだ。だから誰も深くを語らないし、聞きもしない。そんな慰めはいらないと、なんの救いにもならないと知っているからだ。
 ハロルドは足をさすると、長いソファへと体を預ける。パーシーも寝直す事にして、薄汚いと思いながらも布団を掛けた。


 エイルマーはハットを深くかぶると、早足で道を歩く。傷つける訳ではなかった、クールにいようと思っていた。だけど現実、上手くは行ってくれない。
 あの日が近付く度、怒りと憎しみと悲しみで正気なんか保てなくなるのだ。

「もう少しだ、もう少しであいつを殺せる。だから、そうしたらやっときみに逢えるから。待っててくれ、罪滅ぼしをするまで」

 遠くから見つめる彼女が眠る場所。彼女に近寄りたいのに、彼女に見合わせる顔がないといつも近付けない。祈るように膝をつくエイルマー、道路を挟んだ向こう側、彼女が泣いている気がした。






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