今日一日長かった気がする。朝からのノエルとの何年ぶりかの朝食、ハロルドの予告状、三人からの誘いの断り、そして足を負傷したハロルドの捕獲、サイラスからの電話、そしてこの、メッセージカード。Lのアルファベット一文字だ。なんの事を言っているのかわからないので、ケネスはネクタイを緩めながら引き出しにしまう。

「ケネス、おかえり」
「!!」

 時刻はもう明日に向かおうとしているのだが、だからこそノエルは寝ていると思ったのでケネスはオーバーなくらい驚いた。寝室から出てきたノエルはケネスの脱いで椅子にかけられたスーツを掛けると、椅子に座る。

「今日は、ご馳走作って待ってたんだけどな」
「ご、ごめん。でも、なかなか抜け出せなくてさ」

 咄嗟に吐いた嘘は上司達との飲み会、それだから抜け出せそうにない、とメールを送った。実際は上司と食事すらしていないし、ハロルドといただけである。ボロを出さぬようちゃんとビールも二杯飲んできたので、自分は酒臭いだろう、合格だ。ケネスは冷めた体を暖めようと珈琲をいれることにする。目覚めてしまうが今は色々忘れたかった。すると、ノエルはへえ、とスーツをさする。濡れているから触らない方がいいと、言おうとしたがその前にノエルに遮られた。

「ボールペンは?」

 ケネスは珈琲を淹れる手が止まる。ゆっくりと、顔をあげてノエルを見ると、ノエルは変わらず笑顔だった。

「え、いや…な、なんで?」
「初給料で買った高級ボールペン、肌身離さず胸ポケットにいれてるって自分で言ったの忘れたのか?」
「あ、ああ、そうだったっけか。昨日落としたら壊れてさ、捨てた」
「そうなのか。もったいない」

 そういえば、昨日の夜語り明かした時そんなことも言った気がする。すこし、びっくりしてしまった。ランドンのストーカーの話といいタイミングで盗聴器があったからか、ケネスは少し敏感になっている。あのボールペンは盗聴器が入っていたことが気持ち悪く感じてしまい、結局ホテルのゴミ箱に捨ててきた。また買えばいい、独り身の男はお金があるのだ。ノエルを疑うなんて馬鹿らしいと、 マグカップを持つとノエルの向こう側に座る。コーヒーを啜ると、ノエルの笑顔がなくなった。

「ハロルドって誰だ」

 こんな怖い顔のいつぶりか、分からないほど、彼は本気の顔をしている。目を離せなくなり、まるで首絞められているくらい、苦しくなった。
 なんで、ハロルドの名を?
 自分は誰にも、ハロルドの名を口走った覚えはない。ハロルドと話している時も、誰かいる気配はなかったはずだ。ならば、なぜ知っている。ケネスは唾を飲み込むと、ノエルが自分のポケットを漁った。するとボールペンを机の上に置く。
 間違いない、あれは自分のボールペンだ。だが、さきほども述べたようにホテルのゴミ箱に捨ててきた、はず。すると、ノエルが問い詰めるようにボールペンをつつく。

「焦った顔、なにか後ろめたいことでも?」
「な、なんでノエルがこれを」

 バラバラになったはずのボールペン、綺麗な形で目の前にあった。気味が悪い、まさにこの事である。ケネスが震える手を押さえながら言うと、ノエルはボールペンを取り自分の頬を一定のリズムで叩いた。それが、時計の針が迫ってくるような焦燥感に駆られる。手汗が止まらなくなった。聞きたくない答えが帰ってきそうでここから逃げ出したくなるが、足は縫い付けられたように全く使い物にならない。ケネスが、目をそらした瞬間、彼の乾いた口が開いた。

「昨日、ケネスのボールペンに似た盗聴器付きのボールペンを入れ替えた。だからこっちが本物」
「なんで、なんで、盗聴器なんて、ノエルお前お…」
「もしかして、俺の事おかしいって言いたいのか」

 おかしい、と言おうとすると、ノエルが決して上手くない作り笑顔をする。わざとなのだろう、薄目を開けてこちらの反応を楽しんでいるようにも見えた。ケネスは言うか迷うが、正直に頷くと、ノエルはわざとらしくため息をつく。そして、立ち上がると机を叩いた。大きな音を立てたので、ケネスが怯える。

「なんなんだよ、ノエル! なんでそんなにムキになって、」
「なんなんだ、ってな! 俺はお前が心配なんだよ、だからこうやって見守っているんだろう!?」
「でも、盗聴器はやり過ぎだ! もう金輪際やめてくれ!」

 大声を出すので、耳を塞ぎながらケネスは言うと、ノエルは自分に怯えているケネスを見て、怒鳴る事をやめた。ケネスの怒鳴り声で頭が冷えたのか、ノエルは頭をくしゃくしゃにすると顔を両手で包み込む。ため息を何度もして、立ち上がったり、また座ったり。その度、ケネスは体をビクビクとさせていた。兄弟とはいえ、いつも優しかった兄がいきなり人が変わったのである。いつなにが起こるか分からず、ケネスは警戒していた。まるで、他人のように感じる。そんな距離を置くケネスを一度見て、ノエルは首を振る。

「確かに、盗聴器はやり過ぎた、あと、怒鳴ったのもすまないと思ってる。でも心配だからなんだ。五年間もケンが連絡してくれなかったから、なんか悪い事でもしているのかと思って、心配だからこそなんだよ! だからそんなにビクビクしないで、距離を置かないでくれないか、悲しいよ。もうしないから」

 参ったように言うノエルに、ケネスも揺らいだ。この柔らかな言い方も優しい兄であるし、確かに心配性の兄の五年間も連絡を絶っていた自分も悪い。ケネスが住む場所が一番治安も悪いし、警察と言えど誘惑に負けていつ悪い方へ転がってもおかしくはない。疑われても仕方ないことだった。だが、ケネスはどうしても盗聴器が許せない。今までノエルだけが一番信用できた、血を分けた双子、だからこそお互いが信用し合っていると思ったのに、これは裏切りに思えてショックを受ける。椅子から立つと流しにコーヒーを捨て、シャワールームに向かった。一度止まり、ネクタイを緩める。

「もう終電ないから泊まってもいいけど、明日帰れよ。心配なら電話には出るから、もう、来るな。…おやすみ」

 ノエルを見ずに言い捨てると、ノエルがああと返事するのが聞こえた。それが悲しそうに聞こえて、ケネスは胸が痛む。だが、今回の件は今までのケンカのなかでも別格で、さすがに許す気はなかった。
 疲れたので寝る前にシャワーでも浴びるかとバスルームまで行って服を脱ぐ。なぜか見られている感じがして気持ちが悪くなったが、脱がないわけにもいかず、するすると脱いで行った。
 シャワーの蛇口を捻り、熱いお湯で温まると今日当たった冷たい雨を思い出す。サイラスも気掛かりだが、どうしてもハロルドが心配で、メッセージカードの事も気になった。今でも肩に残る、ハロルドの熱い吐息。忘れるためか、ケネスは首を振る。彼は、捕まえなければならないのだ。体にじんわり残る雨の冷たさ、何故か忘れられずにいた。

 ケネスを見送ることもせず、ノエルは一人でふさぎ込んでいる。せっかく弟と会えたのに追い出されてしまうなんて、悲しすぎた。前からこの家は知っていた、そんなの裏で取り引きすれば一日も経たずに知れる。だが、裏で調べたとケネスが知ればまた距離は開くだろうと思い、徐々に近づきわざわざ教えてくれるように仕向けたのである。だから、盗聴器のことも言わない筈だった。ケネスが前のケネスに戻るまで言うつもりはなかったのに、ケネスが他の人の名前を、あんな心配そうに呼ぶから、嫉妬をしたのである。心が、燃え尽きてしまうかのような、嫉妬。
 そう、ケネスはドナを呼ぶ時もあんな、声で彼女を呼んでいた。彼が名前を、呼ぶのは自分だけでいいのに。

「なんで、こうなるんだ?」

 また、距離が開いてしまった。同じお腹から、同じ血を分けて、同じ天井を見て、生まれてきたのに、なんでこんなに遠いのか。いつだってケネスと繋がりたいと思っていたのに、ケネスは離れるばかりだ。ノエルは目をつむる。
 前は、ケネスの世界に自分以外に幼馴染のドナが入ってしまった。だからドナがケネスを好きになってしまわぬよう、自分を好きになるようにしたし、ケネスの世界に誰かひょっこり入ってしまわぬようケネスに友達が出来ないように努力して、ケネスの周りから消して行く。順調に進んでいたはずだったが、ケネスはショックからかノエルから逃げて行ってしまった。これが運の尽きか、自分だけを残した筈なのに、ケネスには誰もいないはずだったのに、少し目を離した隙に事態は悪化していたのである。どうして、こうなった。
 そしてノエルは、閃く。次は誰を消すべきか浮かんだのだ。

「ああそっか、ハロルド、消せばいいのか」

 笑いながら、ノエルは立ち上がる。そして、ケネスのスーツに抱きついた。愛しい弟、自分の命の片割れ、彼がいなければ自分は息が出来ない。

「おやすみ、ケネス」

 湿ったスーツを撫で上げると、ノエルはこのまえ聞いた話を思い出した。たしか情報屋の中でも一番優れたエイルマーという男が、ここら辺の近くでうろついているという噂である。彼と取り引きするには決まりがあるらしいが、それを知るのは難問であった。だが、ノエルには容易い。
 彼の仕事は弁護士であるが、とある裏世界の男が人殺しをしたのを、昔、無罪にした貸しがあった。裁判に勝つためノエルも隠蔽工作をしたり、男には苦労させられたものだ。男はなかなかのやり手で、エイルマーの情報も男からなので、頼んで調べてもらえばわかるかもしれない。そう、ノエルは金さえ積めばどんな悪人でも守る弁護士なのだ。
 実の兄がケネスが追いかけてる悪人を助けてるなんて知ったら悲しむだろうな。でも、そうだなあ。それは嬉しいな、俺のためにケネスが悲しんでくれるなんて。
 ノエルは思いながら、寝室の扉を開ける。ケネスの匂い、ケネスの、思いに浸っていた時に、ふと、カメラを見てみた。誰にも気付かれない位置に置いているはずだ、それなのに。ノエルは少し前の出来事を思い出す。
 前に、いつものようにケネスの日常を見守っていると、配達員と見せかけたがすぐに服装が変わった不思議な男がケネスの家に入ってきたのを見たことがある。あの時は盗聴器は付けておらず、音声なしのカメラだけだったので結局誰だったかは分からなかったが、彼は最後出て行く時に、カメラと目を合わせた。たまたまと信じたいが、もしかして?

「まあいい、どちらにしろ、あいつも見つけ出して消してやる」

 ノエルは呟くと、布団に入り込む。そして窓に叩きつけられる雨音を聞きながら、ゆっくりと眠りについた。




 




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