「おい、てめえ、誰だ?」

 サイラスが低く唸るのが聞こえて、ケネスは涙も引っ込み冷や汗をかく。警察が、犯罪者と抱き合っているところなど誰に見られてもまずいので見られた相手がノエルで良かったが、なぜノエルがここにいるのだ。ノエルに言った住まいはもう引っ越したし、ましてやいまは見回り中。こんなところ観光地でもないし、くるはずがないのだ。
 なんでこんなところに、と言いたいところだが、ノエルはちゃっかり拳銃をサイラスに向けていて、サイラスも戦闘体制である。ノエルは自分と違ってただの弁護士、護衛術も知らないだろうし、サイラスにやられてしまえば一瞬だろう。

「サイラス」
「あ?」

 小声でサイラスを呼ぶと、サイラスはケネスを睨みつける。ケネスは尋常じゃないサイラスの目つきによくこいつと抱き合っていたな、と正気に戻りながらも名刺を出すと、サイラスのポケットに入れた。そして二人にしか聞こえない声で言う。

「いいか、また辛くなったらいつでも連絡しろ。そしたら俺の渾身のジョークで忘れさせてやる!」

 そこまでいうと、ケネスはサイラスを突き飛ばした。サイラスは水たまりに尻餅をつくが、怒りもせずひとつ笑うとノエルに背中を向ける。するとノエルはサイラスに拳銃を向けるが、その前にケネスが立った。ノエルは、顔を歪ませる。

「どういうことだ、庇うな、撃ってやる!」
「もういいんだ、やめろって、ノエル!」
「ケネス、それでも警察か!」

 出たよ、兄貴のお説教。
 うんざり思いながらも、兄は弟に弱いのを知っているケネスはわざと肩を抱くとぶるり、と体を震わせた。するとすぐにノエルは食いつき、傘をさすと自分のスーツのジャケットを肩に掛ける。
 双子と言えど大人になれば容姿もかわり、二人はもともと二卵性双生児という事もあってか似ても似つかぬものだ。黒髪にブラウンの瞳、二人ともそこまでは一緒。だが、ケネスより少し高い背に弁護士とは思えない肉体美。少しお腹が出てきたケネスとは違い、スーツの上からでも分かるほどのスタイルの良さだ。ケネスと同じくらいの髪の長さだが、少し違うのは綺麗に切りそろえられた短髪をセットして若く見せていて、もちろん髭も濃くない。若く見ても、大人の色気も出ているため文句無しの容姿だ。ケネスはそんな憧れの兄を、とてもじゃないが凝視出来ずに顔を逸らす。すると、ノエルはケネスの頬に手を当てた。雨で冷えた色の悪い肌を、撫でて眉間にシワを寄せる。

「こんなに濡れて、風邪でも引いたんじゃないか? こんな処で話はやめよう、どこか屋内へ」

 まだ仕事中なんだけど、思いながら時間を見るとまだ終わりの時間まで三十分も時間があった。今日は幸いにパートナーもいない上にパトカーを指定の駐車場に置いた後は直帰であるし、帰ってもばれないとケネスは思いながら頷く。すると、ノエルはそうだ、と明るく言った。

「ケネスの家を教えてくれないか」
「いやだ」

 ケネスが即答したのにノエルは残念そうにしながらも、パトカーの処まで連れて行く。車に入り座席が濡れたのを見て、ノエルがカバンからタオルを出した。

「皆さんが兼用されるパトカーなんだから、濡らしたらまずい。これ敷いて」
「わかったわかった」
「ケネス」

 返事を適当に返すと、ノエルがケネスを睨みつける。ケネスはなんとも言えなくなり、渡されたタオルを尻の下に敷くとシートベルトをした。
 昔からそうだ。ケネスを可愛がり甘やかしたが、いつも正しいことを教えてくれたのはノエルだ。そんな心から純粋で素敵なノエルを両親は愛した、そして、あのドナも。

「…結婚生活、上手くいってんの」

 ケネスは久しぶりにこんなに柔らかい言葉を出したとおもう。やはり仲のいい者などいても、兄弟の仲以上はなかった。車がワイパーを震わせながら路上を走る。まだ7時半過ぎだと言うのに道は人影がなく、町中暗い印象を受けた。

「そうだな、うん。上手くは、いってないんだ。いま、別居中だ。ちょうど三ヶ月になるかな」

 ケネスはブレーキを踏む。道路の真ん中だが、幸いに後ろは誰れもいなかった。ノエルは苦笑いしながらケネスを見る。

「おい、いくら人がいないからって危ないじゃないか」
「なんで」

 ケネスは発進せず、ノエルを見た。

「なんでだ、ノエルとドナはケンカしてもすぐに仲直りしていたじゃないか! それなのに、折角結婚して幸せに暮らして、生涯を共に過ごす時なのに、なんで別居なんて…」

 続きを言おうとした時、後ろから大きなクラクションの音が鳴り響く。ケネスは震えた手でウィンカーを出して、サイドに寄ると再びノエルを見た。ノエルはいつも、どんな時も目を離さない。この時だって一緒だった。だからか、問いただしているケネスの方が怯んでしまい、唇を噛む。
 するとノエルは少し濡れてしまったスーツの端を気にしながら、笑った。

「友達の頃とは違う、夫婦となるといくら神に懺悔したって許されない過ちはある。俺にも彼女にも罪があるんだ。」

 雨の音が一層強くなった気がする。あやまち、その言葉だけゆっくりと聞こえて、ケネスは何も言えなくなった。ノエルは、兄は、今まで誠実で神の教えに反したことはない。いつか、神父になればいいとケネスが言った時に、ノエルは一度だけ、今までで見たことのない様な笑顔を浮かべたことがあった。そう、今の様な、心の奥が見えない、黒い笑顔。それ以上のことは聞けなかった、今も、あの時も。

「ノエ…」
「仕方ない、家を教えたくないなら、二人でホテルでも泊まろう。今日は二人で話したい気分なんだ」

 会いたくない理由。それは、ドナの事だ。ズルズル引きずっている心の狭い自分。ノエルは愛するドナと繋がっても、何か知らないものに縛られて苦しんでいたと言うのに自分は子供の様に拗ねて、彼を無視していたのだ。彼と会って、やっと彼が分かった気がする。
 明るくしようと話を変えてきたノエルにケネスは首をふる。またウィンカーを出して道路に出ると、アクセルを踏んだ。

「俺の家に行くの、車置いて行ってからでいい? 俺も兄さんと話したい事いっぱいあるんだ、今日は泊まってけよ」

 まるで子供の頃の様に、暖かい声で言うとノエルは目を輝かせる。それはそうだ、あれだけ避けられていたのだから前のケネスに戻って嬉しいのだろう。ノエルはケネスの首に巻きついた。

「〜、兄さんなんて何年ぶりだっ! ケン、お前ってやつはやっぱり俺の弟だ、可愛いな!」
「あーも、運転狂うからやめろ、あとケンも!」
「はいはい」

 折れたように見せつつも、彼はケネスの運転席の背に手を置いたままである。だが、ケネスも怒れずに、結局駐車場までパトカーを置くと、家まで案内してしまった。
 教えないと決めた筈なのに。
 もうこれ以上干渉し合わないように、教えない筈だったのに教えてしまうなんて意外と自分も彼をうらみきれていなかったのである。隣で笑う兄を見て、ケネスは五年間あった心のもやもやが少しずつ消えて行く気がした。
 ケネスの部屋に入って、ノエルがまず言った言葉は殺風景。まるで本当にホテルか、とでもいうように使うものしか置いて居ない。寝室にはベット、リビングにはソファーやテーブルにテレビ。キッチンについては暇がある日は料理するのでまだ生活感があるが、ノエルは頭を抱えた。

「娯楽に使う金もないのか! 俺に言えばいくらでもやったものの…」
「勝手に妄想膨らませんな! いらないものは置かない、部屋はいつも綺麗に保つ、これは俺のポルシーなの!」

 そういえば幼い二人がまだ相部屋だった頃、性格に反して汚しまくっていたノエルと反対に、ケネスのテリトリーはいつも綺麗に片付けられていた。いや、悪くいえば物がなさ過ぎるのである。ひとつ、ケネスの人間性を感じるのは、小さい頃にノエルが誕生日にあげた絵本だ。
 ノエルが小さい頃のケネスを思い出しながら笑っているのを、ケネスは他人のように遠目で見るとノエルは正気を取り戻す。

「そ、そうなのか。ならいい。ちゃんとご飯食べてるか?」
「食べてるよ。…あのさ、心配し過ぎなんじゃねーの?」
「いや、五年も会ってなかったんだ。心配するに決まってる!」

 兄さんは前から変わらない。
 呆れつつも安心したケネスは、ため息をつきながら濡れた靴を干すと、ポケットのものを机に置き、服も脱ぎ始めた。

「もういい、そこらで寛いでろ。俺、シャワー浴びてくるから」
「わかった」
「あ、へんな探索はすんなよ!? 兄弟といえどプライバシーが…」
「うんうん、分かったから。ゆっくり暖まれよ」

 威嚇しながら言うケネスにノエルは心から笑いながら手を降る。ケネスも兄の世話焼きに悪い気はせず、緩み切った顔で手をあげるとバスルームに入る。暫くしてシャワーの流れる音がして、ノエルはソファーに腰を掛けた。
 テレビをつけると、ちょうどドラマがやっている。ラブストーリーなのか、甘い雰囲気の男女が笑いあっていた。ノエルはそのテレビを無表情に見つめる。その顔は、先ほどケネスと話した時とは想像もつかないものだ。
 そこで机の上でバイブが鳴る。ノエルの肩がびくりと跳ねて、鳴った方向に目を向けた。鳴ったものはケネスの携帯である。ノエルはケネスの携帯を取ると、トップに出たパスワード入力を難なく打ち込むと来たメールを覗いた。
 送り主はジム・フレーザー。ノエルは、その内容に、目を見開く。

「見回り、お疲れさま。警部の代わりによくやった。僕のせいだね、今度お詫びに何処か連れて行きたいんだが、暇な日を教えてくれないか…?」

 ブルブルと手を震わせて、携帯を握りしめた。そして、なんの迷いもなく、消去のボタンを押す。携帯を抱えると、ノエルは歯を食いしばった。

「こいつ、いつも、いつもいつもケンに親し過ぎなんだよ。さっきも男に抱き締められて、ああ、くそ、これだから俺の手元を離れたらダメなんだ! ケンはお前なんかに目もくれてねーよ! 」

 そして立ち上がるとクローゼットを開ける。壁に埋め込まれたとても小さいカメラ、レンズを拭くと自分の携帯を見る。すると、そこには自分の顔が映っていた。ノエルは、首を鳴らす。

「最近映りが悪い、ふん、高画質に変えなきゃな」

 そして、カメラを後にするとまたクローゼットを閉めた。タオルを取るとバスルームの前に立つと、シャワーを浴びているケネスの影を見つめる。それを見て、目をつむった。

「ケネス、タオル忘れてる。置いておくよ」
「っあ、そだった! ごめん、ありがとう!」
「はは、ケネスは最近いつもタオルを忘れるな」

 ノエルは言うと、ケネスの言葉も聞かずバスルームを後にする。そしてまた、元の位置に戻りテレビを見た。
 ケネスはシャワーを浴びながら、ノエルに言われた事を思い出して体を洗っている。言われた時は30歳にもなってうっかりしている自分を知られて恥ずかしかったが、少しノエルの言葉に引っかかった。最近、と言ったがノエルとは五年間会っていないはず。しかも実家暮らしの時はバスルームの横にタオルがあったので、忘れるもなにもなかった。
 誰かと間違えたのか? ノエルが間違えるなんて、珍しいな。
 シャワーの蛇口を止めて、ひとつ背中を伸ばす。だが、さほどケネスが気にするほどではなかった。そうしてタオルで顔を拭くと、また違和感を感じる。そう、先ほど感じたが忘れていたあの疑問。
 そういえば、なんであの場にノエルが? 今日急遽変わったし、あの時は警部以外だれも知らないはずなのに。
 同僚に聞いたとしても、あんなに正確にはケネスがいる位置なんて分からないだろう。ぽつり、ぽつりと増えていく疑問。なぜかいやな予感がしたが、首をふって忘れる事にした。久しぶりに兄弟水入らずで話ができるのである。変な事で悩ますのは好ましくなかった。
 ケネスは鏡で顔を引き締めて、部屋を出る。そして閉められて明かりも消された部屋の中、鏡の上の端、一度だけ光が存在を主張した。
 まるでいつでも見ている、とでも言っているように。







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