ケネスは傘をさして歩きながら徐々に濡れて行く靴を見ていた。雨が強くなったせいかここにいても正直人も通らず、見回りの意味がない。路上が濡れているせいで、何処かに腰をかける事も出来ず二時間ほど歩き回りそろそろ戻りたくもなってきた。だがあと一時間、警部の代理をやり遂げなくてはならないのである。

「さっみい」

 鼻の先が冷たくなったのを感じて、ケネスは傘を回す。透明な傘なので雨の粒が見えてこんなに降っているのかと、思いながらその奥に見える薄暗い空を見た。すると、目の前から革靴が鳴る音が聞こえる。ケネスは顔を真正面に戻して前を見ると大きな人影が見えた。
 そしてその影は自分のところまできて、止まる。

「ケネス…」
「サイラス・ガフ!?」

 ただの見回りで、まさか五天王に会うとは思っていなかったので、近くに止めたパトカーにうっかり拳銃を置いてきてしまった。警察失格だと後悔しても遅い。ケネスはゆっくりと距離を開けると、サイラスは静かな声で言った。

「なんでこう、お前は、タイミングわりいんだ。ちっ、早く、どっか行けよ、早く行かねーとお前に手えだすぞ」

 初めて会った時の強く威圧感のある声とは違うが、これもこれで冷や汗をかきそうになる。冷たい、その一言だ。五天王が言う、ケネスに手を出さないという決まり、というより誰かに指示をされているようだが、気になって仕方がない。しかもあれだけ理性を失っていたサイラスが“ケネス”と知っただけで攻撃をやめた。なにか深い理由がある。
 そして、そこまで謎の人物に従順なサイラスが今はそのケネスに手を出すかも、と言っていて、いわゆる最高に苛立っているようだ。
 死んでもいい、こいつを放っておく訳にはいかねえ!
 ケネスはいつでも来てもいいよう、体を構える。

「なんだよ、俺と戦おうとでも言うのか?」
「…今のお前を野放しにするのは、出来ない」

 するとサイラスは怒ったのか、荒々しく頭を振ると手首を鳴らし始めた。本気だ。ケネスも深呼吸して、目をつむる。武器も鈍器もない状態で勝てる可能性は、ない。武器といえば、かろうじでこの傘、目にさせば致命傷を与えられるはず。だが、彼の視界を一生奪う権利など、ケネスにはなかった。まだ、死を前にしてなお、ケネスにケジメはつけられなかった。傘を捨てて向き合うと、サイラスが睨みつけてくる。よく見るとずぶぬれの彼の顔は、まるで何かから逃げているような顔をしていた。
 一瞬にして体が冷め、声に出たものは考えているものとは程遠いものである。

「怖いのか」

 瞬間、サイラスの肩が跳ねた。そして、目を合わせて、瞬きをする。

「なに、言ってんだ? なにを」
「わかんねえけど、なんか」
「怖い、わけねえだろ、なにがあっても、なにも怖くねえ、誰も、助けは、いらねえんだよ、でも、いや」

 歯切れの悪い言葉ばかり繰り返すと、近づいて来ていたサイラスはそこに立ち止まった。血のように深い赤の長い髪は、サイラスの顔を隠し、彼を幼く見えさせる。だから、だろうか。ケネスはもっと放っておけなくなった。ケネスが近寄ると、サイラスは息を飲む。そして一歩下がるのだ。ケネスは、声を絞り出した。

「なにをそんなに恐れてんだよ、大丈夫だ、何もしないからっ」
「意味のわからない事を言うな、俺は怖くなんかねえんだ、なにも、なにも! だから、助けは」
「どうしたんだ、なにが」
「うるせえ!!」

 着実に近付いて行けたと思ったが気を抜いてしまったせいか、間合いを誤り、サイラスが手を振るった時にケネスの顔に当たる。ケネスは飛ばされて路上に叩きつけられた。小さく唸るケネスに、サイラスは少し正気を取り戻したのか、やってしまったと顔を歪める。だが、ケネスはよろよろと立ち上がった。前に食らったパンチよりは痛くはないので、なんとか起き上がれる。そして犯罪者であるのに、サイラスを救う事で頭がいっぱいになった。彼は助けを求めている、と何故か、思ったのだ。
 あいつの時と、一緒だ。畜生め。
 歩き出すとサイラスはまた手を振りかざすが、ケネスはその拳を受ける気で近寄る。そんなケネスに拳を震わせ、なかなか振るえずにいた。そんな躊躇いを見せたせいか、ケネスはもう既にサイラスの目の前につく。そして、目を見開くサイラスと目を合わせた。

「殴りたいなら好きなだけ俺を殴れ、ただし、その怖いものから一生囚われたいならな!」

 雨がざあ、と一層強くなる。サイラスの髪に雨が滴り、顔に引っ付いたそれが血が垂れたように見えたのは、この場にいるケネス、だけだった。
 サイラスは振りかざした手をゆっくりと下げる。そして、ケネスの肩に頭を置いた。ずっしりとした頭がケネスの肩に重さを掛けるが、それが頼られたようでケネスは何処か嬉しくなる。そして、つぶやく様に彼が言った。

「もう逃げるのは嫌だ、忘れたいんだ、でも、雨が、降る度、雨で濡れる度、雨の音がする度、俺を追い詰めるんだ、どうすりゃいいんだよ」

 きっと、彼はその時泣いていたんだと思う。だが、ケネスはその姿を見ない様に彼の背中をさすった。微かに何度か揺れるしゃくりに、人間らしいものが感じて、冷たい雨を受けているのに体が温かくなる。指名手配を見たとき、こんな事をするのは人じゃないと思った。こいつらは酷い、人間でもないと。だが、触れてわかる。彼は、彼なりに生きていたのだ。

「前を見ろ、サイラス」

 サイラスはおずおずと、顔をあげる。その姿が可愛らしいと思ってしまったのは、ケネスは心の中にしまい込みながら、力を抜いた隙にサイラスの手のひらから身を翻した。そうして、先ほど投げ捨てた傘を取り、ケネスは傘を広げた。

「なんだよ」
「雨が嫌いなら、まず傘をさすべきだな。そしたらぬれないだろ。」

 サイラスは硬直する。そして何かを言おうと開かれた口にかぶせる様に、ケネスは言った。

「そうだ、レインコート、ブーツがあったら最高だな。あれは完全防備だ。この前うちの後輩が来て来た時は、良い手だ、と思ったよ」
「そういうことじゃ、」
「それと」

 広げていた傘をサイラスを守る様にさすと、強くなった雨に対抗する様に笑う。

「雨の音が聞きたくないなら誰かと話して、忘れるくらい笑っちまえば良いんだよ! 話し相手がいねーなら、俺が話す、まあ仕事のない時だけど…、つーかそれならお前にも話せる仲間がいるんじゃねーのか?」

 五天王とか、と言ったケネスの最後の声は聞こえなかった。いや、聞こえなかったわけではない、言えなかったのだ。力強い、サイラスの腕に抱かれてケネスは唸ったがサイラスの力は強まる一方である。反射的に傘を離してしまい、落ちてしまったのでまた二人揃ってびしょ濡れだが、顔を真横に向けて見たサイラスの横顏は先ほどよりも何倍もすっきりした顔になっていった。
 まあ、いっか。
 ケネスは暖かい彼の腕に抱かれながら、雨に打たれている。ケネスも久しぶりの人間の熱に少し、当てられたのか。最後に人とこんなふうに触れたのはいつぶりか、たしか、小さい頃、兄のノエルとドナと、よく一緒に寝た。三人で居る時だけ、両親のことを忘れられたのである。自分は彼らとなんの変わりもないと思えた。三人で笑って抱き合って、暖かい布団の中、楽しくて。
 そう、楽しくて。

「っ、うぅ」
「…ケネス?」

 虚しさがついに溢れたケネスに、サイラスは驚きながら体を離した。驚かしてしまったと分かっているのにいままで我慢していた涙が出てしまったせいで、なかなか止まらない、ポロポロと雨と共に流される涙。するとサイラスはケネスの頭をもつ。

「なんだよ、どうした、そんなに俺に抱かれんのやだったのか?」
「ちがっ、違うから」
「じゃあ、なんだよ」

 説得力もなく言ったケネスに、サイラスは怒ったように言うが、ケネスは首を振るしかできなかった。サイラスは頭を撫で始めるので、人を慰めるつもりが慰められてしまったと恥ずかしく思っていると頭上から、一言、暖かい吐息とともにケネスに触れた。

「泣くな…」

 まるで、女を慰める様に熱く、優しい声。耐えられず、離れようとした時、聞こえて来た声。

「貴様、ケネスから離れろ!!」

 ケネスは固まる。今朝聞いたばかりだが、こんなに近くで聞いたのは何年ぶりか。雨の音でかき消されるようなこえで呟いた。

「ノエル…?」








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