いきなり聞こえた声に、びっくりする。そりゃ掛けたのだから返事をするに決まっているが、エイルマーに携帯を変えていたら出ないと言われたのでその可能性が高いと思っていたからだ。公園や美術館で聞いた声で、彼が本人だと分かる。いざ、電話に出られてしまうとどうしていいのかわからなくなる。あちらが何度もエイルマーの名前を呼んで来たので黙り込んでしまうと、エイルマーが呆れたようにケネスの手から携帯を取った。

「やあ、ハロルド、ご機嫌いかが。そうか、それはそれは。え? ああ、そういえば依頼でね。君と話したいと言うものがいて、いや、大丈夫。安全は保証するよ。とりあえず話すだけだ、いいだろ? うん、わかった、じゃあ代わるけど、電話はこっちから切る。誰が代わっても切るなよ? …報酬をすこしくれ? はいはい、わかったよ、代わるね。はい」

 軽く渡されたが、その携帯を受け取る勇気はない。いやいや、と首を振れば痺れを切らしたエイルマーはケネスの顔に携帯を押し付けた。ケネスは自分の手に落ちて来た携帯を手に取ると、息を呑んで耳に当てる。次会う時は名前で呼んでくれと言われたので、その名前を口にした。

「は、ハロルド?」
『ん、あんた…』
「覚えてる、か? 美術館であった警察だ」
『はあ?!』

 耳が劈くような大声に、ケネスは耳から携帯を離す。そしてまた耳に当てれば、なんでケネスがとか、エイルマーのやつとかブツブツ一人で言っていた。自分の名前を名乗ってはいないので覚えてもらえているのは嬉しかったが、焦り方が誰かに似ている。そうだ、サイラスだ。ケネスとわかった瞬間、焦り方が尋常でなかった。
 俺って、有名人なのか…?
 すこし自惚れそうになりつつも、ハロルドと話したいので咳払いをするとあっちも冷静を取り戻す。

『ふふっ、まあいいや、話ってなんだ、早く話せよ』
「あー、そんな無下にすんなよな!」
『うるさい、こっちだって色々事情があんだよ。だいたい、お前警察のくせに…』
「だー! わかった! じゃあ早急に済ませてやる!」

 せっかく話せたのに文句を垂れるハロルドに、ケネスはイライラしてきた。たしかに自分は警察でハロルドからしてみれば天敵かもしれないがいまは捕まえないと言っているんだから、普通に接してくれれば良いものを。会った時のハロルドの笑顔を思い出しては、少しドキドキしていた自分の純情を返して欲しいと思う。そこで、ケネスは早口で伝えたかったことを巻き上げた。

「あの日、俺あの任務に色々掛けてたんだ。だからお前の気まぐれでもあの絵を置いてって貰ってよかった。しかも、お前にゃ関係ねーけどさ! あの日俺の、た、誕生日ってやつで、本当に…じ、人生最高のプレゼントだった!! ありがとうございました、そんだけだ、じゃーな!」

 言うと、ケネスはハロルドの返事も聞かないで切ってしまう。エイルマーも隣で話を聞いていたがびっくりして、ケネスが投げた携帯もまともに受け取れなかった。エイルマーは小さい声で、ちょっと、とケネスを呼ぶ。

「まさか、用って、それだけじゃないよな」
「…これだけ、礼が言いたかっただけだ。えーと、ありがとう、エイルマー。もう帰って良い」
「…そう。いいけどさ」

 エイルマーはどこか納得していないような声で言うと、帰るそぶりを見せなかった。どうかしたのか、とケネスが彼をみれば彼はかばんの中から金の束を出す。ケネスは驚いてエイルマーの手を掴むと、エイルマーはケネスの方に顔だけ向けた。

「これ、返す。こんなんじゃ仕事したって気にもならないし。」
「え。いや、十分仕事して貰った、これは受け取れよ。だいたい報酬をハロルドにやるって…」
「こっちは君からもらわなくても大金を懐にしまってあるんだ。ちょっとくらい痛くない。ところで、ケネス、俺の事は誰から聞いた? 警察でも契約している人以外なら困るんだけどな」

 ハットを深くかぶっているので、表情は見えない。たしかに人づてで聞いたのは無礼だったかと思い、ケネスは包み隠さず言う事にした。

「すまん、ジム・フレーザーって人に聞いた。警視長だ。」
「ジム?」
「知らないのか? 契約してるって言ってたけど」

 エイルマーが聞き直したので、ケネスも不思議そうに返す。あの時確かにジムは契約をしていると言っていたはずだ。ケネスがエイルマーの次の言葉を待っていると、エイルマーはそうか、と自分の中で片付けたようで口元に手を当てて考えだしてしまう。ここで聞いても彼は答えないだろう、とケネスはなにも言わず彼の高い鼻を見ていた。すると、エイルマーは顔をあげる。

「いーや、なるほどね。うん、尚更お金は受け取れない。君には紳士的な態度を取れと言われてる、ってこの話は君に関係ないや。とりあえず絶対お金は受け取らない」

 受け取るのはこのチップだけ、とケネスがエイルマーを配達員だと間違えて渡した少量のチップを見せた。勘違いしたことを恥ずかしく思いつつも、サイラスも同じようなことを言っていたことを思い出してケネスは言う。

「は? 誰にだよ」
「さあね、さて、ケネス本当にもう聞くことはない?」
「ああないさ、で、そいつって」
「俺は秘密主義だ」

 そう嫌味ったらしく言うので、こいつ、とケネスはエイルマーを睨むが、エイルマーは口を割る気は無いらしい。ケネスもよほど言いたくないことを知り折れるが、やはり気になる。ウズウズしているとエイルマーは立ち上がった。

「じゃあ俺は帰るよ、もう会うことはないからまたねは言わないでおくよ」

 来た時の格好に着替え出した。ならばスーツに着替える必要は無いと思えるが、どうやら彼のポリシーらしい。
 携帯もかばんの中にしまい込むとエイルマーはハットを傾けて、こちらに微笑みかけた。その顔は同性のケネスから見てもかっこいいので、鼓動が早くなる。ちくしょう、男前め。ケネスは口先を尖らせていじけていると、彼はケネスから目を離すと来た時にかぶっていた帽子をかぶり直した。その、後姿を見てケネスは居ても立っても居られなくなり、口を開く。

「危ない事だけは、すんなよ。お前、根はいいやつなんだろ。命だけは大切にしろよ」

 ケネスの言葉に沈黙が続いた。ケネスは自分の天敵になにを言っているんだ、と思うが、なぜか不安になったのである。エイルマーは一度止まったが、再び歩きだした。そしてドアを開けて、閉まる最中、また帽子から目を覗かせる。

「またね、ケネス」



 エイルマーは足早に階段を降りる。携帯を探しているようだが、なかなか見つからないらしい。そこで一つだけ使い古した携帯を見つけだした。その携帯に入っている番号は一つだけ、その人物を押して耳に当てれば、その人物はすぐに出る。

「やあ、トニー」
『おお、エイルマーじゃない。よく僕の電話が分かったね』
「俺に不可能はないさ。ところで」

 驚いたフリをしているが、トニーはいつもの口調だ。何処までも読めない男だ、エイルマーは思いながらも彼の唯一の弱点、ケネスの名前を出す。

「俺にケネスを送り込んだのは君だろう」

 やはり彼は一度言葉を飲んだ。エイルマーは笑いを堪えながら彼の返事を待つ。トニーと何年も一緒にいるが、彼がこんなに動揺したのはケネス以外のことであり得ないのだ。すると、トニーはふつふつと笑い出す。突然のことにエイルマーは黙っていると、トニーは大笑いのようで受話器越しでも手を叩く音が聞こえた。するとトニーの笑いはぴたりと止まり、可愛らしい声を出す。

『正解だよ。君はやっぱり頭がいいね、褒美をやりたいくらいだ』
「そりゃどうも。けど、トニー。君の望みは叶わなかったよ」

 トニーの希望は全く叶わず、ケネスはハロルドと話して満足だったらしい。最後に確認を取ったが彼はそれ以上望むものはなく、トニーの名前すら出さなかった。
 残念だよ、トニー。
 一ミリも哀れみの感情を持たない言葉を頭の中だけで言うと、トニーは変わらず、明るい口調で笑う。

『…そうかい。まあ、だろうと思ったけど。そうか、じゃあケネスはハロルドの情報だけ聞いたのか』

 そして、ぎり、と歯ぎしりと音。

『妬けちゃうな、本当に。僕もハロルドみたいな出会いをすれば、彼から知ろうとしてくれたのかな』

 エイルマーは楽しんでいた筈なのに、自分の背中に走る嫌悪に身を縮まらせた。やはりトニーと話すといい事はない、エイルマーは笑う事も出来ずに皮肉を言う。

「…知らないよ。妬けるならケネスに教えなきゃ良かったのに」

 そうだ、それならケネスも自分と会う事はなかった。自分だって、彼に興味を持つ事は無かったのに。それすらも分かっているのか、トニーは薄笑いで囁く。

『君は分かってないねえ、僕にも考えがあるの』

 彼の考えは一体、何を犠牲にするのか。エイルマーはそれ以上も聞かず、電話の向こうの相手に、中指を立てた。

「そう、わかったよ。じゃあ俺はこれで」

 エイルマーが言って受話器から耳を離す前に、向こう側で耳に響く音がする。そして切れる音すらしないで無音。そこでエイルマーは笑った、最後に聞いた音、それはきっとトニーが携帯を踏み潰し壊した音だ。それはエイルマーに電話番号が知れたから。前のトニーならエイルマーに番号を知られたくらいなら取って置いたかもしれないが、これだけ徹底しているのはこの前エイルマーが情報を売った事がさぞ気に食わなかったのだろう。
 それか、情報を消す目的だけではなく、ケネスが“自分”に興味を持たなかったのが嫌だったのか。どちらにしろ彼の子供らしいところが面白いと思いつつも、そこが一番怖いと思った。








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