何の変哲もない木曜日の朝、来たメールに目を奪われながら朝食をとっていると、インターホンが鳴り仕方なく功士に出させる。するとそこに立っていたのは、春だった。功士かま嬉しそうに桐間を呼ぶので食べていたパンを片手に玄関へ行くと、春は嬉しそうな顔でおはよう、と言う。桐間も嬉しかったが、頭もボサボサで決まっていない自分が恥ずかしくて、返事も出来ずに自分の部屋へ駆け込んだ。

「…おはよ、一緒にいけるならメールすればいいのに」
「理依哉をびっくりさせたくて!」

 もう身支度が済んで鞄を持つと、桐間は遅い挨拶を呟きながら二人で歩き始める。桐間は当たり前のように歩けるこの状況が嬉しかったが、いまいち理解できてなかった。この前夏に付き合ってはダメだと言われ二人は距離を置いて居たし、春も自分にはメールや電話と徹底していたのである。

「春、あのさ」
「夏くんから、お許しが出たんだ。勝手にしろ、だって!」
「え?」

 桐間は全てはっきり聞こえていたが、聞き返した。あの意地っ張りの夏が折れたなど、信じ難い真実である。だが、春の嬉しそうな態度を見る限り本当に言われたようだ。桐間が聞き返したのに、春は丁寧に答える。

「だから、もう付き合っていいんだって! もう言って来ないぞ、大丈夫!」
「とか言って、また気まぐれとかなんじゃないの?」
「今度そんなふざけたこといったら俺が許さねえもん! こいつで倒してやるぜ!」
「はいはい」
「ほんとだってー!」

 そう言うと春が頼りない腕の力こぶを見せるので、桐間は欠伸をしながら手をぶらぶらとさせた。隣で騒ぐ春を他所に、桐間は考え込む。
 俺の予想、夏は春のことを好きだと思ったんだけど…。
 桐間は春から夏の話を聞いていたが、夏の言動を聞くところ、夏が春を意識しているようにしか見えなかった。だからこそ春に一メートル以内に近寄るなと無茶を言ってみたりもしたのである。この間の体育では春と夏がいるところを実際に見たが夏は春にボールを当てられそうになっただけで本気で怒っていた。彼氏である桐間ですら怒らないような些細な事で彼は友達に暴言を吐いていて、性格の違いもあるのだろうが夏が春に対して自分と同じ感情を向けているようにしか感じられない。だからこそ、今回夏がおとなしく引いたのが信じられなかった。

「おーい、理依哉?」
「んー」
「考え事?」
「おー」

 覗き込んできた春に、桐間は上の空で春は頬を膨らませる。春からしてみれば夏から解放されて祝福したいのに、肝心な桐間が春の話すらまともに聞いてくれないのに腹を立てた。こっち向け、という意味を込めて頬を抓ってみたりしたが、桐間はそんな春の頭を強く撫でながら適当にあしらう。春はその後にも色々桐間に仕掛けるが、結局構われずに終わった。そんな春の努力も知らず桐間は、今朝届いたメールを考える。
 春が夏の件を片付けたなら、俺も片付けなきゃいけないよね。
 今日の放課後残れるか、という優から来たメール。桐間は二度目の告白をどうやって断るか、悩みながら春の頭をぐしゃぐしゃにした。

‐‐‐‐‐

「りーくん、来てくれたんだ」

 放課後になり指定された場所に行くと、優が嬉しそうに顔をあげる。桐間は笑う事も出来ずに頷いた。優が笑いながら、桐間に近付く。

「その顔は、言いたいことわかってるって顔だ」
「まあね」
「私もわかるよ、理依哉の答え」

 切なげに笑う優を見て、桐間は壁に寄りかかった。どちらも何も言わずに立ち尽くすだけで、時間は過ぎて行くだけである。優は遠くで笑い声が聞こえた時、決心したのか口を開いた。

「好きだよ、理依哉、私ずっと理依哉を見てきた。だからだろうね、私に脈がない事が分かるんだ。フられる事くらい分かってる、だけど理由くらい聞かせてよ」

 桐間の前に立ち桐間の腕を掴んで、手に力を入れる。その力は弱々しく、手は震えていた。他の男がされれば落ちてしまうだろう上目遣いで見てくるが、桐間は優を凝視してもときめきもしない。頭に遮るのは春の笑顔だけで、自分を掴んだ優の手を外した。

「大事な人がいる」

 言った瞬間、優の目が潤む。下を向いて一歩下がったのを見て、桐間はゆっくりと告げた。

「俺はその人に人生の素晴らしさを教えて貰った、幸せを貰った。だからこれからはその人を幸せにしてあげたい、俺なんかに出来るかは分からないけど。まあ、幸せに出来なくてもずっと一緒にいたいと思ってんだ。だから優の気持ちには答えられない、ごめんね」

 ついに、優の目から涙が零れ落ちる。その涙を拭う事は出来ず、桐間は優を見続けた。優は自分で拭うが次々と溢れ出すので諦めたのか、真っ赤な鼻を隠すだけになる。そして無理やり笑顔を見せると、桐間を見た。

「最近増していい男になったと思ったらそういう事だったのかー、なんだよ水臭いなー、言ってよね」
「いちいち言わないよ、はずいじゃん」
「えへ、そっか、そっかあ。」

 ぐず、と鼻をならして下を向く。伝う涙を桐間は黙って見ていた。優はもう濡れ切った服の裾でまた顔を拭くと、今度は桐間の顔を見ずに桐間に背を向ける。そして一歩前に進んで、震えた声で言った。

「じゃあその子、絶対幸せにしてあげてね」

 うん、と桐間が呟いたのを聞いて優は少し微笑んでその場から去って行く。桐間はため息をついて壁伝いにズルズルと腰を下ろすと顔をしかめた。
 これで、俺も片付けられた。春が不安がることもない、俺はやっと恋人らしいこと出来たね。
 満足げに思うも自分を好いてくれた優を泣かせてしまったのはかなり精神にくるもの。一年のフッた時は思わなかったが、こうやって告白して来た相手にも慈悲を忘れないのは春からの影響だった。春は自分を変える、良くしてくれる。嫉妬と言う醜い感情も教えてくれたけど、と先ほどから盗み見していた者を突き止めるように上を向いた。

「そんなじろじろ見ないでくれる」
「こんな目立つとこで言ってんのがいけねーんだろ」

 桐間の言葉に二階窓から顔を出してタバコをふかせると、夏は反省の色も見せないで憎まれ口を叩いた。夏は桐間の顔を見ずに、遠くだけを見ている。
 桐間は、夏が最初から最後まで見ていたことを知っていた。だが、それを止めるつもりはない。桐間が優をフったからといって彼は激怒すると思わなかったからだ。彼の心は今や彼女には執念を持っていない、あるとしたら長年過ごした情めいたものだろう。
 ならば彼は今、誰に心を射止められているのか。

「春のこと、好きなの」

 そこで夏は、やっと桐間の顔を見る。いきなり話を変えても、夏は何のことだか分かったようだった。桐間は夏と目が合い確信する。彼はやはり春が好きだった、と。夏はタバコを窓の縁で消すと、桐間の事を睨んだ。

「なに気持ちわりいこと言ってんだよ、頭狂っちゃったのか、理依哉くん?」
「そう、じゃあ好きじゃないってことで良いんだよね」
「当たり前だろ、お前らと一緒にされちゃ困んだけどお?」

 からかい口調で言う笑う夏に、桐間は黙って肩を揺らす。そう、笑っているのだ。夏はその異変に気付き笑っている桐間を窓から乗り出して見ると、不快そうに顔を歪めた。

「なんだよ、なに笑ってんだ!」
「いや、うれしいな、と思って」
「嬉しい…?」

 桐間は立ち上がると、首を鳴らして夏が見えるところまでいくと振り向いて手を広げる。口の端を上げて心底嬉しそうに、目を開いた。夏はその表情を見て、ゾッとしたのは確かである。その証拠にからかう言葉を忘れた。桐間は人差し指を上げると、ぶらぶらと揺らして退屈そうに口を開く。

「俺も、男が好きな訳じゃない、いや元々人間自体が触れるのすらダメだったんだ。だから恋人なんて以ての外、だけど春は最初から大丈夫で、不思議に思ってたんだけどね」

 桐間の言葉を待った夏が息を飲んで、桐間はただ指を揺らすだけだった。

「その違和感は春から告白された時に分かった。俺は春のこと気持ち悪いなんて気持ちはなくて、おかしいけど、受け入れてたんだよ。そう、春はもうとっくに俺の壁を壊して侵入してたんだ。春は人の心に入るのが上手い。そんな所も好きだけど、他の奴にもするのかって思うとすんごい、不安で」

 だから、と桐間が笑う。

「お前が気付かないフリをして俺らを気持ち悪いって言ってくれんのは嬉しいね。お願いだから、そのまま知らないふり続けてくれよ」

 揺れていた人差し指が、夏に目線を責めるように刺さった。夏はそこに縫い付けられたように動けなくなる。桐間が自分の気持ちに気付いたことがわかったからだ。なにも言えずにタバコの箱を握りしめ、震える足を無理やりに動かしてそこから逃げ出した。そうやって自分の気持ちからも逃げ出したのである。
 その背中を見て桐間はため息をついた。桐間は余裕を見せていたが実際余裕などなく夏と話している時はドキドキで、そのドキドキは夏が怖いからではない。夏がいつ春を好きと言い出すか分からなかったからだ。ここで夏が春を好きと開き直ってしまえばまた脅しで別れさせて自分のものにする、なんてこともあり得る。そんな理不尽で最悪な事態を避けたい桐間は最初に釘を刺したのだ。春を好きなんて馬鹿げたことを今更言うな、と。今の自分の言葉で状況が良くなったかは分からない、だが夏と言う男を正面から見て不安は無くなった気がする。彼は春が好きだともう開き直っている、だがそれは悪いことではなかった。彼は何より春の幸せを願って、春から離れたのである。
 夏には悪いけど、譲るつもりなんかない。そのままおとなしくどっかいってくれ。
 春は桐間に桐間がモテていて不安だ、と正直に言ってくるが、桐間は同じ不安も抱えているもそんな感情を言えないでいる。桐間は春より自分が何倍も嫉妬深く、我慢出来ない人間だと知っていた。だからこそ自分に近寄る人間はほとんど容姿で決めてふれば直ぐに離れるが、春の方は相手をかなり重症に惚れさせている、と知った時には春を誰の目にも映したくないと独占欲が先に出たものである。
 桐間は自分という一度堕落した人間が春という高貴な人間と付き合えていることが奇跡だと思った。自分は魅力などない、そんな自分が春をとどめて置く自信なんてない。ずっと不安と戦っているのは桐間の方だった、だがこれを口にすれば春に嫌がられると思う。そう、言えない、こんなカッコ悪いこと。
 自分の頭をぐしゃぐしゃにしながら、目を口を尖らせた。

「あんの天然タラシ野郎」

 自分もその天然タラシに引っかかった男なので、それ以上は言えないが毎回ハラハラさせられるのだからこっちの身にもなって欲しい。そっちに行ってしまうんじゃないかと思うのは、心臓に悪いのだ。

 そこで桐間は自分が春と出会って春が自分に惚れてくれて自分もそれに答えて、付き合えたことに感謝する。誰に、なんて分からない、そこらへんの神に、適当に。



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