昨日、夏は休んだ。一日安静にする、と斉藤の携帯にメールが入り、春は安心した。桐間から「夏の一メートル以内に近寄るな、二人きりになるな、絶対だからね!」と釘を刺されたので、関わらなくてすむことに安心したのだ。だが、明日には行くと書いてあり、避けられないことに気が滅入る。
 そして今日、春は教室についた時に、思わず夏のことを探してしまった。かなり遠くにいたので良かったと胸を撫で下ろしがら、春は自分の席につく。どうやら斉藤は今日は友達と遊びに行ったらしく、朝からサボりだ。あれだけ弁当が一人だどうの言っていたのに、春を一人にして何も思わないようで、春は薄情者と斉藤の席を睨む。

「春ちゃん、おはよ」

 春はいきなり呼ばれてびっくりしながら顔をあげると、春の席の前には夏が座っていた。からかったような口調ではなく、普通の挨拶に驚きながらも春も挨拶を返す。ついでにもう一メートル以内であり、春は心の中で桐間に謝った。

「風邪、治ったんだ」
「まあな、一日寝たら熱は治まったし、咳はたまに…ごほ、出るだけだし。今日は遊ばねーで帰るつもり」
「そっか、お大事にね」

 春が小さく笑うと、夏は頷く。そして二人の会話は途切れた。
 なんだよ、どうしたんだよ、夏くんー!!
 いつもは途切れずに繰り出されるからかいや嫌味に春が返して、と言った流れなのだが、夏はあの卑しい笑顔すら出さない。優しい雰囲気が、春は逆に居心地が悪かった。教室の一角、いわゆる、ここだけ完全に空気が違う。まるで初々しいカップルのよう…いや、考えたくもなかった。春は耐えられなくなり、教材を出す。

「ん、なに、勉強かよ?」
「いや、たしか、小テストがあるとか、なんとか言ってたんでやらなきゃと思いまして。」
「そうだったっけ? つーかなんで敬語なんだよ」
「あ、いえ」

 春は夏と目を合わせないようにしながらノートと向き合った。本当ならば小テストがあっても勉強はしないが、夏は(あくまで予想だが)勉強嫌いそうなので、目の前に教材を出せば嫌で逃げると思ったからである。ドラキュラに十字架の戦法だ。
 どうだ効いたか、と夏を見ると、目が合う。どうやらずっと春を見ていたようだ。春は冷や汗をかきながら、またノートを見る。
 なんだ、今の顔!? いや、かっこいいんだけど、かっこいいけど、今その演出いらなくね!? 男同士でこの空気はかなり無駄遣い過ぎじゃね!?
 春は心の中で叫ばずにはいられずに、丘から大声で叫んだ。やまびこが返ってくるのを聞いて、心を落ち着かせる。 すると、夏は春の顔を覗き込んだ。固まってしまう春に、夏はあのよ、と言葉した。

「風邪ひいてねぇ? お前看病してくれたし、一番一緒にいたのお前だったからさ」
「あっいや、全然! 大丈夫、バカって風邪ひかないって言うしさ、気にすんなって! それより心配なんて夏くんらしくないな、あはは。今日なんか優し過ぎて夏くんじゃないみたいー」
「は、はあ? てか、お前なんかに優しくしてねーし、勘違いすんな、バカ!」
「バカって、なんだよ!」
「うっせ、このバカ!」

 春は言い返しながら、いつもの夏に戻ってくれたことを感謝する。優しい夏なんて裏に何かあるのではないかと疑ってしまうし、優しくされた見返りを求められるのが一番怖かった。春は心の中で斉藤を責めながらも、その後は平穏な時間を過ごす。夏も変なことは言って来なかったし、意地悪もされずに済んだ。
 でも夏くん、今日俺のところばっか居るな。
 夏は斉藤といる時は気まぐれといった感じで、ひょいと来てはすぐに他の友達の所に帰る。斉藤と春も気にせずに二人で過ごしていたが、今日は夏は春にべったりだ。次は体育の時間で、久しぶりの一組との合同体育。嫌な予感しかしないまま、春は夏と体育に向かった。

 そして、嫌な予感は当たる。
 体育につけば、桐間は男女の輪の中に居て優と隣同士に楽しげに話していた。もう桐間から優への感情は聞いているので春は気持ちの余裕があると言えど、夏はまだ優を好きなのである。また見れば怒って皆の前で春たちの関係を言いふらす、なんて事にも成りかねなかった。春は恐る恐る夏の様子を伺うと、夏は春をなんだ、という顔で見てくる。春はまだ気付いていない事に安堵しながらも、どこか違和感を感じた。

「今日外が雨だから体育館で自由だって。夏くんなんかやる?」
「あ? 怠いからやんね、ゴホゴホ、端っこで見学してよーぜ」

 そう言うと春の手を掴み、ボールが当たらないような端っこに座りこむ。てっきり自分だけ勝手にいってしまうのかと思えば、今日は春も同じ行動を取れと言う事らしい。個人的に龍太や海飛達とバレーボールがやりたかったのだが、体調の悪そうな夏を一人にするのはあまり気が乗らなかったので隣にいる事にした。
 一メートル以内に近寄らない約束、守れなくてごめん。
 春は桐間に対して手を重ねて謝りながらも、此方を気にしないで優と笑いあっている桐間に卑怯だ、と思ってしまう。春だって夏といるくらいなら、可愛い子と笑いあいたかった。やや妬んでいながらも、ボールが跳ねる音や笑い声が交差する体育館で、段々春は眠たくなってくる。うとうとと頭を揺らして居ると、隣から夏の笑い声が聞こえた。

「ぅあ? 夏くん、笑った?」
「ん、ああ、眠いなら寝ればいいのにと思って」
「でも、寝てたら先生に注意されそうだし」
「春チャン、真面目だなー、バカなくせに」
「もー、馬鹿馬鹿言うなよお」

 眠たいので舌足らずに返すと、夏は可愛らしく笑顔を浮かべる。その顔を見て、友達になれれば良かったのに、と思った。
 夏と友達になれなかったのは、自分が夏に虐められる性格をしていたから。そして、夏が自分を嫌っていたから。あの時からして見れば、こんな仲良く話すなんて想像もつかなかっただろう。まあ、脅されてパシリじみたことはしているが、あの時よりはマシだ。こうやって隣に並び合えているのだから。

「ふふ、なんか不思議だよな」
「あん?」
「幼稚園のころ、隣同士でこんなに話すなんて思わなかった。俺、お前が怖かったし」
「あ、」

 春が呟くと、夏は思い出したように声をあげた。そして、困ったように目を逸らしながら口を尖らせる。

「仕方ねーじゃん、まだ子供だったしからかうの楽しかったんだよ。本当にお前の事嫌ってた訳じゃねーよ」
「え、そうなの? てっきり、本当に俺の事嫌ってたのかと」

 驚きの新事実に春の眠気も冷めて夏を見ると、夏はバツの悪そうな顔で春を見返した。ため息をつくと、口を開いて続きを話し出す。

「お前、体弱かったし扱い方わかんなくて。そしたら俺がお前に文句いったらお前反応してただろ? これだったら話せる、と思ってやってたんだけど。別に女々しいから嫌いとか思ってねーよ、あれ体質だったらしいしな」

 自分でもその時悪いことをやったと言う事は、分かっているらしい。それはそうだ、春からしてみればトラウマになるくらいの出来事だ。忘れてしまっては困る。
 だが、夏はそう考えていたのだと思うと気が楽になった。嫌われていたのではない、これだけで友達になれる気はする。…まあ、今までのことを考えて友達にはなれないが。

「そうだったのかよ。夏くん、言ってくれれば良かったのに。」
「うっせー、俺だって色々考えたんだよ。お前がいつも星の本読んでたから、俺も読んでみたりとかしたんだぞ!」

 言われてフラッシュバックのように幼稚園の頃の場面が浮かんだ。外に行けないかわりに本棚に手を伸ばして色々な本を読む。そうして、星の本を見つけて感動した事を思い出した。自分が住んでいる上の世界には、こんなに凄いモノが浮かんでいるんだと思い、何度も読んだせいで本をボロボロにさせた思い出も。
 だが、春が今言われて思い出したことを良く覚えていたと思う。今の春は星を見て綺麗だと思うが、本を見てまで愛でている訳ではなかった。そして、思い出した、夏に言われた言葉を。「星好きだな」とまるで知ったように言ったあの言葉。あれは、昔の春を見てだったのだ。
 春は感動しながらもそんな健気…ではないがマトモで可愛い子がなんで今はこんな不真面目で人をバカにするような子になってしまったのだろうと、春は悔しい気持ちになる。

「そうなの、そうだったんだ。ああでも本当、成長って怖いよな」
「はあ? なんの話だ?」

 相変わらずガラの悪い顔で睨んでくる夏を他所に、春は一人で肩を落とした。今じゃタバコを吸って女遊びも酷くて我儘で冷徹で卑怯で、良い所無しじゃないか! と失礼すぎる事を考える。その間、夏は黙って春を見ているだけだった。
 そこで、春は先ほど感じた違和感に気付く。今日はかなり自分を見ると思っていたが、よく考えてみれば今日、夏は一度も携帯をさわっていなかった。春は毎日話している時に携帯を触っている夏を見て、人といる時は携帯をしまえ、と言いたくなったほどである。夏の性格が、がらりと変わったようで春は驚くしかできなかった。

「夏くん、なんか今日さ…」
「危ない!!」

 さっきも言ったが改めて今日の夏を褒めようとすると、遠くから声がする。その声の方向に顔を向けた時には、ボールが目の前にあった。だが考える暇もなくそのボールはなくなる。ボールは、と口を開こうとすると隣で夏が舌打ちしたのが聞こえた。

「ってめえら、春に当たるとこだったじゃねーか、気をつけろボケ!」

 夏がボールを取ってくれたようで春は無傷ですむ。夏の反射神経の良さに感心しながらお礼を言おうとするも、夏は立ち上がった。誤ってボールを飛ばしてしまったのは夏の友達だったようで、夏は怒声を浴びせるとその友達を蹴りに行く。
 友達は鬼のような夏から逃げながらも、投げた本人はとうとう捕まり夏に首根っこ掴まれて春の目の前へとやって来た。夏はその男を春の前に落とすと、尻を蹴って謝罪を催促する。

「ほら、謝れ、土下座しろ、そして生きてる事を詫びろ」
「うああ、ごめんなさい! 春ちゃんごめんねー」
「はあ? 春ちゃんとか呼ぶな馴れ馴れしい、様付けろ、糞が!」
「ははは、春様ごめんなさい!」
「え、いや、いやいや、大丈夫、ですから!」

 春は男を起こそうとするが、夏が許さなかった。当たった訳ではないし、なにより夏が助けてくれたのでこんなに謝まらなくても良かったのだが、夏は本気で怒っている。周りはふざけだと思いながら笑っているが、それでもほぼ全員から受ける視線に春は耐えられなくなった。春は男に立ち寄りながら、夏を見る。

「夏くん、別に大丈夫だから、俺怪我してないだろ!」
「確かに今はしてねーけど、してたらどうすんだよ? こういうやつは馬鹿だから注意しても、またやらかすんだよ。だからここで誓わせてやる。」

 下から見る夏は迫力があって、まるで魔王のようだ。春は夏の怒りを冷ませようとするが良い案が浮かばない。唯一の助けの優を見るが、ダメだ、優も爆笑していた。春は意を消して夏に叫ぶ。

「大袈裟だって! だいたい夏くんが助けてくれたおかげで本当に無事だから、な? 正義のヒーロー、俺の勇者様、神様、すっごいかっこよかったです本当惚れちゃう、むしろカッコよすぎて目飛び出るかと思ったくらい、嘘じゃない! ありがとうございました、感謝してますこの通り! だから、見逃してやって」

 春は注目を浴びたくない一心で思いつく限りの褒め言葉で夏を褒めると、夏の足が男から離れた。男は春に目でお礼を言いまくりながらその場から逃げる。そして体育館は拍手と笑いの渦に包まれた。春は周りにお辞儀しながら、まだ立っている夏の手を引っ張り隣に座らせる。恥ずかしい春は体育座りをしながら、周りが自分たちから目を離して行くのを確認して、夏を責めるように睨んだ。

「恥ずかしいからやめろよ、何してんだ!」
「当たったら、痛えだろ」
「え? まあ、そうだけど」

 何を当たり前の事を、と思うと夏の頬が妙に赤い事に気付く。さすがの夏もあんなに注目されたのが恥ずかしかったのだろうか、春は意外と夏が内気だった事を可愛く思いながらも、さっきの鬼のような形相を思い出し首を振った。
 すると、夏も体育座りをしながら膝を抱える。

「なあ、さっき言った事って本当に思った事なの?」

 あまりに優しく囁く声に、春は一瞬桐間を重ねた。今の言い方から声の低さから、全て桐間に似ている。春は不本意にもときめいてしまい、夏の顔が見れなくなった。
 さっき言った事とは、きっと春が夏を褒めちぎった事だろう。ここで違うと言っても夏を怒らせるだけだろうし、春は顔も見ないで何回も頷いた。夏はそれを見て、膝に顔を埋める。

「そっか」

 夏にしては、弱々しい声だった。








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