朝になれば、全て1から戻っていると思っていた春は、電車に乗りながら、現実はそうは行かないと痛感した。満員電車の中、不機嫌そうに顔をしかめる桐間を、うかがう。
 きっと、桐間が機嫌が悪いのは、この人混みのせいではなかった。自分のせいだと、春は思う。だが、理由が分からなかった。昨日、桐間に大声を上げてしまったことは会った瞬間謝ったし、普段通りに接したはず。それなのに、桐間はああ、やうん、だけで言葉という言葉を春にくれなかった。まだ許してくれてないのだろうか、不安が頭を過る。
 すると、電車が大きく揺れた。瞬間、桐間の胸にダイブしてしまう形になってしまう。こんなに怒っているのに、体重をかけてしまったらもっと怒られる。体を離そうとするが、さっきまで自分の頭があった場所は、すでに人の頭があり戻れそうになかった。春は困ったように、眉間にしわを寄せる。
 すると、桐間は春を抱き込むと、へんな形に曲がっていた春の足を立たせた。春は急に楽になったと桐間を見上げると、桐間は春の方も見ず、ただ上を見上げる。桐間はなにもしていないような素振りを見せているが、桐間が春の肩を持つことにより人との衝突を守っていた。春は桐間がしていることに気付き、前も守ってもらったな、と嬉しくなる。

「桐間」
「なに」

 まだ不機嫌な桐間が返事をしたのを確認すると、春は狭いなか、体をくねらせ微かに背伸びしながら桐間の耳元に近付いた。そして、息も当たる近さで春は言う。

「大好き」

 これで、桐間の機嫌が直るとは思わないが、春は伝えたかった。桐間はゆっくりと春に目を向けるが、春が真っ直ぐと自分を見ているのを見て真っ赤になる。そしてつり革を強く握りながら、そっぽを向いた。

「それで俺の機嫌治そうとしてんの?」
「ううん、本心」
「…恥ずかしくないのかよ」
「だって今、もっと好きになったんだよ」

 小声にもせず言う春に焦りながら、桐間は春の方を向く。それでも春は桐間を見上げるので、桐間は春を折れてもう少し自分を寄せた。春もさすがに頬をそめて、桐間の肩に顎を乗せる。桐間がついたため息に、春は気づかなかった。

‐‐‐‐‐‐

「しゅーん、またダーリンが女の子と絡んでるぞお」

 龍太が面白そうに近づいてきて、春の耳元で呟く。春は龍太を睨み付けるが、一度勝ち誇ったように笑うと無視して浩とおしゃべりを続けた。龍太はそんな春に顔をしかめる。

「なんだよ、もう桐間を諦めたのか」
「ちげーっての! ただ、飽きられても俺は好きでいるしいいんだよ。」

 妙にすっきりした顔で言う春に、龍太はどこかつまらなそうな顔をした。そして用意していた言葉を畳み掛けるように、春に言い放つ。

「かっこいい意気込みはいいけどよ、今度の文化祭あるだろ。あれの後夜祭、ダンスするそうじゃん。桐間に女の子と踊らないでっていわねーとやばいんじゃねーの?」

 龍太の言葉に、春は今思い出したかのように、焦った顔をした。春は重要なことを忘れていた。
 もう月は9月。春の高校は再来週に文化祭だ。出し物の準備のために、たびたび学校に残っていたりもした。文化祭は春の楽しみでありので気にしてはいなかった。だが、問題は文化祭が終わってからの後夜祭である。毎年春の高校では、文化祭の後には決まってダンスがあったのだ。ダンスにはもちろん、男女二人組のものもある。今の桐間の人気からしてみれば、積極的な女の子に誘われてしまうだろう。
 春は恋人と言えど、男である。一緒に踊ってくれないか、など口が裂けても言えなかった。誘いを断ってくれ、としか言えないのである。

「や、ば」
「やーっぱり忘れてたか。夜は気持ちが盛り上がるからな。可愛い女の子に踊られたりしたら、いくら桐間でもな?」
「っ! お、おまえも人のこと言えねーだろ!」

 意地悪なことを言い煽ってくるので、春は腹を立てて龍太へお返しとばかりに言い返した。だがそれは浩には伝わらない、春と龍太の秘密である。
 一瞬で浩のことを言っているのだと理解した龍太が、なんだと、と怒ったふりをしながら春の首に腕をかけた。首をしめるつもりなのだろう、春も慌てて逃げようとする。そこで春は浩の後ろに回り込むと、浩を盾にした。龍太はそんなことも関係なく、浩の頭を沈めると春の腕を掴もうとする。
 だが、そこで救世主が現れた。

「なにやってんの」

 呆れた顔をしながら三人を見つめて、春の服を引っ張って自分の方へと寄せたのは桐間である。春が一番密着していた浩は、何故か桐間に威嚇されていて、冷や汗をかいていた。春は桐間の行動にも気付かず、桐間が助けに来てくれたことがうれしいのか嬉しそうに桐間の名を呼ぶ。
 そんな桐間を見て、龍太は心のなかで笑う。分かりやすいやつだと。

「おいおい、桐間に守ってもらうなよ。それでも男かぁ?」
「な、なんだと、龍太このやろー!」

 春は照れたのか、桐間の腕をするり、と抜けて龍太に掴みかかりに行った。桐間が、本当に微かだが、顔を歪めたのを見て龍太は口を緩める。
 春は龍太の肩に手を掛けて胸ぐらをつかみ、その手を龍太は掴み返せば距離は縮まった。

「おいおい、苦しいって。こうさーん」
「ちっ、もう言うなよ」

 離れる際に、自分を支えるために龍太の胸元を押しながら起き上がる春の手元を、桐間は黙って見ている。春は浩に近寄ると、龍太の文句を言った。浩も苦笑いしながら、龍太を注意する。そんな、普段通りの日常なのに関わらず、桐間だけは不機嫌だった。
 浩は違和感を感じて桐間を見ると、桐間は今にも爆発しそうな怒った顔をしている。浩は焦りながら龍太をつかんだ。

「龍太! もう席に座れ」
「えーなんで、まだ授業じゃねーじゃん」
「いいから!」

 浩が珍しく懇願するように言うので、龍太は折れて浩と自分の席へ向かう。残された二人は、不自然な浩と龍太をただ見つめていた。だが、飽きたように春は振り向いて後ろに立つ桐間を見ると、桐間は見返す。春が笑うと、桐間はさっきの機嫌の悪さはどこへ行ったのか、目だけで笑い返した。

「助けてくれて、ありがとな」
「べつに」

 素っ気なく言うが、桐間はどこか優しい。前とは違う優しさ。こんなかっこよかったら、あっという間にダンスの予約をされてしまう。確かに、飽きられてもいいとは思ったが、これは話が違った。恋人が女の子と踊っているところをみて、誰が楽しいと言うか。
 春は今しかないと、桐間のズボンを引っ張った。桐間は気づいて春の方を見ると、春はそれを合図のように口を開く。

「あのさ、ぶん…」
「はーい、みんな席に座れー」

 話をしようとした瞬間、いいタイミングで先生が入ってきた。時間よりも3分早い。春は神様に邪魔されたと泣きたくなった。
 桐間は先生など無視して、気にせずに春の話を聞く気でいたが、皆が座るなか言うのはさすがに恥ずかしい。桐間もなにか言いたげだったが、春はあとで、とだけ言って桐間を席に戻した。桐間は素直に席へ戻る。
 二人は言いたいことが言えないまま、授業が始まった。



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