春は家に帰ってお風呂に入り頭を冷やし、ただ後悔していた。一言で良かったのだ。ただ、最近会えなくて寂しいと言えれば良かった。そう言えば桐間も春に向かって面倒くさい、なんて言わなかっただろう。
 桐間に、嫌われたくない、離れたくないと思えば思うほど距離は離れて行く一方だ。春はベッドに寝転がり、枕に顔を埋めると目を瞑る。最近の出来事を思い出し、優に苛立つ自分が情けない。

「もうめんどくさくなってきた」

  桐間の為ならば、なんの苦労も惜しまないと思っていた春が初めて桐間に抱く感情だった。
  これが、マンネリか。いや、ちょっと違うか?
 意外と冷静に考えながら、春は疲労で泣いている体を休ませる。濡れた髪がじんわりと枕を濡らした。これが、涙でなくて良かったと思う。そのまま、飲み込まれるように寝入るが、意識が消えるその瞬間まで、桐間は消えなかった。


‐‐‐‐‐‐

「春、行かないと遅刻するわよ。」

  暖かい陽射しが、春の頭に差し込んだ。母親、結羽の声に起き上がり時計を見ると8時ではないか。春は急いで起き上がると、ティーシャツを脱いで、ワイシャツに手をかけた。

「遅刻するわよ、じゃないだろ! もう遅刻だ!」
「あら、いつもは自分で起きるじゃない。」
「最近は起きれないんだよ!」

 桐間と朝、登校するという楽しみもなくなった春は寝坊ばかりだ。最近は父親に起こして貰っていたのだが、どうやら今日は父親は休みだったようで、部屋の前を通り覗くと呑気に寝ている。
  歯ブラシや洗顔を素早く済まし、ネクタイを締めながらカバンを肩に掛けて扉を開けた。外は小学生達が登校している。学校が近くていいな、と考えながら駅へ向かった。朝のSHRには間に合わないのは分かっていたが、一時間目に出なければ結羽に殺されてしまう。
 なんとか電車に乗り込み、ソワソワと着くのを待った。電車に乗ったからといって安心してはならない。これからが本番で、あっちの駅に着いたら全速力で走らなければ間に合わないのだ。
  駅に着いたので急いで改札口から出る。(運動不足で)足が震えているのを耐えながら走りぬけた。ここの路上を抜けて大通りに出ればこっちのもの、春はメロスになった気分で足を駆け出した時、枯れた、聞きたくない声が頭上からする。

「ラッキー、朝からはるちゃんに会っちゃった」

 ゴホと咳一つしたのを聞いて本当に風邪を引いていたのかと思い、思わず上を向いた。すると、屋上から夏がニヤニヤしながら春を見下ろしている。
 春は走りぬけて行きたかったが、相手が夏なので立ち止まった。それをいい事に、夏は人懐こい笑顔を浮かべる。

「そうだ、上がってけよ。お前、昨日お見舞い来てくんなかったら寂しかったんだぜ。」
「今から学校なんだ、無理。帰り来るから」
「おいおい、嘘だろお? 友達なのに見捨てられるなんて思ってなかったな! 今親がいないんだよなー、倒れても誰も助けてくんねーのかなー、春ちゃん後悔すんだろーな。」
「もう分かったよ! 上がればいいんだろ」

 これを断っても次は機嫌を損ねて脅しになるだけだ。それならば今上がった方がいい。結羽に半殺しにされるの覚悟で家のインターホンを鳴らした。すると階段をのっそりと降りる音が聞こえて、扉が開く。

「遅い」
「ああ? 病人に何言ってんだ?」
「ごめんなさい」

 お邪魔します、と言いながら上がれば、本当に他の家族はいないようだった。この悪魔の、夏の、生みの親などあまり会いたくはないが、少し見てみたい気もする。黙って夏の部屋に通されれば、やはり変わらず殺風景な部屋だった。そして変わらず、優しい香りがした。

「ゴホ、」
「風邪、辛そうだな。なんか風邪に効きそうなの買ってこようか?」
「あーいい。喉通んねーし。」

 嫌いと言えどそんなに辛そうにされては、春も辛くなってくる。心底怠そうに言う夏を見て、なんで自分をここへ招き入れたのだろうかと疑問が浮かんだ。下から話している時は分からなかったが、目は虚ろで息もかなり荒い。熱で顔は火照り、離すのがやっとと言ったところか。

「冷えピタしないの?」
「家にねえ。」
「薬飲んだ?」
「家にねえ。」

 春のおでこにヒビが割れた。夏の家から少し歩けばコンビニはあるし、それから距離はあるが薬局もある。なんで風邪気味と分かった時、学校の帰りでもいいから買ってこなかったのか、と怒りに震えた。
 かなり余計なお世話かもしれないが、辛そうにする夏を見るのは心が痛む。

「俺買ってくるよ」
「は? いいって。」
「病人はおとなしく寝てなさい!」
「、てめ!」

 春はそう言いながら布団へと夏を放り投げた。いつもの夏ならば仕返しをしてくるだろうが、今の夏は女の子よりも弱いだろう。後ろで文句を言っている夏を置いて、春はコンビニへと急いだ。今の時間は薬局は空いていないので、少し高いがコンビニしかない。お金はこっそり持っていたものがあるし、こういう時に使うものだ。
 コンビニに着くと、薬は手に入れたが冷えピタがないので帰ったら夏のタオルを借りることにして、すぐに薬とミネラルウォーターを買う。無くなるお金に半泣きになりながら夏の家へと帰った。勝手に家に入るのも気が引けるがあの病人を歩かせる方が悪い。
 勢いよく階段を駆け上がると、まだ布団に寝転がっている夏が居た。春が倒した本人だが、すぐに上半身だけ起こして用量の三粒を夏に差し出す。

「うわ、まじで買ってきやがったな。つーか、その金どっから出たんだよ。この前ないって言ってなかったか?」
「へそくり」
「そんなんあんならあん時ハンバーガーでも食べりゃ良かったのに。こんなんに使いやがって、お前は正真正銘のバカだ…ゲホッ、うぅ」
「ベラベラ喋ってるからだよ、もうなんでもいいから飲め」

 ちくしょう、と言いながらも言い返せない夏は顔を真っ赤にさせながら薬を受け取る。いつも偉そうな夏がこうやって弱ってるのは不謹慎だが、すこし可愛く感じて笑ってしまった。

「あ、タオルと氷借りたいんだけど、」
「勝手にしろ、タオルはそこの引き出し。」

 拗ねた言い方で夏が言うので、春は何も言い返さずにタオルを取ると台所まで氷を取りに行く。ついでにオケに水を張り、タオルを濡らすとそのオケごと階段を上がった。
 上がって夏を見れば、まだ手の中の薬を見つめてる。どうしたのか、と暫く見守っていると苦い顔をしてゴクリと唾を飲んでいた。春が夏の隣に座ると、夏はギクリと肩を揺らす。

「な、なんだよ。何見てんだよ!」
「別に。クスリ苦手なの?」
「! そ、そんなわけ、」

 図星といったところか。薬を買ってこなかったのも頷ける。だが、この歳で苦手だからと済まされる訳がなかった。春は濡れたタオルを絞りながら夏のことを見た。

「苦手じゃないなら飲めるだろ、飲んで。」
「うっせーな! あ、そうだ、ただ飲むのは楽しくねーな。お前口移ししろよ、ホモなんだから簡単だし、ギャクに嬉しいんじゃね、な?」

 お得意の嫌がらせが始まり、春は顔をしかめる。普通にしていれば友達になれるのに、人をおちょくるのが腹が立った。春の限界はどうやら遠に越えていたようだ。春は見下すように、夏を見た。

「それで夏くんが飲んでくれるならいいよ」

 夏が目を見開いたのを見て、ざまあみろと思う。最近、本当に自分は性格が悪くなったと思うが、そう考えてしまうのだから仕方なかった。
 今さらキスくらいなんだ、理依哉だってこんなことしても怒らないんだろ。どうせ今頃優ちゃんと、

「かしてみ…」
「ああ、もういい! 一人で飲むから近寄んな!」
 
 自分から仕掛けといて近寄るなは酷くないか、考えながら内心ホッとする。今、自分が考えていたことを思い出して身震いした。
 もし、夏の方がノリ気だったら本当にしていただろう。桐間がなんだ、桐間が気にせずとも男に口移しはおかしい。
 心の何処かで、きっと桐間に気にして欲しい自分が居るのだと思った。それが、まためんどくさい。こんな自分では、本当に嫌われてしまう。春は握りこぶしを作ると、手のひらに爪を食い込ませた。すると、そのこぶしに手が重なる。何かと思って目を向ければ、夏がさっきよりも険しい顔で春を見ていた。

「ほら、飲んだぜ。くそ、てめえが勝手に買って来やがるから」
「ごめんね。そうだな、夏くんなら自然治癒できたかもしれないしな。余計なお世話か。」

 春は絞ったタオルで夏の顔を拭きながら少し笑う。昔から飲めないと言うのならば、昔も飲まないまま治ったのだろう。放っておけば良かったと思っていると、夏が春の手に擦り寄ってきた。驚いたが冷たいのが気持ちいいのか、とタオルを当てれば次はがっちり手を掴まれる。固まってしまった春が夏を見れば、夏は春を睨んだ。

「自然治癒なんて出来るわけねーだろ、ばか! …でも、まあ、俺もわりいな、金ねーのに買わせちまって。金は払う」


 春は夏を三度、いや四度見くらいすると、またより一層固まってしまう。あの、あの、あの、桐間夏が謝る? ましてや図々しい彼がお金を払うなどと。
 春が戸惑っていると、夏は自分が言ったことに照れたのか、ふて寝してしまう。それでも春は、夏の人間みがまた見れて少し嬉しかった。

「薬飲めなんて、優みてーなこと言いやがって。」
「え? なんか、言った?」
「うるせー、お前うぜえからもう帰れ。」

 さっきの優しかった夏は何処に行ったのか、苦しそうに声を荒げながら言うとそっぽを向いてしまう。春は首を傾げながら、出来れば早く学校に行きたかったので帰る準備をした。今からならば、2時間目には間に合う。
 タオルをオケに沈ませると、春は立ち上がりながら、分かった、と答えた。早く帰ろうと鞄を肩に掛けた時、夏の熱い手がまた春の手に重なる。
 次はなんだと呆れながら振り向くと、いつにもまして、真面目な顔の夏がゆらゆらと立っていた。支えようとしたとき、夏が春を抱きしめる。春は固まったまま、夏の熱を感じた。

「な、なに。熱で頭おかしくなった?」
「かもな。…なあ。」
「なに?」

 夏が、春の頬を包み、ゆっくり笑う。

「今日の朝、この細い路地、優とお前の元カレが手繋いで歩いてたぜ。どう思う?」

  その笑顔に吸い込まれそうになった時、頭を鈍器で殴られるくらいの衝動が走った。
  一緒に、歩いていただけではなく、手を繋いでいた? 一緒に居ただけでも嫉妬してしまうのに、触れるなんて。
 何も言わない春に、夏は縋るように、言う。


「なあ、また、お前ら付き合えよ。もう優とあいつを関わらせないでくれ。お願いだ。」


 それは、こっちのセリフだ、
 締め付けられる胸に、息が出来なくなった。




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