学校に来て早々、机にへばりつくように顔を押し付けると昨日は幸せだったな、と春は一人で幸せに浸る。昨日は夏からの嫌がらせで春と桐間は掻き乱されたが、そのこともあってか、二人は一つになれた気がした。放っておくと嬉しさの笑みで崩れそうになる顔をどうにか保っていると、隣に斉藤がやって来る。

「おはよ」
「ああ、おはよ!」
「おいしゅん聞いてよー、昨日彼女とさー」

 そしていつものように挨拶をして、彼女のノロケを聞いた。元気な斉藤の言葉の数々で、普通の日常が甦らせられ、春は夏のことなんて忘れてしまいそうになる。
 だがそんな春をどん底へ落とすように、教室の入り口から上履きを擦る音が聞こえた。特徴な歩く音に、春は顔をしかめる。あえてそちらを見ないようにするが、存在感はましていくばかりであった。やがて、彼は友達たちと合流すると、下品な笑い声で話始める。春は彼の声すら聞きたくないので、斉藤との話に夢中になろうとするが嫌でも耳にはいるのだ。

「しゅん?」
「え、なに…」
「具合、悪そうだけど大丈夫か?」

 ただ気分を害していただけらしいが斉藤には具合が悪く見えたのだろう、斉藤が春の背中に手をかける。斉藤に気を使わせる前に、笑って誤解を解こうとするとガタン、と大きな音を立てて春の前の机が倒れた。さすがに驚いた春と斉藤はそちらの机を見ると、そこには大層ご立腹な夏が立っている。どうやら前の机を倒したのは夏で、しかも蹴っ飛ばしたようだ。もちろん極悪で知られている夏がそんなことをし出したのだからクラスの空気は凍る。すると夏の友達が焦りながら夏に近寄った。

「おいおいどうしたんだよ」
「…んか」
「え?」
「なんかこいつらうぜーから」

 夏は春と斉藤を指さしながら言う。その事から“こいつら”というのは春と斉藤なのだという事がわかり、斉藤が顔をしかめた。

「なんだよ、それ」
「だって朝からお前らがキモいからさ」
「はあ?」
「斉藤、もういいって」

 夏の失礼な言葉に斉藤が食いつくと、春が斉藤を止める。彼と何回か言い合いしている春は、夏がどれだけ理不尽で一筋縄では行かないかを知っていた。だからこそ止めたのだ。
 だからと言って、夏の暴言を流すだけでは納得がいかない。春は席から立つと前に倒れている机を直し、夏を見つめた。夏は春をにらむだけだが、春は口を切った。

「モノに当たるなよ」
「口答えすんな」
「もんくなら俺だけに言え」
「…っ、ちょっと来い」

 負けじと言う春に夏は片目だけ歪ませると、春の手をつかむ。斉藤がそれを咎めようとするが、春はその行為を断った。夏が斉藤に食いかかるのは春に理由がある。だからこそ関係ない斉藤を、友達を、巻き込むのはいやだったからだ。担任とすれ違い止められたが夏は止まらず、春は遅刻扱いされるな、とだけぼんやり考える。
 もう朝のSHRが始まっているので、朝の階段はがらんとしていた。階段につくと春は夏に壁へ放り投げられ背中を打つ。小さく唸っても心配の言葉は一つもなく、しかめっ面の夏が舌打ちをした。

「お前さ、」
「なに」
「男なら誰でもいいんだろ」

 春は思わず聞き返しそうになる。強引な夏の態度には慣れたが、彼の唐突に繰り出される言葉の数々には理解できずに骨がおれた。今の場面で、どう夏の目に映れば春が男なら誰でもいいという思考に至ったのだろう。だが、春は冷静に考えた。夏はなにか勘違いをしているのだろう、と、だからこういう可笑しな考えになったのだろう、と。
 そうとなれば話し合うまでだ。春はできるだけ優しく笑い掛ける。

「なにが? 俺なんかしたかよ」
「ああ。さっき、斉藤ってヤツといちゃいちゃいちゃいちゃ」

 夏の機嫌はこれ以上下に行くことはないのではないかというくらい、彼の機嫌は悪かった。これならからかってくる夏の方がまだマシなもので。感情的になっている夏の扱い方は分からなかった。
 春はためいきをつきたかったがここで感情を表面に出せば、夏は暴力に走りそうであり、なにもしないでただ見返す。顔の横に逃げられないように置かれた手からどうやって逃げようかと試行錯誤していると、夏は舌打ちすると春の足の間に自分の足を滑り込ませた。

「な、な、なに」
「あいつといちゃついてたことは否定しねーんだな」

 考え込んでいたからこそ返事をしなかった春に否定をしないと勘違いしたようで、手を強く握る音が聞こえる。そうして抵抗する間もなく、唇を塞がれた。桐間とは違う、かさついた唇に背中が凍り付いた。
 春は衝動的に夏を突き飛ばすと、口を何度も裾で拭く。頬を舐められたときとは違う感覚にめまいがした。拭いても拭いても思い出される唇が忌々しい。
 突き飛ばされた夏はと言うと、自分がしりもちをついてやっと押されたのだと分かり顔を歪めた。すぐに立ち上がってズボンの埃を払うと、春に近寄ろうとする。春は夏が近寄って来たのが分かり、この場から立ち去ろうとした。

「おい」
「!」
「逃げんなよ、逃げたら…バラすぞ」

 夏はそう言うと階段に座り足を組みながら、春が止まるのを待つ。もちろん春は止まるしか手段はなく、立ち止まり夏を振り返った。すこし赤くなった春の口回りを見て夏が笑う。周りには誰もいないために階段は静かで、夏が笑い声がやけに近く感じた。

「そんなに俺のキスは嫌か」
「ああ、嫌だ」
「なんで? お前男ならなんでもいいんだろ。」

 さも自分が正しいことを言っているかのように、夏に春はさすがに冷静さを失う。あのな、と夏を睨み付けた。

「俺は、りい…、桐間が、好きなんだよ! 斉藤は具合の悪い俺の背中さすってくれてただけ! だから俺は男だったらなんでもいいんじゃねーんだよ」

 だいたい春が本当に男色があったとしても、春にだって選ぶ権利がある。そうなかなか男だったら誰でも、など考える者はいないだろう。
 桐間の名前を出されて不機嫌になってしまった夏は、春の足を固定すると首もとにキスし始めた。嫌ではあるが抵抗すれば、また脅されるのがオチである。首もとに触れた夏の唇が、春の薄い皮膚を吸い上げて赤い痕を付けた。これがキスマークということくらい春とて知っている。だからこそ見てくらい、青ざめたのだ。

「なんで、こんなこと」
「言っただろーが。俺は同じ名字が嫌なほど、てめぇの元カレが嫌いなんだよ。てめぇごときが俺をフルなんて生意気」

 彼には傲慢という二文字が似合う。春は吸い付かれる首もとを黙って見ていた。気持ち悪いなどの嫌悪感はもうない。ただ我慢だけをする時間だ。
 春の体を夏の手が滑ることにより思い切り瞑られた瞼を見て、夏はためいきをついた。

「俺を慰めろ」

 ぱちり、と春の目は開かれる。目の前には情けなく眉の下がった夏がいた。
 唐突すぎる夏の言葉に、犯されることすら想像していた春はもんくを言うより考え込む。なぜ、いきなり慰めろと言われたのか分からなかったし、どのようなことで落ち込んでいるのかもわからないのに下手に慰められなかった。命令ならば抵抗したくなるが、お願いするような弱々しい口振りに春は弱い。
 ゆっくり開いた手を夏の頭に乗せると、二回、三回と撫で上げた。彼の髪は性格とは似付かないほど綺麗な漆黒で見とれる。すると、夏がくつくつ笑いだした。

「なんだよ…」
「春ちゃん、慰めろって言われてそれはねーぜ。そんなんだから彼女もセフレもできねんだよな、な?」
「は、はぁ!? べっつにいらないしな!」

 たしかに桐間と会わなければいまだに恋人がいないであろう春には、その言葉から思った以上にダメージを食らう。歯を食い縛りながら夏をにらむと、夏はあっそと興味無さそうに言った。夏は春から離れ階段に座ると、目を瞑って寝る準備を始める。
 それからの時間は長く感じた。夏をこのまま置いていってもよかったのだが、夏のように自分への自信に満ち溢れている者が先ほどのように悲しげな表情を宇賀辺られるのは気になるし、なにかあるのならば力になりたい。今の夏は、春を気を引くのには十分すぎた。

「…もう教室帰れ、邪魔」

 夏が顔もあげずに言うものだから、どんな表情でいっているのか分からない。春は夏に近寄ってしゃがみこむと、夏の頭を撫でた。くしゃ、と沈む髪の感触が桐間と似ていてすこし笑ってしまう。

「撫でんな、うぜ」
「いいじゃん、慰めろって言っただろ。なに、嫌なことでもあったか」
「…うるせ。」

 憎たらしい夏がしおらしくなって、春はますます放っておけなくなった。だがさすがの春も先ほどいやいやにキスをされた身である。警戒をしながら夏の顔をのぞきこんだ。
 上げられた夏の顔は、泣いた後のようにくしゃくしゃである。瞬間、警戒もなくなってしまった。春は単純すぎる。この表情を見ただけで彼にたいしての嫌悪すらも、なくなってしまった。
 春は夏の肩に手を置くと、二、三回叩く。夏が何で落ち込んでいるかなどはしらないが、少しでも慰めたかった。夏は春の手を払ったが、そのあと唇を噛み締めながら下を向く。また表情は見えなくなった。

「ちょっと一人にさせろ、早く教室帰んねーとまたキスすんぞ」
「キスは嫌だ、もう絶対無理」
「どんだけいやなんだよ! とかいっときながら手止めないとか…てめぇお人好しってやつか? そういうの一番迷惑、一番きらい、きめぇ、どっか行け」
「そういう訳じゃないんだけどさ」
「調子のんな」

 いくら言っても離れない春に夏も折れたようでその場から立ち上がると、教室へ戻る。さっきの弱々しい表情はどこにいったのか、教室へ向かう夏はまた自信満々な彼になっていた。

 さっきの表情はなんだったんだろ。

 春は夏の背中を眺めながら考えたが、答えは難解そうであるし夏が教えてくれるとも思えない。春は黙って、夏の後ろを歩いた。


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