「はるちゃーん」
「なんだよ」
「怒んなってー、ちょーっと理依哉くんからかっただけじゃんか」

 夏は春に手を引かれながらケタケタと笑っていた。人を傷つけておいてその表情はないのではないかと思うが、呆れすぎて声も出ない。さっきの拳骨でもっと頭おかしくなったのかな、思いながら春は夏の手を離した。

「ところで、桐間に何したんだよ」
「ふひ、だからからかったんだってば」

 春は眼鏡をかけ直しながらため息をつく。彼に普通の日本語は通じないらしい。夏が帰ろうとするので思わず腕を掴み、夏の顔を見た。

「桐間に何を言った」

 真面目な顔をして言えば、夏はまた笑いで顔を歪ます。そして窓に手をかけると、口笛を吹き始めた。奇妙な音程の口笛は、今夜悪夢でうなされるのではないかと思うくらい不気味である。
 春が、夏くん、と名前を呼べばやっと言う気になったのか口笛を止めた。そして、にやけ顔も別人のように変わる。

「お前を犯したって言ったんだよ」

 春をまるで汚いものを見るような目で見ながら、夏は淡々と続けた。

「そしたら凄い怒ってた、目だけでわかったよ、あいつ絶対俺を殺したいって思ってだろうなー。あの、冷静くんがお前なんかのために怒ったと思うと、ふふ、傑作だぜ! ははばっかみてぇ、きもっちわりぃ愛だなー」

 春の反応が見たいのか、春の顔を押さえつけると自分と目線を合わせながら暴言を言うと、次には春の顔に唾を吐く。春が顔を拭こうとすると、夏は春の手を片手だけでまとめて動かせないようにした。拳骨の礼だ、と言いながら夏はねっとりと春の頬をなめる。春はただ耐えるしかできず、せめても、と口を開いた。

「お前、最悪だな」
「どうとでも言いやがれ。こっちはなぁ、せっかく理依哉くん精神的に追い詰めていい気分だったのにお前が邪魔したんだよ。いじめるな?すげームカつく?俺になんて口きいてんだよ。そんなにあいつが好きか、ああ?」
「ああ、好きだ!」

 迷うこともなく、春は夏に言いはなつ。夏の舌がゆっくりと止まった。その隙に春は手を振りほどくと夏と距離をとる。そして夏に小さく呟いた。

「犯したなんて嘘ついて、お前は何がしたいんだよ」

 頬を何度も何度も拭きながら、春は夏に問う。夏はなにも答えないまま、首をぶらりと下げて春を見上げた。黒くて長い前髪から覗くつり目は、春を睨み付けている。春も負けじと見返すと、夏は頭をかくと胸ポケットから煙草とライターを出した。とんとん、と煙草の底を叩きながら煙草を出すと静かに火をつける。たった10秒ほどの動作であったが、春には長く感じた。
 嘘、とは夏が桐間に言った“犯した”という言葉である。正確にいえば犯そうとした、であり、それは昨日のことだった。
 夏の家に呼ばれた春は話しているうちに夏に押し倒され、必死の抵抗も悲しくあっという間に服も脱がされてしまう。夏の準備は万端で本当に犯されてしまうかと思ったその時、夏の方がギブアップしたのだ。今まで多数経験があるといえど女しか相手をしたことのない夏には、春の裸を見て欲情しろというのが無理なのである。そのまま肌にはさわらず、春は服を着せられて早々と帰された。そう、体を見られただけだったのだ。男同士なので春は全く気にもせずこの一件のことは忘れていたのだが、まさかこんな嘘となって甦らされるとは。
 桐間がどんな気持ちでその話を聞いたかと思うと、気が気でなかった。だから、保健室にいたとき桐間の様子が変だったのか、と今さら気付く。あのとき桐間に立ち寄れなかった自分に嫌悪すら覚えた。
 怒りに燃えている春に対して、夏は肩を揺らしながらまた笑いだす。そうして、窓を開けて中庭を見渡した。

「俺、あいつを殴ってみたかったんだよなァ」

 煙を吐きながら、自分が怪我した頬を撫でる。湿布の上からでも腫れているのが分かるくらい痛々しい傷だ。春はその傷を見ながら、話に夢中になる。

「あいつかっこいいだかなんだかしらねーけどいきなり調子乗り出してよ、前から気に食わなかったんだよ。そんでボコボコにしてやりてーなとは思っていたわけ。ほら、俺ってちょーっと悪い子だろ。次問題起こしたら退学なんだよー、だからあいつから殴るように仕向ければいいんだって思ってなぁ。で、お前みたいなカモが現れて、どのタイミングで仕掛けようかと思ってうかがってたんだけどさぁ。昨日お前押し倒した時咄嗟に思い付いたわけ、これネタしたら上手くいくんじゃないかって。そしたら案の定ひっかかって、しかもこんなに上手く行くとはな! おい、俺は反省文であんなにぼっこぼこにされたかわいそうな理依哉くんは三日間の謹慎処分だとよ、ざまーねーなァ! あいつバカなんじゃねーのっ、やべぇ、まじ、笑いすぎて腹いてぇ! はは、はははっ」

 夏は言いながら吸殻を窓から捨てると、手を叩きながら笑い続けた。桐間は話を聞いていなかったが学年主任は先に殴った桐間は三日間の謹慎処分、夏は反省文と処理を下していたのを夏は聞いいる。だから、夏は気分が良くなったのだがそこに春が乱入してきて桐間を庇った。その事により桐間をどん底から救ったと夏は考えている。だから春に対して怒っているのだ。
 春は酷い話が一気に舞い込んできて、どこから整理すればいいのかわらない。こんなやつにはめられた桐間も、こんなやつに従う自分も、他人事のように同情したくなった。
 夏の目的はどちらかというと自分なんだと思っていた。ホモだなんだと言っておきながら幼稚園の延長線で、春チャンを苛めたいだけだと思っていたのである。だが、夏の考えは違った。夏は春が苦しんだらそれは面白いが、もっと面白いコトがしたかったようで、それは桐間に対する暴力である。
 気付かなかった、一番近くにいたのに。
 昨日あれだけ普通に話していた夏が憎くて仕方がなくて、だが、殴りかかるほどの価値もないと思った。殴りかかりはしない。そのかわりに桐間がやられてしまったのが悔しくて、涙が出る。

「あーぁ、春ちゃん泣くなよ。俺が苛めたみたいじゃん」
「、触んなっ」
「おいそりゃねーだろ。仲良くしようぜ、ハニー」

 自分に歯向かった春に仕返しをして気分が良くなった夏は、春の肩を抱くといきなり優しそうに話しかけてきた。春が涙を拭きながら顔をそむけるが、夏は春の顔についてくる。泣き顔を見られるのは屈辱なのに、涙が止まらなかった。
 夏は桐間に殴りを入れられたので上機嫌であったが、春の泣き顔を見てさらに興奮する。生意気な春を自分に降伏させた様子が彼にとってこの上ない至福のときだったようで、夏は武者震いをしながら春の涙を舐めた。またか、と春が肌を痛める勢いで拭けば、夏は笑いながら春を見る。

「やっぱヤっときゃ良かったな。その顔見たらぎり勃ったかもしんねーし、そしたら嘘じゃなくて理依哉くんもお前も傷つけることできたのに」

 なぁ? といつもの調子で問いかけられても、春は答える気などしなかった。夏の言葉に悪寒だけが身体中を駆け巡り、夏の腕を必死に剥がす。夏はもう苛め倒したので春に興味がなくなり、煙草をもう一本出した。火をつけている間に春は全速力で走りだし、彼を後にする。夏はその後ろ姿を見ながら、手を振っていた。



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