『アイツと別れろ。そしたら口外しねーでやるから、な?』
 夏と離れた後でも春は、彼のねっとりとした声が今でも耳に残っていた。意味がわからない、勝手に言えば良い、と突っぱねてしまえばよかったのだが、言えなかったのは迷いがあるからである。自分がここまで弱虫だとは思ってもみなかった。

「尾形、おい尾形」

 誰かに呼ばれた声がして、やっと意識がはっきりとする。目の前を見ると、そこには斉藤が心配そうな顔をしてみていた。
 ガヤガヤとうるさい周りを見渡せば、もう放課後になっている。昼食は食べた覚えがないので、きっと体育をサボって教室に戻ってきた後寝ていたのだろう。まるで気を失っていたかのように、五時間たっぷりと寝ていたようだ。

「ごめん、起こしてくれてありがとう。」
「ピクリとも動かないから死んじまったのかと思ったよ。気分でも悪いのか?」
「いや、そういうわけじゃ。」

 歯切れの悪い言い方をする春に、斉藤は続きを聞くことはない。じゃあ俺帰るな、と鞄を持ちながら斉藤は笑った。気の使える友達をもって良かったと思うと同時に、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。春は精一杯の感謝の意味も込めて、笑顔で手を振った。
 すると斉藤が出ていった扉には、いつものように桐間が待っている。どうやら少し前から居たらしく、携帯を見ながら暇していた。少し前なら普通に喜んでいただろうが、朝にあったことを思い出してみんなの目が気になる。もちろん周囲は春に興味などないので、特別何をされているわけではなかった。春をこんなに敏感にさせた張本人も、春などそっちのけで友達と話呆けてる。安心した春は警戒しつつも、桐間の元に向かった。

「理依哉!」
「…やっと起きた。なに、お前は俺を待たせるの日課になったの。だとしたら調子に乗りすぎだと思うけど」
「ち、違うから」

 そう言いつつも起こさないで待っていたくせに、と春は内心嬉しく思いつつも口に出せば殺されそうなので、心に留めておく。帰ろうか、理依哉が一息ついて言い、春が笑い返した瞬間、教室から声がした。

「じゃーなー、ハルちゃん」

 笑いを含みながら春の名前を呼ぶやつなど、一人しかいない。春が振り向くとそこには机に座りながら、大きく手をふっている夏がいた。なにを思っているのか、彼は気分がいいらしい。春は嫌そうな顔で手だけ振ると、夏は嬉しそうに笑った。
 マゾか、あいつは。
 春はすでにいらいらしている頭を落ち着かせるが、夏をけなす言葉しか出てこない。とりあえずここから逃げ出したくて、桐間の方も見ずに歩き出した。

「あいつ、友達?」

 しばらく歩くと、桐間が春の顔を覗き込みながら聞いてくる。桐間からしてみれば『ハル』と呼ぶ人物なので、春と親しくなったのかと純粋に疑問に思ったのだろうが、春の心臓には悪かった。勢いよく首を横に振ると、桐間は不思議そうな顔をする。それもそうだ、話したやつは皆友達、ともいうような春が全否定をするなどあり得なかった。だからこそ、桐間は彼が気になる。

「なんて名前なの」
「知らない」
「なんでお前に話しかけるの」
「さぁ」

 桐間の尋問にしらを切る春だったが、桐間は短くため息をついて目を細めた。

「春って気持ち良いくらいに分かりやすいよね。もしかして春がこの前俺と距離置こうとしたのも、あいつが理由なの?」

 桐間は人の気持ちを読むのは得意で、尚且つその結果は明確である。そんな桐間の性格を知っていた春は嫌な予感はしていたがここまで的中されると黙ってはいられなかった。なにより心配させないように、と思って隠し事をしたのに、現時点では心配をしないと言ってくれた桐間でさえ春に問い詰める始末。桐間には無駄な努力をさせてしまったと、春は自分を殴りたい気持ちになった。

「そんなとこ」
「ふーん。それって聞いたら、経緯とか話してくれる?」

 桐間はまるで興味なさそうにあくびをしながら春に聞く。だが、その本心は知りたくてたまらないようだった。桐間の本心を感じ取った春はここまで来てまだ桐間の優しさに頼るのは引け目があり、ここはいっそ言ってしまうことにする。
 呆れられても仕方がない、俺はそれなりのことを考えてしてしまったんだ。春は腹を括りながら一から十まで包み隠さず話す。桐間は春の話を聞きながら途中途中難しい顔をするが、最後まで黙って聞いていた。やはり話は長くなり、こうして電車の中まで続いてしまったのだが。
 一通り話終わって、春はすっきりした気持ちで桐間をみた。桐間からなんと出るか、気になったからである。桐間は、ふと、春を見た。

「別れたいとか?」

 電車の中だったので主語はなかったが、いわゆる春は俺と別れたいのか、と聞いているようだ。そんなこともすぐにわかった春だったが、まさかそんな言葉が出てくるとは思わず、まともに返事すら出来ずにううんとこだまのように繰り返す。てっきり夏の無理難題に考えさせてくれ、と言ったことや、隠したいと思っている自分を責めるのだとばかり考えていた春は驚きを隠せなかったのだ。桐間は、そう、と返すだけで嬉しいともうざったいとも言わない。二人は久しぶりに気まずい空気になったが、また桐間が口を開いた。

「俺もさ、皆には知られたくないよ。付き合ってるってこと。」

 ぐさり、と矢が胸に刺さる音がする。こんなことでショック受けるなど自分を棚にあげてなにを言っているんだとなるが、やはり予想以上に答えた。そんな気にしている春に気付くも、桐間は言葉を続ける。

「だってそうでしょ。皆どうせ認められないだろうし、わざわざそんな白い目で見られたいとも思わないのが人間の本音。だから春が周りに知られたくないとか平穏に暮らしたいとか思うのは当たり前なんだし、罪悪感感じることはないんだから。そんなこともわからないのかよ」

 このアホ、と桐間に笑われる。桐間は怒っていたり呆れたりするよりも、からかうように笑った。
 すぅ、と体が軽くなった気がする。春は悩んでいたことがなんなのかわからなくなってきた。

「あり、がとう」
「別に、思ったこと言っただけだし」
「ううん、助かった。やっぱり大好き、理依哉」

 春が今にも泣きそうな声で言うと、桐間は気まずそうに目をそらす。照れているのだろうか。好き、や愛してる、なんて春は一日何回もいっているのにこういう畏まった言われ方をするのは、桐間も慣れてはいないらしい。だからさ、と桐間は話を繋げた。

「俺に心配させたくないのは分かるけど、一人で解決できないって思ったらすぐ相談しなよ。落ち込んでるお前を見るこっちの身にもなれよな」

 そんな優しい言葉を言う桐間に、春はもうときめくことしかない。何度も頷き、目から涙を流した。桐間はそれを見守ってくれ、最寄り駅まで着くと手を引っ張って促してくれる。春はただついていくだけだった。
 黙って歩いていると、春のマンションへの道と桐間の家への道の分岐点で、桐間は迷うことなく桐間の家へと向かっていく。春は泣きながらも疑問に思い、腕を少し動かして桐間を呼んだ。

「俺こっちだよ」
「…」
「理依哉? ね…」
「…お前このあと暇でしょ、俺ん家来なよ」

 怒ったように呟く桐間は決めつけたように言う。反論してやろうと思ったが、桐間の言う通りこのあと用事はないに等しいので悔しいが付いていくことにした。なにより桐間と居れるなら本望だ。
 桐間の家につくと、桐間は慣れた手つきで鍵を開ける。そして扉を開くと乱暴に春を部屋へといれた。春は戸惑いながら、お邪魔します、と言ったがどうやら功士はいないらしい。たしか4日間出張で家にいないと言っていたか。そのまま春はリビングにも通されず、桐間の部屋へと押し込むように入れられた。ベッドへと投げられた春が驚いていると、桐間はなにも言わず春に口付けてくる。ムードもない半無理矢理に口付けられただ顔をあげてみる。すると口開けて、と指示されたので口を開けた。瞬間、舌が吸い付くように入ってくる。春はたまにしかしない特別なキスに、焦ってしまった。深く長いキスは正直苦手である。一生懸命答えてはいるが、まったく相手が満足した様子はなかった。どうしようかと思っていると、なんとワイシャツに手を掛けられた。
 待て待て待て!
 キスをしているし頭もぼーっとはしてきたが、さすがに現状のヤバさは分かった。どうしてこうなった、そう思う他ない今のこの状況に春は抵抗しようと思うが、桐間にさわられるのは嫌ではないのでいいかと思う。
 いや、そういう問題じゃない!
 危うく流されそうになった春はやっとはっきりした頭で考え、自分の何の色気もない胸をまさぐる桐間の手をつかんだ。すると桐間も怯み動きは微かだが止まる。それを良いことに春はベッドから立ち上がると、壁へと張り付いてなぜか胸を隠しながら桐間を指差した。

「おっまっえ、なにしてんだよ!」
「さわった。つーかお前、色気ないし、空気読めないし。もうびっくり」
「読んでないのは理依哉だろ、俺もびっくりして涙すっとんだわ!」

 春がいつ外されたかわからないワイシャツのボタンをつけながら言うと、桐間は口を尖らせながらベッドであぐらをかく。

「したくねーの?」

 拗ねたように言う桐間に言いたいことはたくさんあったが、その質問ははいとは言えなかった。したくないわけではない。桐間とこれ以上深い関係になれるなら嬉しいが、今、できるかと言えば心の準備が。

「それってエッチのこと、だよな」
「…はっきり言うね。でも、そう、そういうこと。まさかできないとか言わないよね、春からしたいって言ったのに」

 言葉にされると照れるのか、桐間は言葉をつまらせた。そういえば、前に桐間は春とはできるといってくれていたし、むしろ春から自分でしたいと言ったはずである。だが実際されると恥ずかしいどころではなく拒否ってしまった。いまさらになって桐間が傷ついているかもしれないと後悔する。だが、今はまだ早いかった。

「言ったけどなんでいきなり」

 思った通りの言葉である。春がいうと桐間はあぐらの足に肘を立てて頭をのせて、春から顔をそらした。もしかしてついに怒ったかと思えば、桐間がぽつりと呟く。

「これからしなきゃいけないのは、夏とか言うやつの言う通り別れること。まぁもちろんフリだけど、一緒に居るところとか見られたらまずいからさ、登校とか無理でしょ。ってなると触れるのも、ましてや話すのも難しいし。そしたら、なんか信じてるけど不安になった。つーか…やっぱ、忘れて。」

 言った通り不安げに長いまつげは下を向いていた。春はそんな桐間を見たことがないので、動揺はしたが自然と服を掴んでいた手を落す。気づいたら桐間に近寄って、彼を見つめていた。
 俺がのんきに幸せだと感じてるときに、理依哉はそんなこと考えていたのか。
 自分はやはり幸せで、なにより素敵な彼氏を持ったと思った。春はベッドの下に座ると、桐間の太ももに顔を擦り付ける。

「りいやー!」
「…なに、慰め?」
「違うよ。好きって気持ち言葉じゃ表せないから、すりすりしてんの」
「きもちわる。」

 そう言いつつも、桐間は春の頭を退かすわけでもなく、呆れたように言った。そして自分の不安が飛ぶ気がしたのである。深呼吸しながら、春の頬を撫でた。その手にも頬を寄せながら、春はにこりと笑う。

「エッチ、今度しよう、絶対!」

 春が言うと、それはもういいよ、と桐間が春の頭を叩いきながら真っ赤な顔で言った。



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