教室へ戻ると、桐間が窓辺で立っているのが見える。春は焦りながらドアをノックすると、桐間がこちらを向いた。春の姿を見ると、口を尖らせる。

「俺を待たせるなんて良い度胸してるね、春」
「ごめんなさいぃ、色々あってさ」
「色々?」

 怒らせてしまったので、慌てて思わず言い訳が出てしまい、春は我に帰った。さきほどの夏との出来事を桐間に話せば、桐間に心配させてしまうし、なにより迷惑を掛けたくない。いやいや、と首をふると桐間は不思議そうな顔をしていたがすぐに話は変わった。

「で、友達できたの?」
「あ、うん、斉藤ってやつ! そっちはどう?」
「相変わらず龍太と、海飛とかいう奴がばかやってる」

 桐間はそう悪態をつくが顔はどこか楽しそうである。春は桐間が楽しそうならば良いと、嬉しくなった。そんな喜ぶ春を見ながら、桐間は教室を出る。さあ、楽しみはこれからだ。

‐‐‐‐‐

「うっひゃー、今日もたのしかったなー! ありがとうな、理依哉」

 春はもう暗くなった夜空を仰ぎながら、桐間に向かってお礼を言う。桐間も少し口角を上げて返事をすると、春は笑いながら歩道の段差に乗り上げた。

「あ、見て、月綺麗だー」
「欠けてるけどね」
「欠けててもいいの!」

 皮肉を言う桐間に春が眉間にシワを寄せると、桐間は上ばっか見てると落ちるよ、と注意する。桐間は最初から月など見ていなかった。踏み外しても庇えるよう、春の足元ばかり気にしているのである。
 春は自分を気にしてくれる桐間見て、また愛しさが込み上げた。春は桐間の小さな優しさを汲み取るのが、意外と得意である。不器用なのは会ったときから変わらなかった。
 相手のことばかり気にしていると、春はついさっき注意されたことすら忘れてしまう。細い段差を踏み外してしまったのだ。わ、と慌てる春に桐間はベストな位置に手を添えて支える。お陰で、春は落ちることすらなかった。

「ほら、言わんこっちゃない」
「ごめん、ごめ…!」

 呆れたように春の手を引く桐間に春はいつものようにとぼけようとしたが、瞬間、夏の言葉を思い出す。
 俺達が油断した、あの道。それのせいで目を付けられた。
 夏はもう諦めてくれたが、次はいつ、誰に見られているかわからない。そう思うと触れることすら怖くなった。男同士の友達でもするような行為すら危うい。夏にはバラしてもいいとは言ったが、本当にバラされたら高校を生きていくのは困難だ。幸せへの道は、関係を秘密にすること。考えている間に、春はいつの間にか桐間の手を振り払っていた。
 やばい。
 思って桐間を見たときにはもう遅い。反射的に払った桐間の手は、赤く払われた場所を主張していた。どう説明すればいいかわからず、春は言葉を詰まらせる。こんな状況で喧嘩はしたくない、今よりも触れる機会が少なくなるからだ。だが夏のことは口が裂けても言いたくはない。先ほど思ったように桐間に心配されたくないし、今思ったように自分たちの関係を知られたくないために、接触を拒んだ卑怯者とも思われたくはなかった。
 どうしよう、どうしよう。
 春は今にも泣き出しそうな目で、桐間に訴えかけた。その痛々しい手のひらを撫でることすら出来ない、臆病な自分が憎たらしい。このままでは嫌われてしまう、と不安で顔を歪ませる春とは反対に、桐間は冷静に、春を落ち着かせるように呟いた。

「やっぱりなんかあっただろ」

 その声は怒っているわけでも、問い詰めるわけでもない。ただ、心配の色しか見せなかった。春はそれがまた申し訳なく思い、謝ることしかできない。心配させたくなかったのに、結局させてしまった。ただ、これだけが嫌で桐間から離れたいと思う。
 だが、桐間はどうだろう。自分の気持ちを嫌悪する春を責めも、同情したりもしなかった。すぐに、春の気持ちを理解する。自分が心配することを申し訳なく思っていると、感じ取ったのだ。そこまでわかったのならば、桐間も春を苦しめまいと、赤いままの手をポケットに突っ込んだ。

「別に気にしないで、言いたくないなら言わなきゃいい。俺はお前を信用してるから、あまり干渉はしない。心配もしないよ、めんどくさいしね。…だけどこれだけは約束して、あんまり無理はすんなよ」

 春は目を閉じて、ゆっくりと頷いた。桐間の痛いくらいの優しさに包み込まれて、息が出来なくなりそうになる。嬉しいのに、自分が卑怯すぎて、胸を刺す痛みは増していく。
 自分は弱い。桐間を守ろうとしたのに、桐間に守られてる。
 思うと、目尻に溜めていた涙はあとは流れるだけだった。我慢すらなく、ただ子供のように泣きじゃくりながら春は歩いた。桐間は黙って触れもせずに、春についていくだけである。
 月を見上げながら思った。この弱く繋がる先がない春の手を取るのは罪かと。ならば罪すら受けたいと思った。今の桐間には春がどんな人であろうが、彼が泣き止んでくれるのならばなんでもする。泣いている春を抱き止められないのはこんなに苦しいのかと、桐間は我慢するように目をとじた。



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