「春」
優しい声が、耳を掠める。ゆっくり前をみれば少し前を歩いていた愛しの人が、こちらをみていた。春はまわりをキョロキョロとみると、誰もいないことを確認してから桐間に近づく。そして、春は目を瞑りながら止まると、桐間はゆっくりキスをした。
「うふ、理依哉さん、朝からお盛んですね」
「うるさいよ、嬉しいくせに」
にやにやしながら、桐間の横を歩く春に、桐間は目を細める。
二人は今日で3年生となる。出会ってから約一年ほどしか経っていないが、二人はかなり成長していた。
2年の文化祭で問題が起きて仲直りして以来、二人の仲はもっと深いものとなった。キスは会えば照れもせずにするし、手だって周りの目を盗んで道路だろうが関係なしにする。嫉妬は少なくなった、と言うより、冗談じみた言い方で言えるようになった。けんかはするが、すぐに仲直りする。本音を言い合える良い仲になったのだ。
春はこれから行く学校は憂鬱だが、毎日のように桐間と通るこの通学路が好きになっている。すべてが、幸せにつながるのだ。
「んー学校とかでもベタベタできたらいいのにな」
「ばか、きもちわるいよ」
「いいじゃん。そしたらさ、公認の仲だし誰も近寄らなくなるかも!」
「そりゃホモには近寄らないよね」
「そういう意味じゃなくて」
笑いながら歩き、ぱたりと足を止める。ここから境に大通りになっていてその先は人通りも多いので、朝に手を繋いでいてもいつもここで手放していた。ここから学校が終わるまで触れることはない。用心し過ぎだが怪しまれるのを避けるためだ。
前まで不登校だったが春のおかげで大きな変化をした桐間はただでさえ目立っていて、さらに春と揃えば異常に仲が良いと一際目立っていた。気にしてはいなかったが今では龍太たちに注意されて、学校ではなるべく話さないようになり、桐間は他のグループにいる方が多くなったのである。
「あーあ、離れんのいやだな」
「お前それ毎日言ってるよ。今日は出掛けるんだし、我慢できるでしょ」
「お、そうだった」
春の機嫌は良くなり、桐間の手を簡単に離した。言い聞かせたのは桐間の方だったが、桐間もどこか寂しげに離れた指をみている。春はそれをみて、もう一度キスをした。
「…みられたらどうするの、ばか」
「へへ、いいじゃん」
調子の良い春に桐間はため息をつきながら歩幅を合わせる。春の熱が微かに残る自分の指を、撫でるように握った。幸せそうに笑う二人は、再び歩き出す。
その近くに、人がいて二人を見ていることも知らずに。
‐‐‐‐‐‐‐‐
大きく書かれたクラス替えの文字。学年があがるとともにクラスも変わることを、春はすっきり忘れていた。表を見上げ、春はわなわなと震える。
「り、理依哉。俺らクラス、違う。」
「離れる予想はしてたけど。これは予想してなかったな」
泣きそうになっている春は4組、冷静にされど不安げに見つめる桐間は1組である。二人がくっつく確率の方が少ないし、春も忘れてたとはいえ仕方ないとはおもったが問題はほかにあった。
春がいつもつるんでいた浩、龍太、海飛など、皆1組に固まっている。他にも同じクラスの者は1組に入っていて、春はずるいと唸り声をあげた。
「あーあ、この先どうなるんだろ」
「春なら平気じゃない? まぁ新しい友達、頑張って作りなよ」
「冷たいな、理依哉。あ、浮気すんなよ」
「しないから。不安なら浩に監視でも言いつけておけば。」
笑いながら言っている桐間だが、本当はかなりショックを受けている。お前こそ浮気すんなよ、と言い返したいところだが春が喜ぶ姿を浮かべて悔しいので言わないでおいた。
4組で春と仲良くなれそうなやついるかな。
他人事のように春には言ったが、自分の恋人にはつらい思いはしてほしくはない。良いやつそうなやつをずらりと並ぶ名前でみていると、ふと目に留まる名前があった。
「あ、見て、春。俺と同じ名字のやつがいるよ。」
あいつと仲良くなれば、指を指して笑う。うつ向いていた春は、桐間に指を指す方向につられて顔をあげた。鈴木や佐藤ならば同じ名字もいそうだが、桐間で被るとは世界も狭いものだ。桐間はは自分と同じ名字が居たとしても、興味は少しも湧かない。ただ落ち込んだ春に冗談ひとつ言ってやろうと思い軽い気持ちで言ったのだが、肝心の春はなにも言わなかった。
「春?」
「…なつ」
「え?」
ぼそり、と春が呟いた言葉に反応すると、春はハッとなって桐間をみる。そしてなんでもなかったかのように笑いながら、桐間の冗談に返してきた。
だが、桐間は春の返してきた言葉など聞けるはずもない。あんな真剣な眼差しで、なぜあの名前を見ていたか、考えてしまったからであった。
「は、」
「あ、俺の教室向こうだ。じゃ龍太たちによろしくな、終わったら連絡して!」
「…うん」
名前を呼ぼうとしたが、いつもと変わらない声で遮られてしまう。自分に背中を向ける春を見送り、表をもう一度見上げた。
『桐間 夏』
春が呟いていたたった一言。それはもう一人の“桐間”の名前であった。