後夜祭も終わり、桐間と龍太は険悪なムードのままだったが、疲れていた四人は並んで電車に乗った。さりげなく龍太は桐間の足を踏み、桐間はつり革を掴んだ手を曲げ、龍太の頭に肘を乗っけたりと小さく戦いが始まっている。もともと人混みが苦手な浩にとって二日に渡る文化祭はかなり無理をしていたようで、立ちながらも眠気に襲われていた。そんな三人を見ながら、春は“いつも”に戻ったことを楽しんでいる。
電車のアナウンスで、次の駅を告げ龍太が扉に向かった。ここは龍太の最寄り駅だ。春が手をふろうとすると、何故か浩も龍太に着いていく。
「おいー、浩、寝ぼけてんのか」
「あ、いや、今日俺ん家でお泊まりなんだよ。な、浩!」
「ああ…、行ったら寝るがな」
「つっまんねーな、そこはら夜が明けるまで話そうぜ! つーことでまたな!」
返事をする暇もなく、嵐のように龍太たちは去っていった。浩と何年も一緒だが思い返してみればお泊まりなどしたことはない。
二人は仲がいいな。
春は桐間を横目で盗み見して、羨ましそうに流れていくように過ぎる駅を見ていた。
「なあ、理依哉はさ。」
いきなり話題を出された桐間は、空いた席に座りながら春を見上げる。桐間が隣をポンポンと叩いている。隣に来いということなのだろうが、春はその仕草が可愛く思えてじっくり目に焼き付けてから隣に座った。
「で、なに」
「キス以上のことしたい?」
がったん。
電車同士がすれ違いに合い、立っている人たちが揺れる。桐間も同じタイミングで、肩がかすかに揺れた。
桐間が驚いたのは、こんな満員の電車のなかで自分たちの恋愛事情を話したからではない。春の言葉は周りに聞こえていただろうが、周りからしてみれば桐間と春がどうこうしているようには聞こえないだろう。驚いた理由は、春が恋人らしいことを言ってきたからである。
桐間はいままで春に好きだ、なんだと言われては来たが、実際付き合っているという感じはしなかった。一応、デートと称して二人で歩いていても手は繋げないので一定の距離は保たれているし、最近はキスすらまともにしていない。先ほど、仲直りの印にキスはしたが、春の方は照れもせずただ喜んでいるだけだった。だからこそ、春という人間とはここまで、と思っているんだと思い込んでいた。
正直な話、桐間はキス以上のことを考えている。いずれは自分がリードする側なのは分かっているし、譲りたくもなかった。それ故、何に導くにも桐間次第ということであった。ゆっくり進めばいいと、桐間は考えているが、現在、キスといっても触れるだけのフレンチなものであり、春もそれ以上は望んでいないと見たので進むのは止めようとしたが、自分の願望は実に厄介である。
もっと触れていたい、感じたい。
ほんのわずかだが、思いやりすら忘れてがっつきそうになったのだ。これは好きな人といれば、ごく当たり前のことである。だが、桐間は、キス以上なにも考えていない彼の体を求めてしまったので、恥ずかしく思ったのである。それがさっきまでの話。
「なに、いきなり。」
「いや、龍太に男なら皆したいに決まってんだろ! とか言われてさ。理依哉もしたいのかなって」
つまりは興味本意か。あのバカ金髪、春に余計な知恵入れんないでよね。
桐間は舌打ちしながら、ついさっきまで自分の足を踏んでいた男を思い出していた。だが、これは意識させるのにいい機会なのかもしれない、とも思う。付き合うというのは、そんなものだけではなく深いところもなのだというのを教えなくて済んだのだ。
「別に、しなくてもいいかな。お前は?」
上手い返し方が分からずに動揺してしまったため、咄嗟に嘘をついてしまう。しょうもない嘘をついてしまったとと桐間は後悔しながら顔を歪めるが、春はそんな桐間に気付いていないようで考え込んだ。
こいつバカだし、なんでも良いとか言うんじゃないの。恋愛とかわかってなさそうだし。
桐間は人と付き合ったことはないし、実際キスだって春とが初めてであったが気持ち的には自分の方が余裕があると踏んでいた。だからこそ、春に性的な願望があるとは思っていない。だが、それは桐間が勝手に思っていることだ。春は首をぐりん、と回し桐間を見ると苦笑いする。
「ごめん、俺はしたいかも。」
タイミングよく、電車が止まった。ここは春たちの最寄り駅である。着いたぞ、なんて呑気にいう春に桐間は手を引かれて電車から出た。じめっとしているが、風が吹くと気持ちがいい。流れるように階段から降りる人々につられ、二人も改札口を通った。
「は?」
ここでやっとショートしていた桐間の意識が戻る。しれっとしていた春も、反応されるときまずそうに目を反らした。駅前と言えど栄えた町ではないので、人は少ない。革靴が擦れる音がした。
「反応遅いなー」
「遅いって、いや、あのね。キス以上のことって、何するか分かってるの?」
「バカにしてんのか、俺だって男なんだぞ。そんくらい分かってるつーの!」
「いや、分かってないね。じゃあ男同士はどうやってエッチするか言ってみてよ。」
桐間が春を鼻で笑いながらバカにしたように見ると、春の顔は真っ赤になる。そして桐間も自分の言った言葉をじわじわと思い出し、5秒もしないうちに二人顔の色は同じ色になった。
「え、男同士って、エッチ出来るの?」
ちょっとでも知っているかと期待した自分がバカだった。よく考えてみれば桐間が調べてまで分かったことを、春が知っているわけがない。
真面目に聞いた自分が恥ずかしくなり、なんでもない、と呟きながら止めた足を踏み出した。すると、春は桐間の服を掴む。
「ん?」
「あのさ、俺知らなかったしよくわかんないけど、理依哉とは最後までしたいとは思ってたよ。特別って感じするし。あ、でも、ごめん、気持ち悪いよな」
苦笑いする春に、桐間は返す言葉もなかった。自分は嘘をついたのに、春は自分の気持ちをはっきりいった上で、相手を気遣う態度まで見せる。
俺、こいつじゃないと、付き合えてないな。なんでも、春がいい。
桐間は頭をくしゃり、と触りながら、春のおでこにキスをした。
「ばか、…俺も何でもいいに決まってんだろ」
春はゆっくりと伝わる桐間の唇の熱に、じわじわと言い表せない感情が浮き出す。まばたきもしないで、春は桐間の腕に張り付いた。
「え、いまなんて? 理依哉、なんて言ったの?」
「歩くのおそいよ、くそ眼鏡」
「待って、もっかい! もう一回言って!」
「うるさい! 静かにしてなよ、単細胞…って、うわ、顔にやけてる、きもい」
「ひどい、酷すぎる!」
泣き真似をする春を一度みて、桐間は笑う。そして振り返り、春が幸せそうな顔をしていたのでたまらず、もう一度、今度は口にキスをした。
好き、この感情が、この幸せが、途切れませんように。