「あっれー、恋人とケンカ?」

 由樹の机の前に嬉しそうな顔の保泉が立って由樹を見下ろした。由樹は黙って教科書を片付けるとカバンに入れて帰る準備をする。無視されたことが癇に障った保泉は由樹の右手首を掴んだ。由樹は動きを止めて、保泉に目を向ける。

「離せ」
「お前さ、話すんだな。俺が半年虐めても一言も話さなかったのに、保逗に対しては最初から話してたな。やっぱ好きなの?」
「うるさい」

 由樹が煩わしそうに手を振り払うと保泉は笑いながらも、帰る由樹の後ろをついていく。その姿を優人は見ながらも、由樹を追うことはできなかった。
 今の感じだと、由樹は嫌がってはいるが保泉は由樹を虐めていない。普通に接しているので優人が行ったところで話の邪魔をするだけだ。優人は由樹と話せる機会をうかがっていた。
 昨日のことがあってからの今日、丸一日、由樹と優人は話をしていない。なにより由樹が優人を避けていて、優人も避けられていることが分かるからか由樹の元に行けずにいた。遥歩はもちろん優人と一緒にいるが元気のない優人といるのは、苦しいものである。遥歩はため息をつくと、優人の隣についた。

「追いかけなくていいの?」
「別に、保泉に虐められてるわけじゃないし。追いかける理由がない」
「なにそれ」

 優人の素っ気ない言い方に、遥歩は片眉を下げて睨みつける。いつも自分に正直で、正義も鼻にかけないやつが皮肉を言い出したのだ。恋、みたいなものは人をここまで追い詰めるかと、遥歩は肩を竦めた。

「お前さ、羽坂と可哀想だから居たの? 虐められてるから可哀想で声掛けたの? だとしたらとんだ偽善者だな」
「ち、ちがう! 俺はただ、由樹と普通に友達になりたくて!」
「ならいいじゃん。保泉に虐められてなくても、優人は由樹の友達なんだろ。理由なくても追いかければいいじゃん。 いつも話すのに理由なんてあったか?」

 我ながらなにを熱い言葉を言っているのか、と恥ずかしくなるが、優人に元気になってもらうためだ、と一肌脱ぐ。だが肝心の優人はケジメがついていないのか、椅子に座って足を机に掛けるとまるまってしまった。遥歩はまたため息をついて、肘をつく。
 振り返って窓の外をみればもう保泉と由樹は校庭に出ていた。外に行っても後ろにしつこいくらい保泉に引っ付かれて、うんざりとした由樹が伺える。遥歩はわざとらしく声をあげた。

「あー、羽坂嫌そうな顔してるー」
「う」
「んーあれなにされてんのかなー、腕組まれてる? ベタベタくっついて、まあ。保泉もやるなー」
「うう」
「ん? 羽坂満更でもないのか? ああ、保泉にも心開いたのかなあ」
「遥歩!」

 椅子から降りると怖い顔をして遥歩の裾を掴む。なにも言わずににっこりと笑いかければ優人は悔しそうに唇を噛み締めると、カバンを持って教室から走って出て行った。取り残された遥歩は背筋を伸ばすと、あくびをする。あと30分でバイトなので、今日も学校から直行だ。このバイト、面倒だがいきなり三人やめて人手が足りなくて困ってると友達が言っていて、やらなくても良いが仕方なく始めたものだ。

「あーあーめんどくせ」

 それは何に対しての言葉なのか、何にしろ面倒くさいと言いつつもなんでもやってしまうのが遥歩なのだ。

‐‐‐‐‐

 由樹はイラついている。保泉は自分を虐めるわけでも、話すわけでもなく自分の隣にいた。由樹に肩に腕を回しながら、目はキョロキョロと周りばかりを気にしている。きっと何か裏があるんだろう。
 このまま俺を何処かに連れてってボコす気か? まあ学校から駅までなら人通りが多いからさすがにここでは殴ったりしないだろう。
 由樹も長年の経験から様々な可能性を考えて、一歩一歩を緊張して踏みしめていた。それに対して変わらず離れない保泉を、由樹は黙って見る。
 由樹が孤独だったのは、入学当初から彼に虐められたせいではない。もともと虐められるだろうとどこか諦めていた自分のせいだ。その暗い空気を保泉に気に入られてしまったのだろう。たしかに保泉の言うとおり、由樹は保泉に虐められながらも一言も話さなかった。話す必要すら感じなかったから、人とも思っていなかったから。だが優人に名前を聞かれたとき、口が開いていた。優人のことを一つも知らないのに、本能的に信じて、名前を言ったのだ。
 俺はあの時から保逗くんが眩しくて、保逗くんのことを、好きなんだ。
 その衝撃はきっと恋と同じように稲妻が体中を巡る。優人と恋の話していたときに気付いた、優人に抱く気持ちが恋かはまだ分からないが、それは特別なもので、もう二度と人に感じるものではないと。
 だからこれからも優人の隣に居たいと思った、優人がいればいいと思った、そして優人も同じことを思ってくれていればいいと思っていた。
 それなのに優人は自分より前から友達だった遥歩に泣いて、何かを訴えていて。遥歩が優人を泣かせたと思ったら体を流れる血が沸騰したのかと思うくらい熱くなった、虐められても抱かなかった感情、これが怒りなんだと、感じた。だから感情のまま優人の手を引いた、あのままついて来てくれると思ったのに優人は由樹を拒否したのである。まるで、冷水を頭からかぶったように体が冷えた。
 ああ、おれは一人で舞い上がっていたんだ。優人は俺のことなんて、ただの友達だったんだ。
 当たり前だ、ついこの間仲良くなったやつがなにを馴れ馴れしいことを思っているんだ、と。同じことを思ってくれていればいい、なんてそんな恥ずかしいことよく考えられたと思う。
 そのまま友達でいれればよかった。けど由樹は無理だったのだ、ただの友達が、一緒にいればまた傷つく気がして。
 せっかく友達になってくれたやつを、特別に思った、罰だ。俺には、やっぱり孤独が似合う。
 隣の保泉を見て思う、だからこれからも俺を一人に孤立させてくれ、と。

「なにこっちじろじろ見てんだ、きめーな」
「そう思うなら手を離せ、肩が重い」

 じとり、と近距離で睨み合うが保泉は一向に引かないので、やはり裏があるのだと確信に至った。なにが狙いだ、と考えた時、聞こえた声にビリリと衝撃が走る。

「由樹から離れてくれ、保泉ー!」

 保泉は後ろから聞こえた優人の声に反応して由樹から目を離したが、由樹は保泉の方を向いたままだった。自分は今日優人をことごとく避けたし優人も自分を避けていたので、まさか追いかけてくるとは思っていなかったので心の準備ができていない。早くなる鼓動に嫌になり自我を失った由樹は、先ほどまで離せと言っていた肩に回されている腕を逆に掴むと早歩きで進み出した。保泉はそのことに驚いて由樹をみる。

「お前、なにしてんだ!」
「いい、良いから歩いて、気付かないふりしろ」
「なっにをバカなこと、俺はこの時を待ってたんだ」
「そういうことか、まあいいや、走って」
「はあ?!」

 どうやら保泉はまだ優人に根に持っていたようで、由樹に話しかけると見せかけて心配して近づいてきた優人だけを連れ出し何かをするつもりだったのだろう。だが、保泉の作戦が分かったところで、由樹はそれどころではなかった。優人に会いたくなかった、会えば胸が痛む、お前も俺と同じ感情で特別にしてくれと、一緒にいてくれと言えばもやもやは取れるのに、言えば嫌われてしまうと考えると何もできない。とりあえず今は逃げるのみだ、由樹は早歩きどころか全速疾走で二人三脚のように保泉と走り出す。保泉も引きずられるように由樹に合わせて走った。

「離れろ、って、言ってんだろ、おい保泉この!」
「はあ!? もんく、なら、羽坂に言え、くそ!」
「叫んでる暇あるなら走れ!」

 濡れ衣を着せられて優人に怒られた保泉が叫べば、由樹も保泉に怒りながら背中を叩く。なんとも奇妙な構図に優人を痛めつけるために待ち伏せしていた保泉の手下たちも、目の前を走る三人を追いかけることが出来ず目で追うしか出来なかった。その手下たちが三人を見失った頃、止まらない二人に腹を立てた優人がプルプルと震えて大声で叫ぶ。

「保泉、離さないと、また、飛び蹴りするぞ!!」

 優人は本気なようで受け身の為の準備で手首すら回していた。保泉は後ろを向いて優人と様子を見ると、飛び蹴りをされて夜な夜なお腹が痛くて寝れなかった悪夢を思い出す。強い力に引かれて一緒に走っていた保泉だが、さすがに飛び蹴りされるならば全力で拒否するしかなかった。由樹の強い力で掴まれる腕を無理やり引っぺがすと、由樹から離れて走りすぎて限界な足を震わせてその場に座り込む。すると、由樹はまだ走り続けながらも振り返って保泉を睨む。

「役立たず!」

 そして、その保泉を追い越した優人も走ったまま振り返り笑った。

「ありがとよ!」

 爽やかな笑顔だが、飛び蹴りを思い出して保泉は武者震いさせる。こうして、保泉の仕返しはまた振り回されたあげく不発に終わった。
 保泉をおいて行きながらも由樹は止まるつもりはない。周りの目が気になり細道にルートを変えると、邪魔な物を避けながら器用に走り抜けた。体育は真面目にやってはいたが、最近自由なことが多くて怠けていたこともあってか足が限界に近付いている。教科書が詰まっているカバンも物にぶつかるわ重いわでハンデとなり、優人はどんどん近付いてくた。後ろで優人が苦しそうに顔を歪める。

「なんで、逃げるんだ! 話が、したいんだよ!」

 なんの話だ。由樹は一度思うと嫌なことばかり考えてしまう。友達をやめようと言われたらどうしよう、でも、それは自分から言った、けど保逗くんから言われたら俺はどうすればいい、面倒くさい自分、でも、これが本心なんだ。
 考えていたせいかゴミがあるのに気付かず、バランスを崩し前に倒れこみそうになる。手をつこうとした時、その手は地面につかなかった。

「捕まえた」

 息を切らした優人が由樹の体を支えて、また眩しい笑顔で笑う。由樹はその顔を見て、泣きそうになった。
 そうだ、この笑顔が隣にいてくれるならもう、何も望まない。好きなんだ、どうしようもなく、俺は、保逗くんがいなきゃ、ダメなんだ。
 走ったせいか、それとも優人に触れているせいか、まだ心臓が早くなるのを感じる。彼に触れたいと思った。由樹は優人に体勢を直してもらった瞬間、抱きつく。胸がドキドキとして痛むが、嫌な物ではなかった。

「ゆ、き」
「ごめん」

 泣きそうな声が、優人の耳に響く。周り少なくも人がいたが、考えられなかった。由樹はつぶやく。

「好きだ」


 耳元を滑る優人の息が、止まった。






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