優人は唯一得意な勉強、数学の時間、集中できずに黒板に書かれた文字を写すためのペンを、器用に指で回すだけだった。なにで自分をこんなに考えさせているか知っている、犯人はついこの間友達になったばかりの由樹である。
 彼はどうやら恋というものを知りたかったらしく、優人に答えを追求してきた。優人も分からなかったので、誰かに言われたことをそのまま教える。今思い出せば、それを教えてくれたのは母だ。優人が思春期の頃にみんなが知っているものを知らないのは嫌で母に質問した時、母が答えたものを由樹に言っただけである。だが、優人のように納得は行かずに彼は心の中で葛藤していた。その結果、吹っ切れた由樹が最後に言った言葉が、優人の中で繰り返される。
『俺の場合、世界じゃなくて、ある一人の人が虹色にみえるんだけど、それって恋なのか?』
 優人にはその気持ちが分からない、好きな人が居ないのだから分かるはずもなかった。だが、直感的に思う。それは、人が云う、恋だと。
 由樹が恋かあ。俺、みんなと少しおかしいのか?
 今までは友達が居れば良いし、その友達達と恋について議論したことはなかったので気にしなかったが、ここまで来ると楽天家な優人でも不安になって来た。あの、人を嫌っている由樹が、人に興味なさそうな由樹が、恋をしたのである。それなのに自分は。

「優人くーん」

 そこで保泉が半笑で話し掛けた。授業中だろうが休みの時間だろうが態度を変えない保泉に、教師たちは諦めているので特に何も言わない。優人は心底嫌そうに顔を歪めたのを見て、保泉は微妙な顔をして机から体を乗り出した。

「なんだよ、俺が話しかけてやってんのに、その顔!」
「別に話しかけてなんて頼んでないだろ、用はなんですかー、早くしてくださいー」
「てめー、羽坂の口の悪さが移ったか!」

 悔しそうに下唇を噛む保泉を見ていつもだったら態度を改める優人だが、保泉はもう友達ともクラスメイトとも考えていないのでこのままの態度で接するつもりである。通常の人の考えより緩和な優人の性格にも限度があり、由樹にしてきたことを(その時は気付かず後で聞いたのだが)思うと、さすがにこの男に優しくしようとは思えない。まだ何か言って来る保泉だが、終わりの合図のチャイムに優人は保泉の言葉を無視して由樹の元へと行った。由樹はそんな優人に、笑顔を浮かべる。そこで優人の頭は真っ白になった。
 さっきまで悩んでたのが嘘のように、心は晴れ渡ったのである。そして心がドキドキして、嬉しさで溢れ出した。

「ん?」
「人の顔見て首傾げるってどういうことだよ」
「いや、あのな。」

 悩みが無くなった意味が分からず首を傾げると、由樹は不快そうに言うので本音を話そうとする。だが、優人は思いとどまる。これを話して何になる、恋を出来ないから悩んでましたなんてマヌケすぎるし、由樹の笑顔を見て悩みも吹き飛び嬉しくなったと正直に言えば由樹が気持ち悪く思うだろうと思い、とてもいえなかった。
 あれ、俺なんでこんなに由樹に話すことでこんなにかんがえてんだ?
 今まで人の考えなど考えたことはない、非常識なことはしないが、全て自分のしたいことはしてきた。こんなに嫌われたくないと願うのは、はじめてで、共にそんな性格を作り言いたいことも言えずにもじもじする自分が嫌になる。

「なん、でもない。」

 歯切れの悪い優人に今度は由樹が首を傾げた。いつも元気な優人があからさまに肩を落としたのが見えて由樹は咄嗟に保泉のことを睨む。ここに来る寸前まで保泉となにか話していたのはわかっている、またなにか言われたのかと思うが、保泉の表情見る限り保泉の方がダメージ受けているように見えた。由樹は椅子から立って、優人の背を押す。

「どうしたんだ」

 由樹に気を遣われて、優人は息を飲んだ。彼は人から裏切られてきたのに、また人を信じている、口は悪いが感じていた、彼がたしかに自分を信じてくれていることを。彼ほど優しくて純粋な者はいるか、いや、いないだろう。そうとなれば、由樹から好かれた女性はとても幸せだと思う。きっと好きな人にもこんなに優しくするんだろう、ああ、由樹が早くその人と幸せになれれば良いのに。友達として幸せを願う中に、体の何処かが、チクチクと痛む。
 あれ、おれ、もしかして。
 恋している由樹を見てずるい、と羨ましがっているのか、友達に幸せを願うことも出来ずに妬んでいるのか。自分の心からジワリと汚いものが、作られた気がした。由樹の目があまりにも真っ直ぐで、こんな自分が恥ずかしくなる。あ、と言葉にもならない声を漏らすと優人は足が竦む。震える唇を、必死で開いた。

「いや、言うこと忘れちゃった」
「…そっか。」
「あっ、そうだ! 今日なー、朝のニュースでー!」

 パッと変わった明るい声に、由樹もぎこちなく笑顔を浮かべる。
 由樹ごめん、俺友達失格だ。
 優人はそこで、初めて作り笑いをした。

‐‐‐‐‐

 優人の悩みは六時間の授業がきっかり終わっても、解決することはない。優人は悩みに悩んだ末、もうひとりの大事な友達、遥歩に頼ることにした。今日はテストが近いと言うことから由樹はいち早く家に帰ったので、優人は遥歩を遊びに誘う。遥歩もちょうどバイトがなく、遊ぶことになったのだが、遥歩は優人の態度の違いに気づかないほど鈍感ではない。近くの公園に行くと、二人はベンチに座って温かい飲み物をすすりながら、遥歩から口を開いた。

「で、羽坂のことでなんかあったのか?」
「な、なんでそれを!?」
「…そりゃお前ほど分かりやすくて正直者はいないからな」

 この半年以上一緒にいて優人の悩みなんて聞いたことがなかった遥歩だったが、すぐに由樹のことで悩んでいることに気付く。何かを見たわけではない、ただの勘ではあるが確信はあった。遥歩は優人の言葉に半分呆れながら言うと、優人は少し俯きながら口を開く。

「由樹、恋しているんだ」
「そうか、それ…、え?」
「由樹、好きな人いるんだって。」
「はあ?! 羽坂が、好きな人? ないない、それはないって、つーかそれでなんで優人がきまずくなるんだよ、え、ちょっと待てよ、もしかして」

 遥歩が真っ青になって優人を覗き込んだ。優人はそんな目にも気づかずに、下を向いて目を瞑る。

「俺、恋したことないんだ。別に気にしては、無かったんだけど。由樹が恋してるって知ったら、なんか嫌だった。恋の話してる時、最後に由樹が笑ったのを見て、体中電撃が走ってちくちくって痛かった。こんな汚い感情、味わったことない、きっと俺は羨ましいと、妬んでいるんだよ。どうしよう、遥歩、おれ、最悪な友達だ。」

 そこまで言うと、優人は閉じていた目を大きく見開いて潤んだ瞳から雫を零し、あっという間に頬を濡らした。泣きはじめた優人に、遥歩は買ったばかりの缶珈琲を落としそうになる。

「なっ、なんで、泣かなくてもいいじゃないの」
「だって、だってえ。おれ、最悪だよ、どうしよう、どうしよう、このままじゃ由樹に嫌われちゃう、愛想つかれる。どうしよう、そしたら俺笑えない、遥歩、俺どうしよう!」
「え、あ、ちょ、ちょっと! いやきっと由樹もそんくらいじゃ嫌わねえよ。と、とりあえず気持ちの整理してみようぜ。ほら泣きやめよ」
「む、無理だ、涙が、勝手にぃ!」

 遥歩はポケットからハンカチを取り出して優人の涙を拭いてやりながら、女の子の涙を拭くために常備していたハンカチがやっと使われて誇らしげに思うが、それがむさい男の涙を拭くためとは我ながら悲しくなった。優人は泣き止む様子はなく、泣きじゃくって何度も肩を揺らす。遥歩は、ただその背中を摩った。
 遥歩が先ほど言った《もしかして》とはもちろん優人が言ったような事ではない。遥歩が想像したのは由樹が優人に抱いていた気持ちはやはり恋で、由樹がその気持ちを優人に伝え、男から告白された優人が由樹と居るのは気まずくなったのかと思ったのだ。なんとも気持ち悪い思い込みを口走らなくてよかったと思いながらも、由樹の好きな人には引っかかる。
 由樹と行動するようになってからここ三週間ほど、保泉の嫌がらせを受けながらもクラスの人たちは優しくしてくれるようになった。保泉を恐れて近付かない奴もいるがほとんどが優人の行動に感動して、普通に接してくれるようになったのである。もちろん、クラスから居ない存在とされていた羽坂由樹も、だ。そんな優しさを拒否する事なく由樹はクラスに打ち解けているがやはり壁がある。由樹の顔は中性ではあるがどこか男らしさもあり整っていて、勉強も運動も出来た。そんな男を女子が放っておくはずもなく、興味本位に近付く女子はここ最近多い。だが、由樹はその女子になびく事はせず、優人との時間を大切にしていた。可愛い女の子のグループに昼だって誘われた事がある、舞い上がる遥歩はそっちのけで由樹は丁重にお断りしたのである。同じ男として、憤慨したのは新しい思い出だ。
 だらだらと思い出したが、一つ言えるのは、由樹が人を好きになるなんてあり得ない。顔は笑っているが心は見えなければ扉にさえ触れさせてくれず、あんなに難解な人間は初めてと感じるほどだ。と、まあ、ここまでまとめたが、ひとりだけ例外で、由樹の心を簡単に触ってのけるものがいる。
 そう、この保逗優人という男だ。
 優人は気付いていないだろうが、由樹という人間は優人になら自分の中を包み隠さなかった。由樹は自分の正義は優人と信じてやまない。もう言ってしまうと友情というより、一種の信仰に近かった。
 例えば、優人が少しでも嫌な顔をした人とは徹底的に話さない、むしろ冷たい態度を取ったり、授業中だって保泉たちと席が近い優人が何かされるのでは、といつでも見守っていたり、まるで女性をエスコートするように優人の身の回りは由樹がやる、この前上履きを履き替えてやっているのを見た時は申し訳ないが少し引いた。まあ、たしかに優人は母性本能擽られるところがあるのは認めるが。とにかく、由樹の中で優人は絶対。由樹は、優人中心でまわっている、と言っても過言ではない。
 つまり、話は繋がっただろう。羽坂由樹、彼がもし恋をしたと言うのならば、

「うう、俺はダメ人間だ…」

 この意味わかんない理由で泣き止まない保逗優人のみだ。

「…別にいいじゃん、嫉妬なんて誰でもすんだよ。」
「よくない! 由樹が優しくしてくれるたび、胸がズキズキする、嬉しいのに俺がこんな気持ちだから、素直に喜べないんだ。由樹を目の前にすると、本音を話せない、嫌われるんじゃないかって。」
「ああ、わか…」
「分かってないだろ、おれ、性格作って、本音も言えないんだぞ。最悪だ。包み隠さず言うのが、友達なのに、あああ、もお、」
「わ、分かった、本当に分かってるから、誰も責めないから、泣き止めって。そしてそのマシンガントークどうにかしなさいよ!」

 止まりそうにない優人に遥歩が困りながら言うと、優人は鼻水を垂らしながらもなんとか泣き止む。遥歩はなんの躊躇いもなくハンカチで鼻水を拭いた時、自分も由樹のことを言えないなと思った。自分は彼に過保護すぎるのかもしれない。
 今だって元気な彼が泣いているのを見て、由樹は何も悪くないが原因の由樹に腹を立てている自分がいた。遥歩は優人の背中を出来るだけ優しくさする。

「なあ、優人」
「ん? ずび」
「優人はまだ好きな人が出来てないんだろ、それってすごい事だよ。俺は、うん、初恋の子のことなんて昔過ぎて覚えてねえし。だから今から優人に好きになられた人はすっごく幸せだと思うぜ、優人はこの年で初恋なんだからきっとずっと忘れない、忘れられないって本気だってことだし。」
「どういうことだよ、難しいぞ」

 遥歩は恥ずかしいことを言って真っ赤になっているのに、教えられてる優人は全く理解していなかった。なんだが自分が熱く語ったのが恥ずかしくなり、手の中の少し甘めの珈琲を一気に飲み干す。

「まあ、いいや。だから、恋は遅ければ遅いほど価値があるって事だ」

 ぽんぽん、と背中を叩けば優人が顔をあげた。機嫌を直したのかと思えば、優人の顔はこちらを向いているわけではない。遥歩が優人の見ている方向をみると、そこには由樹が立っていた。なんでここにいるんだ、と聞く前に体が凍る。遥歩は由樹に睨まれていた、これ以上ないくらいの冷たい見下す目で見られていたのだ。思わず優人の後ろに隠れようとすると、その前に優人が立ち上がり由樹に立ち寄る。

「由樹、先帰ったんじゃ…」
「忘れ物があって引き返した。それより、これどういうことだ。なんで保逗くんが泣いてるんだよ」

 怒りを抑えたように由樹は握りこぶしを作ると、遥歩の方を見た。遥歩は冷や汗をかく、完全由樹は優人が泣いたのを由樹のせいだと思っている。
 優人も泣いた理由は他でも無い由樹の事なので良いづらいのか言葉を詰まらせて遥歩を横目で見た。遥歩は正直巻き込まないでくれ、と思いながら、怖い顔で遥歩を睨む由樹にそんな事言えるはずもなく下を向く。すると、由樹が口を開いた。

「保逗くん、帰ろう」

 由樹は遥歩から目を離すと、さっきの声とは別人かのように優しい声色で優人を見る。遥歩はその時に明日とばっちりを食らう事は分かったが、とりあえず今目の前から消えてくれるなら良いかと黙って聞いていた。だが、優人の言葉で固まる事になる。

「ごめん、由樹。俺今由樹と居れない。遥歩と居たいんだ」

 遥歩は下を向いて目を瞑る。
 なんで誤解を招くようなことをいうんだ、優人おお!! 俺死ぬぞ、確実に死ぬぞ、いいのか、俺が死んでも!!
 遥歩は殺されるのは御免だと思いながら由樹をチラ見すると、思わず目が離せなくなった。保泉からいじめられていた時にも見せた事の無い、悲しそうな、苦しそうな顔。
 おい、羽坂由樹さんよ。なにが友達としていい奴と思ってる、だよ。お前、

 そんなんじゃ好きって言ってるも同然じゃねえか。

「そうか、分かった。邪魔者は俺って事な」
「邪魔者なんて…!」
「だってそうだろ、二人でそんな近くに座ってさ。そんな仲だったなんて知らなかった、鈍くてごめんな、俺を構うの怠かっただろ。」
「由樹!」

 失言に気付いたのか、優人が由樹の腕を掴む。すると、由樹はゆっくりとその腕を外しながら似合わない顔で笑った。

「大丈夫、お前たちから離れるよ。一人は慣れてる」

 由樹は踵を引き摺りながら、優人に背中を向ける。優人も止める勇気がないのか震えた手を押さえて、また涙を流していた。遥歩はその涙を見て、思う。
 由樹は泣いていないが、二人は同じ涙を流している、と。
 きっと、先程の優人の自分への分析はきっと間違っていた。だが全てが間違っているわけでは無く、妬んでいるというのは間違いではない。違うのは優人は自分が恋を出来ないのに由樹が恋をしたのを妬んだ、ということだ。
 本当は由樹が恋をしたことに、恋をした相手に嫉妬したんだと思う。先ほどの優人の気持ちを聞いて思った。嫌われたくない、それなのに汚い感情が邪魔をする、近付きたいのにその気持ちで嫌われることが嫌で必死に逃げ道を作る、でも優しくされる度嬉しくて
胸は正直に痛み始めて、もっと好きになる。
 優人は気付いていないだけで、もう恋をしているのだ。だって証拠に彼はまだ泣いている。遥歩が優人と友達をやめた時も、殴った時も一度も涙を流したことがない男が、由樹に冷たくされただけで泣いてた。悔しくも、それほど優人が由樹が好きだということは見えている。

 ああ、俺も嫉妬してんのかな、羽坂に。情けねえ。

 遥歩はいきなり出てきて、何もしないで優人の心を奪った彼にたしかに嫉妬した。






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