いじめられてる由樹に話しかけちゃったバカな優人

 目の前に置いてある破られたノートを見て、またか、と羽坂 由樹(ハザカ ユキ)は鼻で笑った。最近は教科書を置いておくとこうなってしまうことがわかったので、ちゃんと持ち帰るようにしていたのだがうっかり忘れてしまい取りに帰ってくればこの様だ。由樹は慣れた手つきで、買ったときと同じような原型はない自分のノートをゴミ箱へスローインする。上手く入ったのを見て、満足した。だが、戻ってきたのは無駄足だったと後悔する。
 まず高校生になってまでイジメというものがあることは、正直、由樹は驚いた。確かにここは頭の良い高校ではなく、秩序を守らない者はいたが、子供じみたイジメの発想が思い付く高校生はいないと由樹は思っていたからである。
 由樹はいじめられやすいタイプだ。頭は良く、スポーツも出来る。教員からの人望も厚く、顔だって並であるため、女子にも評判は良かった。だが、男子は違う。最初は小学5年生の時だ。もともと無口だった由樹を見て、一部の男子が調子に乗っていると言う。それは妬みからの、理不尽なもんくだった。だが由樹は気にしないでいた、もんくだけならば良いと。
 だが、1人が言えば面白いぐらいに、次々と口並みを揃えていく。ついには女子も離れていき、由樹は完全に1人になった。小学校のメンバーのまま上がる中学校は、由樹にとって苦痛しか与えない。何をしても、彼らの目には良くは映らないのだ。その事を察した由樹は、1人でいることを決意した。むしろ、彼らを人と見ることを諦めたのだ。その日から、由樹の考えは変わっていく。
 イジメているやつらは、寂しいやつなんだ。自分より下のものを見つけて、優越感に浸っているだけなんだ。
 そう、相手をかわいそうな人間と見ることによって、由樹の人生は変わっていった。中学校は早く終わって、次は高校へとステップを踏む。だが、高校の第一志望が落ち、後期で確実に入るためレベルをかなり下げた。これが、運のつきだったというのか。

 中学よりは大分ましか。
 腐った牛乳を投げられたことを思い出しながら、由樹は高校が給食制でないことを良く思う。由樹にしてみれば給食に出てくる牛乳は飲むもの、ではなく、かけられるもの、であったのだ。臭いものを投げられるよりは、切り刻まれたほうが幾分ましだと感じる。考えている脳は麻痺していた。イジメは付き物、周りは敵。最初から身構えていれば、なにされても動揺はしない。もう小さい頃の弱い自分ではないのだ。
 自分で捨てることとなったノートを一度見て、教室から出ることにする。今まで半年書いた分がなくなってしまったのは、少しショックだった。提出はまだしていないので、ノート提出の成績が下がる。成績のために学校へと来ているのに、それすらも許されないとは由樹にとっては何をされるより衝撃を受けた。ノートを写させてくれる友人はいない。これもまた仕方ないで済ませるしかないのだ。
 ドアを開けて寒々しい廊下に出ようと、一歩足を踏み出す。次には歩き出しているはずだった。それなのに前には進まず、尻餅をついてしまう。何故だ、前を見れば答えは簡単だった。人にぶつかったのである。また何か言われるのか、非は自分にきせられるのかと顔を歪めていると、男は教室にはね飛ばされた由樹に立ち寄ってきた。

「あっごめんごめん、見えなかったわ!」

 よく言われる言葉。見えなかった、などと存在を消されるのはいつものことだ。ここで謝っても、謝らなくても、どうせ何か言われる。由樹は黙って立ち上がり、かばんを持ち直した。まだドアにいる男が退くのをひたすら待つが、男は退かない。
 しつこい、まだなにかしたいのか。
 男の顔を見れば眉間にしわが寄っていた。やはり謝らなかったことに腹をたてているのか。ならば仲間を呼べば良い、好きなだけ殴ればいい、お前らは1人ではなにも出来ないのだから。次はなにもするかも待っていれば、男は由樹に近寄ってきた。殴る気か、と少し後退りすると、男は口を開く。

「もしかして、どっか痛めた?」

 由樹は後ずさるための足を止めた。止めたというより、止まってしまったというのだろうか。由樹の脳には男が言った声ばかりこだまする。今、なんと言った。聞き返す暇など与えないくらいの早口で、彼は話す。

「俺って背ちっちゃいくせに体つきは良くてさ、いんや細いけど骨太みたいなかんじでさ。今までぶつかって俺が跳ね返されたことないんだぜ! 体育の松本なんか俺と20cmも差があって、体重もそんくらい違うのに俺がぽーんて跳ね返すの! すごくない?」

 男は本題を忘れているようで、いつの間にか自慢にすり替えられた話を由樹に言った。由樹は、というと初めて見た人種に驚いて動けていない。男はキラキラとした、純粋な瞳で由樹を見ていた。由樹がまともに人と話したのはいじめられる前、小学4年生の時。そんな子供のときでも、これだけ無垢な瞳は見たことが無かった気がする。
 由樹はこの場の教室だけが、異空間のように感じた。あり得ないと思いながらも期待した図がここにある。自分が“人”と話している今だ。
 由樹が驚いていることなど知らず、男は話が続かないことに不思議に思い、何か思い付いたように手をうった。その行動にも由樹が微かに驚いていることも気付かず、男は人差し指をあげる。

「あー、君って名前言わないと話さない人ね! たしかに、小学校の頃、知らない人にはついていっちゃダメ言われたし仕方ない。でも俺、怪しい人じゃねーよ! 保逗(ホズ)っていうんだ、保逗 優人(ホズ ユウト)! 優しい人って書いて優人なんだけど、名前負けしてて嫌な感じだわー! で、お前は?」

 だらだらと話したあとに、由樹にいきなりふってきた。話の展開の早さに今だついて行けない由樹を見て、優人は首を傾げる。さすがにもう話すことはないのか、由樹の言葉を待っている状態だった。
 由樹は逃げ出したい気分である。優人を見て純粋だとは思ったが、騙されていたらどうする。あのいじめてくるやつらが、優人とつるんでいたら。考えるだけで結果は見えていた。ここで由樹が自己紹介などすれば、いじめている側としてはなんとも間抜けなものになるのだ。由樹は開いた口をまた閉じて、ドアをすり抜けようとする。だが、やはり、優人が自分で言った通り、由樹よりはるかに身長の低く細身なはずなのに、優人は怯むことなくたっていた。汚れのない眼で、こちら一点だけをとらえている。そして、それも見て、由樹は悟った。

「羽坂、由樹」

 高校入って、皆の前で無理やり自己紹介されたとき以降出していない声を絞るように出す。学校という場で、同じ歳の男子に、どう声を出して良いかなど、忘れた。
 話すのは親か教員くらいであり、それすらなかなか話さない由樹は思ったより自分の声が低くなっていることに気が付く。新しい発見で、由樹が喉をおさえているのも知らずに、優人はにっこりと笑った。

「由樹、か。女の子みたいな名前だな! あ、なーんて嘘ね、怒んないで、あは。まあ、こうやって会ったのもなんかの縁ってわけで、よろしくな、由樹」

 何故か手を出されて、握手を求められる。由樹は握手などしたことはなかった。だからこそ今の現状をどう対処すればいいかなど分かるはずもない。だが、いつの間にか手を伸ばしていた。


 それから、由樹の人生は変わる。

「由樹、一緒にご飯食べよ」

 由樹は目を見開きながら、ご飯を飲み込む。見せつけるように喉が動き、食道を駆け抜けるご飯の味はなくなっていた。当然驚いたのは由樹だけではない、周りの、クラス全員が優人に注目している。本人は、と言うとなんにも気にせずにもうお弁当を広げていた。

「え、あの」
「おっ、由樹のお弁当美味そう! お母さん凝ってんだな!」

 戸惑う由樹や鋭い目で見てくるクラスメイトには目もくれず、優人は楽しげに話している。由樹と話したものは由樹と同じ目に合う、これは暗黙の了解だ。優人はバカそうだが、半年以上
このクラスに居たのならばわからないはずがないだろう。構わずご飯を食べようとする優人を、由樹はにらみつけた。

「保逗くん」
「んぁ? 名前でいいよ」
「別に、そんな仲良くなるつもりはない」

 人と話したことが無かったので、自分がこんなに性格が悪いことも初めて知る。由樹は優人を突き放すつもりで言っていた。
 きっと優人は由樹が一人でいるのを可哀想に思って此方に来たのだろう。中学校の時もそんな子が一人だけいた。とても嬉しいし、あの時は喜んだが今は違う。どうせ、離れて行くのだ。

「仲良くなろうぜ」
「友達ごっこは他所でやれよ。俺はお前と仲良くする気はないし、同情されるのも本当に腹が立つ。」

 そこまで言うと、ここに居ることも嫌になってくる。誰もがこの会話を聞いているので、この後俺はひどい仕打ちを受けるのだろう。生意気と、何をされるのか想像するだけで頭が狂いそうだ。
 だから、これ以上自分の株を下げられるのはやめて欲しい。いちいち優人に噛まなければいいのに、ここで優しく返せば友達が欲しかったのかといじめをしていた奴らに笑われそうで、反抗せずにはいられなかった。由樹は何年といじめられて来て、慣れた末、プライドはかなり高くなっていたのである。
 由樹は逃げる為に立ち上がると、お弁当をカバンにに詰めてカバンごと教室を出た。早退するつもりはないが、席を外している間教科書が手荷物がなにされるか分からない。何処に行こうか、頭に巡らせていると、扉が開いた音がした。誰かが茶々でも入れに来たかと振り返れば、そこには優人がいる。由樹は、思わず声をあげた。

「なんだよ!?」
「え? 何処に行くのかなって」
「え、いや、トイレだよ!」
「トイレにカバン持ってくの? なんか大事なものでも入ってんの。あ、俺持ってよっか?」

 優人の本気で聞いてくる様に、段々苛立ちすら感じてくる。悲劇のヒロインぶる訳では無いが、由樹は自分がいじめられて来た状況を知らなかったふりをされればそれはもっと腹立たしいことだと思った。叫んでしまいそうな感情を押し殺して、人がいないところを探す。ちょっとこい、とだけ告げて冬になり、人を少ない中庭に出ることにする。外に出て呑気に、寒いな、と言う優人に由樹は叫ぶように言った。

「お前なんなんだよ! 俺は見ての通り虐められてるんだ、こんなに同じクラスなら分かるだろ?! なのに今更話しかけて来てからかってんのか? だとしたら残念だな、俺はそんなのに引っかからないからな!」

 言ってやったと肩を震わせながら息をする由樹に対し、優人はぽかんとしている。由樹はイライラしながら、また同じことを繰り返そうかと思うと、優人は場違いにニコリと笑った。

「お前が言ってることよくわかんねー、てかお前いじめられてんの?」

 由樹は、肩の力が抜ける。これほどのバカに出会ったことがなかったからだ。いじめっ子よりたちが悪いと思う。

「…もう虐められてる事はおいといて、なにが分からないんだ」
「えーとお前は、何に引っかかるんだ? 俺ドッキリも何してないけど」
「そういう事じゃねーよ、だから…じゃあ分かった、質問を変える。お前はなんで俺のところに来た?」

 バカには普通の質問は分からないのなら、本心を聞くしかないとストレートに聞くことにした。おちょくってない事は分かったが、そうなるとやはり同情なのかもしれない。黙って答えを待とうとすると、待たずとも優人は即答する。

「今日俺の友達休みで一人で食べるの嫌だから昨日ちょうど話したお前に話しかけた、友達になったしいいかと思ったんだけど」

 ダメだった? と聞いてくる様子はまるで怒られた子供が親の機嫌を伺うように、無垢な表情だった。その時由樹は、ただ自分を呆れてしまう。優人は本当に由樹がどんな人物でも良 はかったらしい、自分が誰かとお弁当を食べれるのなら。
 つまりは俺の早とちりか。
 由樹は、久しぶりにこんなに喋ったので咳き込みながら、ゆっくり優人を見た。

「いいよ、仲良くしよう。でも一つ言っておく、俺と仲良くしたら保逗くん友達いなくなるぞ」

 試しに聞いてみると、彼は一度考えて渋々頷く。

「友達いなくなるの嫌だけど、由樹も楽しそうだしなあ。よし、じゃあ仲良くしてくれ! 改めてよろしくな」

 そういいながら笑う優人に、由樹はバカだなあと思いながらも何故か嫌いにはなれず、思わず笑った。
 出会って二日しか経っていないが、彼は何年ぶりか、由樹を笑わせる。そこでもう、由樹の中で、彼は特別な人となったのかもしれない。









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