「海飛」

 授業中、左の隣の席から控えめで低い声が海飛の耳を滑る。その心地よい声が浩だとわかり、海飛は戸惑った。
 昔に龍太が俺を名前で呼べ、と言ったら浩は呼びづらい、と断ったそうな。そんなもんで海飛も3年になってから同じグループになった浩とは壁を作られている感じがして、海飛から名字呼びが定着していた。当たり前のように浩も自分を名字呼びしていると思っていたものだから、こんなにナチュラルに呼ばれてびっくりしてしまう。
 海飛はそういえば、と浩から名字すら呼ばれたことがなかったことを思い出した。おい、とかあの、とかが多く、たまに肩を叩かれて呼ばれる。気にしてはいなかったが、浩に名前で呼ばれると友達と認められたようで嬉しいものだ。

「ん、なんだー?」
「教科書をわすれて。それよりどうした、機嫌いいな」
「うん、ちょっとな!」

 今にも鼻歌でも歌いそうな上機嫌さで、海飛は机を浩の机にくっつけると教科書を開く。浩がお辞儀したのを見て、海飛もにやにやしながらお辞儀した。
 すると後ろの席から手が延び、良い音をたてながら海飛の頭が叩かれる。

「いって、なにすんだ!」
「え、なーんかムカついて」
「理不尽過ぎるだろ!」

 海飛が後ろを振り向けば、龍太が海飛の椅子に机がくっつくくらい近付けて言っていた。きっと浩と話していたことは聞こえてないだろうが、机をくっつけたのが気に食わなかったのだろう。海飛はさりげなく浩と机をはなしながら、黒板を見た。
 するとまたスパーンという音が鳴る。海飛は怒りで震えながら、振り返った。

「あーもうやめろよ、龍太」
「あ? お前邪魔で黒板見えないんだよ、どけ」
「退けってなぁ、席なんだから…てか、うそつけ、俺の方が座高低いし見えるだろ。」
「見えねーの!」
「お前らうるさいな、うざいんだけど。喧嘩すんなら外いけよ」

 海飛と龍太の言い合いが始まり、そこに龍太の左隣の桐間が青筋をたてながら仲介に入る。海飛は俺は悪くない、と言おうとしたが、すぐに先生が来て叱られた。席順で海飛が前な為、先生に背中を向けていたので、先生がしかったのは海飛だけである。海飛は龍太をにらむが、龍太は涼しい顔をしていた。
 くそ、違うところ選べば良かったな
 今の時間は選択授業の時間で、海飛は得意な数学探究を選ぶことにした。そしてたまたま桐間や浩も理数系なので数学だったのだが、浩がやるならば、と龍太も数学を選ぶのは分かっていたのだが。
 そう、龍太は数学なんてできるはずがない。むしろ苦手で大嫌いな教科なのだ。そのため数学中は話を全く聞いてはおらず、このように海飛の授業の妨害しかしないのである。しかもやり口が汚いので、怒られるのは毎度海飛だけだ。
 もう疲れた
 いつもならふざけで流せた海飛だったが、今日はタイミングが悪い。先ほど二人で龍太が浩と仲良く話し込んでいるのを見て、やっぱり自分は浩には叶わないのだ、と一人佇んでいたところだ。
 俺は戸河井には興味ねーのにな。
 海飛は悪態をつきながら、龍太を想った。

‐‐‐‐‐‐‐

 授業も終わり放課後になってばらつき始める周りとは違い、海飛は席を離れない。なぜならばこのあと数学の時間に押し付けられた先生の手伝いがあるからだ。海飛はため息をつくが、今日ばっかりは良かったと思う。今日みんなと一緒に終わっても、浩と龍太と三人で帰ることとなり、完全に自分は邪魔者だからだ。海飛が残ることを知っている二人が扉から出ていくのが見えて、ホッとする。
 数学の先生は他にクラスを持っているのでそこのホームルームが終わり次第呼ぶ、と言っていた。出来れば遅めになるといい、たしか今日遊ぶ約束をしていたみたいだし、遊んでいる二人と鉢合わせしたら海飛は落ち込むどころではない。だが早速、先生に呼ばれて海飛は付いて行った。
 手伝いの内容は簡単なものである。数学の先生が個人的に借りてきた本を図書室まで返しに行け、というものだった。掃除よりはいいかと海飛は本に目を向けるが、なんともおびただしい数の本が積み重なっている。そういえば、暇な時間はすべて本に費やす愛読家と有名な教師だった。海飛はこの部屋と図書室を何回往復すればいいのか、と首を凭れる。だが、ちょうど帰りたくないので、良い運動として捉えることにした。
 本、重すぎだろぉ!
 出だしは良かったのだが、もう三度目の往復で弱音を吐く。階段の上り降りはあまりしたくないので籠を借りて一気に運ぼうとしたはいいが、まったく進まないのでタイムロスしていた。

「くそ、ったれ」

 時間が掛かると分かったのならば少しずつ運べばいいのだが、海飛は意地になっている。今日の嫌な思いは忘れたい、なにかがむしゃらにやらなければ忘れられない気がした。
 階段に差し掛かり、一気に籠を持ち上げる。ふらふらしながら階段を一歩ずつ踏みしめ、最後の一段を踏もうとしたとき、手が軽くなった。いや、かごがなくなったと行った方がわかりやすい。
 海飛は上を見上げると、一番上には浩が立っていた。片手に海飛が持っていた籠を軽々と持っていて、大丈夫か、と声を掛けてくる。

「な、なんで居んの」
「忘れ物して帰ってきたらお前が見えたからな」
「そう、なんだ。龍太は?」
「付いてくるといったが、先に帰らした。」

 海飛は手伝ってもらって嬉しいはずなのに、龍太をほったらかしにしている浩に腹を立てた。
 俺のときは、ついてくるなんて言わないぜ。
 自分と浩の扱いは違う。分かっている、深く分かっていたがこう目の前で見せつけられては耐えられなかった。自分が腹を立てるのは間違っていると気付いているが、自然と態度に出てしまう。その証拠に浩の手から籠をとると、海飛は浩から目をそらした。

「いい、俺一人でできるから。早く帰れよ」
「ふらふらしていたじゃないか。遠慮はしなくていいんだぞ」
「してないから。それより龍太待ってんじゃないか、早く帰ってやれって」
「いいんだ」

 言われた瞬間、目が熱くなる。どうしたって海飛は浩には勝てない。必死に龍太を繋ぎ止めている海飛と比べて浩は普通に龍太を扱ったって、龍太は離れていかなかった。羨ましい、悔しいほどに。
 そしてこんなに海飛が想っている龍太本人は、海飛のことを考えずに浩のことばかり考えて、しまいには海飛が浩と話すと嫉妬し始める。
 戸河井はなにも分かっていない、俺はどう扱われてもいいんだ。龍太が悲しまなきゃ。
 衝動的にまた籠に手をかける浩の手を払うと、声をあげた。

「いいってば、戸河井はもう俺に関わんないでくれよ!」

 言ってから、すぐに頭がさめる。浩を見れば浩は驚いた顔でこちらをみていた。海飛は言い訳を考えながらあたふたしていると、浩は立ち尽くしていたがその場で腕を組む。なんだと海飛は黙って浩を見ていると、浩は口を開いた。

「何かあったなら抱え込まないで言え。お前はこうやって人に強く当たっても、後悔して結局スッキリしないだろ。八つ当たりされても良いが、お前がスッキリしないなら意味ないじゃないか」

 で、これはどこに持っていくんだ、と浩は籠を指差す。海飛は図書室と言い返したかったが、胸が苦しくて言い返せなかった。
 浩はなにもわかっていないと、楽に生きているとばかり思っていて、自分をこんなに悩んでいるのに、そればかり考えて浩を妬んでいる。
 そんな海飛に比べて浩はどうだ。海飛を知らない人が今のように突き放されれば、ああそうかと離れていったであろう出来事も冷静に分析してまだ手伝うという。今の言動だって海飛のことを深く知らなければ出なかったことだ。つまり、浩は海飛を理解しているのだ。
 海飛は唇を噛む。自分のことしか考えていなかったのは、海飛の方だった。

「ごめん、ありがとよ」
「なに、気にするな」

 浩は海飛の頭を撫でると、籠の取っ手を片方だけ持つ。これでも譲歩したつもりなのだろう。あれだけ海飛が態度を悪くしたのに、まだ手伝おうとするところが浩らしい。
 海飛は自分に歩幅を合わせている浩を見上げた。

「相談、できることじゃねーんだ。戸河井にだから、とかじゃなくて、この悩みは誰にもいえない」
「そうか」
「けど、聞いてくれて嬉しかった。戸河井もなんかあったら言えよ」

 海飛は改めてだらだら友情を語る自分に照れ臭くなって目をそらそうとする。だがすぐに浩の笑顔を見て、固まってしまった。

「じゃあ、今度甘えさせてもらおうかな」

 今まで見たことないほど、優しい微笑みで海飛はフラつきそうになる。心臓の動きが早すぎて、死ぬんじゃないかと焦った。
 興味ないって言ったけど、俺も戸河井と仲良くしたいな。
 ドキドキしながら、今度名前を呼んでみようとこっそり企む。となりを歩く浩は海飛の微かに赤い頬を見ていた。
 二人が仲良くなる日は近いかもしれない。


一時間前の浩と龍太




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -