会田心視点

 昨日、同期の室津が帰ってきた。と、言っても一時的なものなので、いつまで居るかはわからないが、結構嬉しいものだった。
 室津は何をやらせても、欠点がなかった。比べて例えてみれば新人としての時の出来は井島田に近いだろうが、井島田よりも優れている。彼は自分にとって良いライバルだったと言えよう。室津が頑張る度に自分も負けてられないと思ったし、唯一同い年で話も合う。
 室津が帰ってきて、職場は最初に居た頃に戻ったような気がした。仕事にも精が出るし、最近に比べて自分も張り切っている。だが、少し気になることがあった。本当に最近に戻ったような感じなのだ。まるで俺たちの下には、後輩がいないような。
 そう、この違和感の理由は清野だった。昨日清野がミスをしたので少し修正をした、そこまでは良かったのだが、問題は昼後である。いつもはデスクに張り付いてご飯を食べているはずの清野が見当たらなかった。この前珈琲をくんできてくれたので、お礼に紅茶を買ったのだが、結局見つからず冷えた紅茶は捨てるはめになる。そして、昼過ぎ、また清野がミスした。いつもなら俺に半泣きになりながら目で助けを求める清野が、こちらを向かない。すぐに井島田の手を引っ張り助けを求めていた。確かに机は隣だし、それが普通だろう。そのあとの帰り、俺が帰ろうとしたときだ。ちょうどエレベーターに清野が並んでいたので、朝のミスを落ち込んでいるかと励まそうとすると、清野は俺を見るなり階段へ走っていった。
(おかしい。いつもなら、しっぽをふりながら寄ってくるのに)
 俺は清野になにかしたか、考えたのだが思い当たる節はない。だが自分でいうのはなんだが、俺はなんとも不器用な男だ。もしかしたら無意識に傷つけていたのかもしれない。そう思うと気が気ではなかった。清野のネガティブさは生まれつきだ。そんなあいつに勘違いされたら、どんどん追い込んでしまう。

 これらのことを考えながら、今日は通勤した。少し早めだが、仕事は早く終わらせて清野と話す時間をもうけなければ。
 おはようございます、と入ったオフィスには、もちろん誰もいない、と言おうとしたが、目の前に男が居た。それは今まさに考えていた清野である。清野もまだ仕事に取りかかっていないので、話しかけても邪魔にはならないだろう。

「おはよう、清野。今日は早いな」
「あ、ああ、はい。おはようございます。」

 俺の顔を見て、まるで幽霊に話しかけられたかのような驚き方で返してきた。長話する雰囲気ではない。いや、もともと俺は長話をするようなやつではなかった。それなのにいつも話が続いていたのは、おしゃべりな清野のおかげである。いつも何の面白みもない話を嬉しそうに話すのだ。そして俺もそれに相打ちを返す。中身のない話でも清野のその表情が好きだった。
 だがそんな清野は5秒もしないうちに自分の机へ行くと、キーボードを打ち始める。真剣な表情でディスプレイを覗いているのを見て、俺も席に着くことにした。一人で突っ立っている自分は、なんとも間抜けなものだった。
 二人しかいないオフィスに響くのは、キーボードを叩く音と紙がすれる音ばかりである。斜め後ろを気にしながらなので、なかなか仕事が捗らなかった。そんな俺に比べて、清野はスムーズに進んでいる。
(手伝ってやろうなんて、大きなお世話お世話だったのかも知れない)
 やがて静かなオフィスは、課長をはじめ社員が出入りして賑やかになった。

「よ、おはよ」
「室津か、おはよう」
「お、進んでる。俺も負けてらんねーな」

 隣には当たり前のように室津がつく。課長も満足げにこちらを見ていた。嬉しいはずなのに、嬉しくない。複雑な感情に振り回されるのは、苦しい。原因は一つだと分かっているのに、もう一度話しかける勇気すらなかった。
 もし、また沈黙になってしまってはもう何も話せない気がする。
(話題なんて、作れない)
 そうだ、俺はつまらない男だ。相手を喜ばすこともできない。何故、なつかれたのかなんて分からない。だが、もうなつかれなくても良いから、話したかった。
(たったの1日話せないだけなのに、何をバカなことを。)
 けれど、努力もなしに決めつけるのは、どうかと思う。

「昼休み、話しかけよう」
「あ? なんか言ったか」
「いや、なんでも。」

 昼食を食べて話したら、機嫌を直してくれるだろうか。もしかしたらこの間はお腹が減っていての行動かもしれない。人は空腹になると感情的になると聞いた。前カレーを一緒に食べたとき幸せそうにしていたし、もしかしたら清野は食にうるさい人だったのかもしれない。ifの話だが、そう考えたらやる気が出てきた。課長はいきなりやる気を出してカタカタと打ち込む俺を見て、肩を叩いてくる。俺が振り向くと、にやり、とからかうように笑った。

「やはり世話がないと仕事が進むのかな。それとも室津くんが来たからかね?」

 俺の気持ちをかすりもしていない言葉に社員たちはくすり、と笑う。きっと世話というのは清野のことを言っていた。酷いことを言うなと思いながら清野を見ると、清野は井島田と話している。清野はすぐに顔に感情が出るやつだ。今の言葉は聞こえていなかったのか。
(良かった)
 安堵しながら適当にあしらう。俺の頭には昼休みのことしかなかったのだ。



 待ち遠しかった昼休み、俺は室津に驚かれるくらいほぼ仕事を終わらせて、清野のところへ行こうとした。だが、また清野は机にいない。いままでここしか見かけたことがなかったので心当たりなどなく、闇雲に探すしかなかった。時間はたっぷりあるので、この前渡せなかった紅茶を今度こそは買い、自分の弁当と共に持つ。すると、室津に誘われたがそれは明日にでもできるので断った。
 すれ違った人ほとんどに清野がどこへ行ったか聞いたのに、誰一人と知ってる人がいない。清野は足は早い方ではないし、見えないなんてことはないだろう。どこから探したら良いか皆目見当もつかなかった。どうしたものかとバルコニーに出てため息をつきながら下をのぞくと、お目当ての人物がベンチに座っている。俺はこれまでにないくらいの衝動に駆られ、階段をかけ降りた。革靴が鉄の板を鳴らす音が聞こえたのか、清野は上を見てくる。そして俺の顔を見るなり、ベンチから立ち上がった。
(やばい、逃げられる!)
「清野、待て!」
「!」

 指導の時ですら出したことのないような大声を出して、必死に呼び止める。清野は驚き、怯えながらも足は逃げたそうだった。
(俺がなにしたって言うんだ)
 階段を一気にかけ降りたものだから息切れが止まらない。痛む肺に酸素を少しずつ入れながら、俺は清野に近付いた。
 座っていたベンチには一つ弁当が開いたままにしてあることから、清野はここで一人で食べていたことが分かる。昨日はここで食べていたらしい。
 清野の前に来たは良いが、なんて言えば良いか分からなかった。今、逃げられそうになったのに、この前は勘違いなど到底思えない。もう肺が痛いのかわからない体を擦りながら、清野を見た。

「俺はお前に、何かしたか。何かあったのか」

 こう聞くのが精一杯である。何かした、といってくれれば良い。そうすれば謝れた。泣いて何かあったと言えば良い、そうすれば俺も何か言い返すことができる。
 それなのに清野は、傷付いたようにこう言うのだ。
「なにもしてないですよ。なにもないです」

(何故、言わない)
 言えないようなものなのか。そんな傷付いた顔をして隠さなければいけないことなのか。いつも俺のそばに居る時は笑顔でいたのに、俺は今清野にそんな顔しかさせられないのか。
 不甲斐ない気持ちをどうすることも出来なかった。清野がもそもそと震えた手で食べはじめたのも、見て見ぬふりをしなければならないと思うと我慢ならない。俺は歯を食い縛りながら、立っていた。

「会田さん」

 ふと、清野の声が聞こえて、顔を上げた。聞き間違えかと思ったが、清野も箸を止めてこちらを見ている。なんだとかどうしたとか、言い返したかったのだが、いつもの清野のように笑顔になったので声が出なくなった。清野は真っ直ぐと、見ている。

「俺は今まで貴方に支えられて生きてきました。仕事だけじゃない、私生活も会田さんを考えたらやる気が出て、諦めがちな俺も頑張ろうって思えました。貴方を、尊敬していました」
「清野?」
「ですがね、だんだん尊敬だなんて言えなくなってきました。だって会田さん、優しくてかっこいいんだもん」

 大きな瞳から一粒、二粒、と涙が溢れた。

「会田さん、俺は貴方を恋愛感情で好きです。」

(うそ、だろう)
 何も言えなくなる俺に、清野はまるで黙ることをわかっていたかのようにまくし立てる。

「こんな感情を持ってしまった俺はバカですね。世話してもらってて、会田さんが大変なのを分かっていても、それでも、一緒に居れたことが嬉しかったんです。でも、会田さんは俺のせいで、本当の力が出せなかったんですね、ごめんなさい」

 溢れだしたら止まらない涙の雨。顔はびしょぬれになっていた。けれど、笑顔はたやしてはいない。細く描いた弧と、大きく開いた口は俺になにをしろというのだろうか。

「もう、会田さんには迷惑かけたくありません。だから、話しかけません。会田さんも、もう俺を放っておいてください。お願いだから」

「、では、いままでありがとうございました」

 俺の願望通り、清野は泣いて思っていることを吐き出したのに一言も言い返せなかった。ゆらりと揺れるその涙を拭う権利はない。通り過ぎる清野のとなりの俺の手には、また冷えた紅茶が淋しく水音をたてた。



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