富端さんの家の前に立って、富端さんには気付かれないように小さく、深呼吸をする。
 富端さんから誘われて、返事は間髪も入れずに俺の口から出ていった。自分の欠点に感謝するとはおかしな話だが、料理を出来ないで毎日添加物たっぷりのコンビニ弁当を頬張っていた過去の自分が可愛くてしょうがない。いまにも笑い出しそうな口をマッサージして、どうぞと言う言葉を期には足を踏み入れた。
 正確には来た回数は二回目なのに、初めて来たかのように振る舞う。富端さんもすっかり忘れているようで、前来た時については語らなかった。俺が席につき、富端さんがキッチンに立つ。しかも富端さんは私服にエプロン、俺は堅苦しいスーツのままだ。まるで夫婦のようではないか! ついに耐えきれなくなり、にやにやと笑う。富端さんはこちらに背を向けているし、セーフだろう。それにしても、尻に目が行ってしまう。セクハラしたいが、もう来れなくなるので止めておいた。

「…誰?」

 そんな幸せな時間もつかの間、聞き覚えのある声が聞こえてくる。
 あん時のくそガキじゃねえか! ガン飛ばしてやりたい所だが、こいつは一応富端さんのか、可愛い息子なもんで、ぐ、と堪えて席から立った。

「富端さんの知り合いで、新村っつーもんです。はじめまして、えーと、理依哉くん」
「ああ、新村か。功士から良く聞いてるよ」

 年下の癖になんでため口なんだよ、しかもお父さんの富端さんを名前でよんでなんか夫みたいな口振りだし! などと思ってしまったが、口には出さずに愛想笑いを続ける。しかも富端さんから聞いていると言うことは、俺の話を家でも出してくれていたようであった。嬉しい、嬉しすぎるぞ。俺は下を向きながら、最高の喜びに浸る。
 そして、そこで気付いた。二人の仲も良くなったのかと。そういえば、最近の富端さんは毎日明るかった。元々だが、前は無理しているときがあって、今はその様子がうかがえない。安心していたのだが、この息子が原因だったのか。俺はつくづく富端さんを尊敬したくなった。

「できたよ、って理依哉、帰ってきてたのかい?」
「話してたんだから気付けよ」
「ごめん、焼いてる音で聞こえなかったよ」

 おかえり、笑う富端さんに、くそガ…理依哉くんはゆっくりとただいまと呟く。幸せそうな姿に、俺はその姿を羨ましそうに見つめていた。そこで、理依哉くんがぼそり、と呟く。

「今日は清道さんじゃないんだね」

 いただきます、と続けて色とりどりなサラダをお皿に取って食べ始めた。俺もいただきたいところだが、その前に言葉が気になってしまう。富端さんを見れば、富端さんはエプロンを外しながら、苦笑いを見せた。俺はどうぞと進められて、やっと豆腐ハンバーグに箸をのばす。

「本当は清道くんも結羽さんの料理がいいんだよ。ただ、結羽さんも忙しい人だから仕方なく来てるんじゃないかな」
「どうだかね」

 理依哉くんはどこか不服そうに、くわえた箸を上下に揺らした。俺は耳をすませていることしか出来ない。
 どうやら清道さん、という人は定期的に富端さんの料理を食べに来ているらしい。しかも、彼女付きの人物。そしてなにより、富端さんは、その男を気にしている、よう。
 豆腐ハンバーグには、和風なソースが掛かっている。ヘルシーな献立も俺のためだ。証拠に、理依哉が今日は健康に良さそうだ、なんてこぼしている。自分のために富端さんがしてくれていることで、嬉しいはずなのに自分にはわからない富端さんの近くで滲む男の影が気になって、口に含んだソースの味も分からない。

「美味しい?」

 富端さんは自分は料理に手をつけず、俺だけに目を向けた。俺だけを見てくれているとわかっているのに、その男はどこに座って富端さんとどう話していただとか、想像から頭を離せない。不安で瞳が揺れて、俺はやっとうなずいた。
 富端さんは嬉しそうに微笑み、俺は罪悪感を感じる。俺はきっと贅沢なのだ。そこで隣の理依哉が俺を見ていることに気付いた。まるで好奇心丸出しの子供が、うじうじと動くだんごむしを見るかのように、俺から目をはなさない。俺は気付かないふりをするつもりだったが、限界だったので、理依哉くんを見る。理依哉くんは俺が向くのを待っていたのか、向けたと同時に口を開いた。

「あんたには、無理だよ」

 開いた口が塞がらない、とはこの事だ。理依哉くんは可愛らしく口角をあげながら、俺に言い放つ。俺は意味が分からない、と言ってやりたかった。それなのに、残念ながら心当たりがあるのだ。
 理依哉くんは最後に、富端さんを一度見て、席を立った。ごちそうさま、と言われた席の前には無惨にも残ったご飯たち。これは日常的なのか、富端さんは笑って返事をするだけである。

 さて、理依哉くんが言った言葉は富端さんと俺は付き合えないとでも言いたかったのか。それとも、清道、とかいうやつに勝てないとでも言いたかったのか。どれにしろ、俺の気持ちは彼にわらわれてしまったらしい。
 それでも、ね、息子さんよ。叶わないと分かっていても、諦められないということが、この世の中にはあるんだよ。

「富端さん」
「ん?」
「また来て良いっすか」

 ほら、だって、この人は俺にこんな、愛情をもたらしてくれるから。

「もちろん! 待ってるよ」

 少しぐらい希望は持ちたいわけで。やっぱり大の付く好きだなぁ、と思う今日この頃です。






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